「ルイちゃん。昨日のイケメン先生との晩飯、どうだったの?」

 学食で、直人はニヤニヤしながら僕に質問した。今日はオムライスのケチャップを、口のまわりにくっつけている……。

「えっと……夜景が綺麗なお店で……」
「ほお!」
「そ、それで、窓際の席で……」
「ほほお!」

 直人の声がどんどん大きくなって、僕は人差し指を唇にあてて、シーッ!と言った。

「僕が変な男に付きまとわれた話。直人が店長さんに話したみたいだけど……」
「そうそう、あれから大丈夫なの?」
「うん。それでね、先生も心配してくれて。僕の家の下まで送ってくれて……」
「ほっほおーっ!」

 直人の大きな声に、まわりの学生が一斉に僕たちを見た。僕は両手で顔を覆った。直人、声大きいってば。

「なんだなんだ? イケメン先生とルイちゃん、超いい感じじゃん!」
「そうなのかな……?」
「で、去り際にキスをされたと?」
「キッ……! さ、されてない!」

 僕は椅子から立ち上がった。直人が手を叩いて笑っている。

「家の下まで送り、手は出さずに帰る……純愛、たまんねえな! 次回に続くってか!?」
「直人、何キャラなの……?」
 
 僕はテーブルに左側のほっぺをくっつけて、椅子に深く腰を下ろした。

 先生とキス。先生とキ……ス…………。

 そ、そんなこと!そんな贅沢なことを、僕は期待してるわけでは!僕は足をジタバタさせた。

「イケメン先生も、ルイちゃんのこと気に入ってそうだね?」
「そうだと……いいな……」

 先生、会いたい。

 週に一回、会える日が待ち遠しくてたまらない。木曜日だけループして、週に何度も来たらいいのにな。

「僕、バイト先でもぼーっとしちゃって……」
「恋をするとそんなもんよ! そういえば、新しい子が入ってくるとか言ってたね?」
「うん。今日から」

 僕が身体を起こすと、サークルの女の子たちがやってきた。

「直人! 今日の集まり来るよね?」
「俺、パス」
「えーっ! なんで?」
「彼女とデート。すまん」

 直人が謝ると、女の子たちは僕に視線を移した。

「葉山くん、最近来ないよね?」
「あ、うん……」
「あの酒癖が悪い女の先輩、ほかのサークルに移ったみたい。たまには来てね!」
 
 いつの間にかメンバーがフェードアウトしていくサークルだから、あの女の先輩も、もっと自分に合ったところに行ったのかもしれない。

 僕ってノリ悪いのかな……。未成年だから、お酒を断っただけなんだけど。

 でも、先生は赤ワインをたくさん飲んでも、僕に勧めてこなかった。大人になったら一緒にねって、そう言ってくれた。

 ——俺に送られるの、嫌ってこと?——

 素直じゃない言い方。でも、僕を心配してくれる優しさ。
 
 僕は先生が、とても愛おしい。


 夕方、僕はバイトに出勤した。新しい子が元気に挨拶をしてくれた。

「澤井裕太です! よろしくお願いします!」

 先生と似た系統の、ちょっと上がった綺麗な二重瞼。僕はその目元を見て、なんとなく親近感を覚えた。

「俺、楽器屋で働くの初めてなんです」

 短髪で、声もハスキーで、甘くて低い先生の声とは違った。背は直人くらいか、もっと高いかもしれない。僕も、もう少し大きくなりたかったなあ。

「楽器屋のバイトは、僕も初めてです」
「葉山くん、俺とタメなんですよね? タメ口にしません? あ、俺が丁寧語だった」

 僕も裕太くんも笑った。すぐに仲良くなって、帰りにロッカールームでお互いスマホを取り出して、メッセージアプリで友達追加をした。

 ——今度ルイのバイト先に行こうかな——

 あれ、本気かな。

 先生が来てくれたら嬉しい。ちょっとでも会えたら嬉しい。

 でも、嘘とか言ってたから。どっちだろう。

 あまのじゃく……イジワル……だけど…………。

「ルイくん、どうしたの?」

 ロッカーにおでこをコツンとぶつける僕に、裕太くんが問いかけた。さすがに、ゴン!ってしたら、僕たんこぶができそう。

「ううん。何でもない……」
「何だよ、それ」

 先生と同じ言い方で笑う裕太くんのことを、思わず見てしまった。

「ん?」

 ん?の言い方まで一緒だ!僕は笑ってしまった。

 僕と裕太くんは帰りの電車でも、たくさんお喋りをした。

 裕太くんは実家から大学に通ってること、ギターを長くやってること、付き合って間もない彼女がいること、その彼女の誕生日が来月あって、プレゼントを買うためにバイトを始めたこと。

 いろいろ聞けて、ますます裕太くんがいい子なのがわかった。

 僕は、大学に仲良しの友達がいること、その友達のバイト先がアメリカンでおしゃれなこと、そこにはグランドピアノが置いてあること、久しぶりにピアノを習ってることを話した。

「ピアノいいね。女の先生?」
「ううん。男の先生。すごく優しくて……」

 ときどき、すごく意地悪だけど。

「俺の高校にも、ピアノが得意な男がいてさ。イケメンでモテてたよ!」
「僕の先生もカッコよくて……」
「そうなんだ? 先生は同性のほうが気楽だよね」

 僕は頷いた。実際は、すごくドキドキしてるけど。

「俺、この駅だから。またバイトで!」
「うん。気を付けて帰ってね」

 裕太くんが笑った。

「なんか女子みたいだね。癒し系のルイくんも、気を付けて!」


 家に着いた僕は、お風呂に入って、うとうとしながら晩ご飯を食べた。

 昨日、小さくなっていく先生の背中ばかり思い出してしまって。うまく寝付けなかったや。

 目をこすって、僕はベッドに寝転んだ。スマホが震えた。先生からのメッセージだ。

 …………。

 え?

 えええっ!

 先生からのメッセージ!?

 僕は飛び上がって、スマホの画面をタップした。メールよりも連絡が取りやすいからと、体験レッスンの日に、先生と僕はメッセージアプリで友達追加をしていた。

 でも、用もないのに連絡していいのかわからなくて。僕は一度も、メッセージを送っていなかった。

『ルイ。今週末、空いてる?』

 僕の心が弾んだ。ドキドキする。先生。先生。

 土曜日、空いてる。日曜日はバイトだけど、明日は空いてる。

 先生、僕、空いてる!

『リョウ先生、こんばんは。明日土曜日、空いてます』

 既読になった。先生から、すぐに返信が来た。

『ふーん』

 …………。

 え?

 お、終わり……?

 僕は両手で顔を覆って、ベッドに突っ伏した。コロコロされてる!コロコロされてる!僕、やっぱり前世は先生のボールだ!

 スマホがまた震えた。僕は顔を真っ赤にして、小指でちょんと、メッセージを開いた。

『空いてますってことは、会えますってこと?』

 僕はベッドの上で正座した。手のひらで顔をあおぎながら、スマホを見て何度も頷いた。

『会えます。先生。会いたいです』

 そう送って『会いたい』と思い切り書いてしまったことに、僕はあたふたした。

 しまった!コロコロされる!先生にまた『ふーん』とか言われそう!

 そう思っていた僕だったけど。

 先生が送ってきたメッセージを見て、僕の心臓は、ほかの家にまで音が聞こえそうなほど、次第にドクンドクンの音が猛烈に大きくなって、僕は身体ごと飛び跳ねてしまいそうだった。

『ルイ。俺も会いたい』

 ドクドクドクドクドクドクドクドク————!

 正座したまま、僕は横に転がった。RPGで、カチコチになる魔法をかけられたみたいだ。

 誰か、ポーションください……。

『僕、明日ずっと空いてます。昼間も夜も、ずっとずっと空いてます』
『昼間から、俺に会いたいってこと?』

 ふうーっと息を吐いて、僕は横になったままメッセージを打った。

『会いたいです』

 既読になった。ほんの数十秒、先生からの返信を待つ時間が、すごく長く感じた。

『ルイ。待ち合わせ場所は、改札前ね』
『はい! 楽しみにしてます!』
『ルイ? どの駅の改札前か、聞かなくていいの?』

 左側の口角を上げる、どこか意地悪そうな先生の表情が浮かんでしまう。

 そして、それにゾクゾクしている僕がいる……。

 僕ったら、僕ったら!

『教えてくれないと困ります』
『なんで? 理由は?』
『リョウ先生に会えないからです』
『俺に会いたいってこと?』

 先生。僕、もう何回も「会いたい」って言ってるのに……!僕の顔の温度、五百度くらいになってそうだ。

『会いたいです。すごく、会いたいです』
『オッケー』

 あ、あれ?『俺も会いたい』のおかわりは、僕にはくれないんですね……?

 明日先生と会うことになった僕は、リラックスできると説明されたはずの薔薇のハーブティーを、急いで淹れた。

 美味しい。いい香りだな。ホッとする。ホッとす…………。

 ——ブルーベリー、まだ残ってるよ——


 余計にドキドキしてしまった。僕は羊を数百匹数えたところで、やっと眠ることができた。