アーリータイムズ

 「灯、本当にそれでいいのかよ。こんなに努力してジャズピアニストとして成功して、もっともっと、これから大成できる所で辞めていいのかよ?CD出す話しだってきてるんだろ?」

 灯は俺がCDの話しを知っている事に少し驚いていた。本当だったら、俺に話さずに済まそうとしていたのかもしれない。

 「風ちゃんに聞いたの?大手の海外レーベルから声をかけてもらったの。夏にニューヨークのジャズバンドに参加した時に、たまたまプロデューサーの人が見てたらしくて」

「凄いじゃないかよ。そんな大きな所から声がかかるなんて、チャンスだろ?」

俺がそう言うと、灯は冷たい眼差しで俺を見た。

「何がチャンスなの?私が将来どうなりたいか、佳月はわかって言ってるの?」

「どうなりたいって、それだけの才能があるんだから、その価値をいかして世界に出ていけよ。灯は日本で燻ってるような人間じゃないだろ?」

 俺は、心底灯のピアノが好きだった。こんなに美しい音を奏でられるのは、灯しかいないと思っていた。だからこそ、その魅力を一人でも多くの人に知って欲しかった。

 「私、ここで燻ってるわけじゃないよ。昔から言ってるよね、私は別にそんな大きな所で演奏したいわけじゃないって。この間、佳月ママのターミナルケアの病棟でピアノを弾いたの、みんな感動してくれて、私本当に嬉しくて楽しかったの」

「なあ、灯。灯はそんな所でピアノを弾いてるような人間じゃないだろ?もっと自分の価値を考えろよ」

灯はもの凄く怒ったような顔をして俺を睨みつけた。その顔が、俺の事を心底軽蔑しているような顔だった。
 
 「私の価値って何?私はピアノを弾いていなければ価値はないって事?」

「そんな事いってねーよ!ただ、いつまでも父親の事を気にして、自分の才能を蔑ろにするのはやめろよ!いつまでも、父親の顔色を伺って縛られてるのはお前だろ?」

言い過ぎたと思った、、、完全に俺は言い過ぎてしまった。けれど気づいた時にはもう遅かった。灯をまた傷つけていた。

 「、、、だから佳月には言いたくなかった」

「え?」

「私は佳月の将来の判断に何か口を出した事があった?意見を言った事があった?全て佳月の考えを尊敬して、尊重してきたよ。
 いくら恋人だからって、自分自身が決めた人生の決断をとやかく言われたくない」

 そうだった、、、灯の言う通りだった。
灯は今まで俺が決めた事に対して、批判をしたり反対した事はなかった。

 「私を佳月が望むような恋人にする為に、操らないでよ。私の人生は、私が決める。佳月にだって口は出させない」

灯が、こんなに俺に対して怒った事はなかったかもしれない。灯と恋人になって気づけば八年が過ぎていた。お互い昔の様に、ただ好きだという感情だけで一緒にいる事は難しくなっていた。