夕暮れどきの喫茶店の店内に、灯のピアノが優しく鳴り響いていた。少しだけ開けた窓から、ひんやりとした風と、暖かなオレンジの陽が差し込んでいた。
　俺達は、母が帰ってくるまでそのまま喫茶店で待っていた。客も何人か入っていたので、灯がいつものようにピアノを弾いて、俺はそれを聴きながら勉強をして、父はただ灯のピアノの音色に耳を傾けていた。

　「どうやったらこんなに美しいピアノが弾けるのかな？」

父が俺に聞いてきた。灯のピアノはどんな時でも人の心に染み入って心を震わせる。どうやっているのか、こちらが聞きたいくらいだった。

　「神様が与えた才能としか思えないな、、、」

その言葉を聞いた時、前に母も同じ事を言っていた事を思い出した。

　そんな時間が過ぎると、喫茶店の扉が開いて、仕事を終えた母が帰ってきた。

　「あー疲れた！！今日も頑張ったー！！」

いつものように大声でそんな事を言いながら入ってきた母は、直ぐにカウンターにいる俺と灯に向かって話しかけようとしたが、俺達が変な顔をしているので、何かに気がついたように、奥のカウンターに座っている男に目をやった。

　「久しぶり」


父が一言そういうと、母は血の気が引くような顔をして、震えて怒りだした。

　「ちょっと！何であんたがこんな所にいるのよ！お父さんが入れたの！？しかも佳月にまで、会わせるなんて何やってるのよ！」
　
　母は完全に頭に血が登っていたが、まだお客さんもいたので、慌てて祖父が出てきた。

　「大きな声を出すな。客の前だぞ。二階に行け、三人で一度話せ」

「何でよ？何を話すのよ！何も話す事なんてないわよ！今すぐ帰ってよ！」

　そう言った母の顔が次第に歪んでいった。俺は余りにも、母が取り乱すので驚いていた。

　「、、、帰ってよ。絶対に佳月に会わせたくなかったのに、なんでこんな所まで来たのよ！酷いじゃない！」

　父はそれまで何も言わなかったが、頭を深く下げて母に言った。

　「頼む、、、話しを聞いて欲しい、、、」

母は頭を下げる父を見て少し驚いた表情をしたが、睨みつけて言った。

　「聞くわけないわよ。なんでそんな事をしなくちゃいけないの？私を散々裏切ってきた事、忘れたわけじゃないわよね？あなたの事は信用できない。そんな人間に、息子を会わせる事は出来ないのよ」

　母が東京を毛嫌いしているのは、父のせいなのかもしれない。父に裏切られた東京での生活は良いものとは言えなかったし、俺が東京へ行って、偶然父に会う可能性は低いが、父が俺を探し出すのも嫌だったのかもしれない。
　けれど、俺は父がどうして今更ここまで来て俺に会いに来たのか、興味があった。

　「俺、知りたいんだけど。なんでこの人が俺に会いにきたのか」

　俺の言葉に、皆んなが驚いていた。父に対して何の感情もないが、ただ興味が湧いていた。もう少しこの人について知りたいという思いがあった。母は、俺に対して顔を真っ赤にして怒ったが、祖父が嗜めた。

　「景子が怒るのは無理はないが、佳月にも聞く権利があるからな」

　そう言うと、祖父は俺達三人を二階へ連れて行った。

　「マスター！私店番してるね」

灯が気を遣って言ってきた。灯はすっかりこのお店の店番くらいなら出来るようになっていた。

　「灯ちゃん、すまんな。何かあったら教えてくれ」

俺達は二階のリビングへ行くと、ダイニングテーブルに腰をかけた。