アーリータイムズ

 「あー無理!四回以上は出来ないよ」

「俺の勝ちだったな」

「悔しいなあ、、、佳月がいない所でヒソ連するしかないよ」

「そんな暇があったら、勉強しようぜ」

「確かに!今日私の第一志望の大学見た時、担任が鼻で笑ってたよ!腹立つ!絶対受かってみせる!」

灯は怒っていたが、担任も冗談だと思ったに違いない。多分、いいから大人しく音大に行けとしか思わないだろう。

 「今日、初めて灯のお母さん見たな。俺達大丈夫だった?」

「全然大丈夫だよ。お姉ちゃん死んじゃってからずっとあんな感じで暗いの。仕方ないけど、受け入れられないからずっと時間が止まってるんだろうなぁ」

自分の子供に先だたれる程辛いことはないだろう。灯だって本当は辛い時があるはずだ。

 「ねぇ、人を失ったら、失った所を何かで埋めていかなければいけないと思わない?
埋めていくには、自分自身の成長が必ず必要で、成長した後にやっと人の死を初めて受け入れられると思うの。だから私は止まらずに生きていたいな。死んだように生きるのは嫌だから」

灯の今にも折れそうな痩せた母親の姿が頭によぎった。生きているエネルギーを全く感じる事が出来なかった。あの母親と二人で過ごす生活はとても気が滅入るんじゃないかと思った。
 俺が思わず灯の手を握ると、灯が笑って「大丈夫だよ」と言った。

 「でも、灯が仙台の大学受かったらどうしよう。来年離れ離れだな」

「そうだね!遠距離恋愛になるね!ちょっとロマンチックじゃない?」

「え?どこが?灯は寂しくないわけ?俺が側にいなくても」

「寂しいよー!佳月も仙台の大学にすればいいのに。こんなに綺麗な阿武隈川があって、我妻山には綺麗な雪うさぎが見えて、綺麗な花が沢山咲いて、ここより綺麗な場所なんてないよ」

灯がそう言うと、何て事ない田舎の町並みも価値のある美しい場所に感じてきた。

 「いや、それでも俺は東京に行きたい!まあ、灯が大学落ちる可能性の方が高いからそこは少し安心してる」

「私が落ちる事を願ってるの!?酷い彼氏だね?そんな人とは思わなかったよ」

「じゃあいいの?俺が東京の大学に行って、東京の可愛い子と浮気しても」

「そうかぁ、佳月の私への想いはそれくらいだったのかぁ。私、、、捨てられるんだね」

怒ると思ったら、灯が本当に悲しそうな顔をするので俺は少し慌てた。

 「冗談だよ、灯以外の女なんて興味ないです!灯ちゃんだけです!」

「怪しいなぁ、、、。年上の綺麗なお姉さんが優しくしてきたらわかんないよ?」

「やめてくれる?俺を年上好きの甘えん坊キャラみたいにするの」

「事実だよね?」

 そんな話しをしていると、喫茶店のテラスに祖父が出てきて俺達に呼びかけてきた。

 「おーい!!何してるんだ!夕飯のボルシチ出来てるぞー!」

「今行くー!!」俺が返事をすると、祖父はまた喫茶店の中に入って行った。

 「ボルシチだって!」

「じいちゃんまた新しい料理に挑戦したな」

灯はウキウキした顔で、手についた砂を払って歩きだした。

 「マスターの作る料理だもん!美味しいに決まってる!」

俺も夕暮れの阿武隈川を背にして、灯についていった。
 
 「灯、手!」俺が手を差し出すと、灯が笑いながら俺と手を繋いだ。

 「私、佳月の手が一番好き。大きくて、ゴツゴツして分厚くて」

自分の手なんて興味も何もなかったが、灯にそう言われると、自分の身体の中で一番お気に入りの箇所になった気がした。