アーリータイムズ

「なぁ!おい!」

俺が呼びかけると、水上が振り返った。

 「成瀬君もそんなに、やりたくないなら無理しなくていいよ。でもさ、何か納得いかないよね」

「何が?」

水上はあきらかに、怒っているようだった。

「私、昔から天才だとか、神だとか言われてきたけど、別に何もしないでピアノが上手くなったわけじゃないんだよ。三歳から親に強制的にピアノ弾かされて、それこそ毎日休みなく何時間も、叩かれて泣きながらピアノを弾かされた。
 私、才能なんてないよ。あれだけ弾いたら誰でもこれくらいは出来るようになるよ」

初めて聞いた水上の意外なエピソードだった。いつも楽しそうに、喫茶店でピアノを弾いている彼女は、才能に溢れているようにしか見えなかった。けれど、血を滲むような努力をしなければ、あんな音を簡単に奏でる事は出来ないだろう。

 「中学まで学校もピアノのせいであんまり行けなかったし、友達と遊んだ事もなかった。
でも、誰の人生を生きてるのかわかんなくなっちゃった。私、親の人生を生きてたんだよね。だから、高校では自分のやりたい事だけをしたい」
 
だから、水泳部に入った時も『違う世界が見てみたかった』って言っていたのか。確かに、俺達は水上の上部だけしか知らずに、天才だと囃し立ててきたのかもしれない。

 「しょうがないなぁ。やるか」

 俺は、水上の事を大切な友達だと思っていた。かなり変わってて変な奴だけど、一緒にいるとただ楽しかった。まだまだ知らない水上の一面がある気がして、それを知りたいと思っていた。

 「やろう、バンド!水上がやりたい事に付き合ってやるよ」

水上は、切れ長の目をくしゃっとして、タレ目にして笑った。

 「成瀬君!ありがとう!」

それから俺達は部活へ行き、部活が終わった後は喫茶店でギターの練習をした。バンドをやる事を祖父に伝えると、祖父は凄く喜んで当日見に行くとまで言い出した。
 しかし、次の日の練習に飯田は現れなかった。やはり、バンドをやる事はハードルが高すぎたようだった。部活が終わった後、軽音部の部室で、少し音を合わせると、俺は加藤の歌声を聴いて驚いた。
 心地の良い低音と、包み込まれるような歌声で、その辺の歌手より断然歌が上手い気がした。

 「凄いな、加藤。良い声してるんだな」

加藤は照れていたが、水上が合唱部でこの歌声を聴いて惚れたのも頷けた。

 「(ふう)ちゃんは、かなりのイケボなんだよ。絶対に皆んな聞いたらファンになっちゃうよ」

「風ちゃん!?」

水上は、加藤と意気投合して、仲良くなっていた。俺は、本当に水上が加藤の事を好きなんじゃないかと疑ったが、加藤がゲイだという噂を思い出した。加藤は宮沢賢治のような男なのか、俺にはよくわからなかった。