それから、水上は部活が終わった後に祖父の喫茶店にピアノを弾きにやってきた。
 いつも三十分くらい弾いて、お礼の祖父の手料理を食べて帰って行った。水上の弾くピアノは、祖父だけではなく、お客さんも魅了した。
 水上がピアノを弾きだすと、皆んなうっとりとした表情で聴き入っていた。

 「わーい!今日はメンチカツだ!」

水上は祖父が出した、ご飯を美味しそうに食べていた。

 「灯ちゃん、今日も良かったよ!お客さんがうるさいんだよ。次、灯ちゃんいつくるのって、そればっかり」

常連さんには、既に水上のファンがいて、水上のピアノ目当てで喫茶店に来る客も少なくなかった。水上のピアノには、人の心を惹きつけて離さないパワーがあった。

 「そうそう。試験があったから、なかなか来られなかったんですよね。マスター、数学赤点ギリギリだったんですよ!本当に崖っぷち。一年の一学期なのに、既に留年という沼に片足突っ込んでるんですよ」

「何?灯ちゃん数学苦手なら、佳月に聞きなよ。こいつ意外に勉強出来るから」

「意外って何だよ。全然意外じゃないから」

確かに俺は、今回の中間も学年で五十位内に入っていたし、勉強は苦手じゃなかった。特に理数はかなり得意だった。

 「そうなんだ!じゃあ、仕方ないから期末は成瀬君に教えてもらうかな」

 「やだよ、なんか水上に教えるの大変そう」

「また、すぐそう言う事いうんだから、マスター本当に意地悪だと思いませんか?」

水上が、怒った顔をして俺の方を指差した。そんな様子を見ていた祖父が楽しそうにカップを拭く手を止めずに言った。

 「灯ちゃんに、一ついい事を教えてあげようか?」

「何ですか?聞きたい!」

水上がメンチカツを食べる手を止めて、祖父の顔を期待しながら見つめた。
 祖父がもったいつけるので、何を言い出すのか俺も気になった。

 「男っていう生き物はね、好きな子には意地悪したくなるもんなんだよ」

 祖父がそんな事を言い出すので、俺は思わず大声を張り上げた。

 「はぁぁぁあ!?そんなわけないから」

水上は納得したように、わざとらしく頷いていた。

 「そうだったんだね。成瀬君は私の事好きだったんだ。素直じゃないなぁ〜好きなら好きって言えばいいのに」

 「好きじゃないから!」

俺達のやり取りを見ていた、祖父が何故か楽しそうに俺達を眺めていた。実際、水上なんてタイプじゃないし、友達以上の気持ちなんてなかった。ただ、水上と一緒にいるのは楽しいのも事実だった。

 「ただいま〜」喫茶店の扉が開いて、母が仕事から帰ってきた。母は日勤の日は、実家であるここで夕飯を食べるのが日課になっていた。

 「景子(けいこ)さーん」

水上が母に向かって大きく手を振った。

 「あれー?灯ちゃん来てたの?ラッキー!お願い!後でピアノ聴かせて?」

母も一回聴いただけで、水上のピアノのファンになってしまい、水上が来た時はリクエストしてピアノを弾いてもらっていた。母と水上は相性がいいのか、すぐに仲良くなって二人で夕飯を食べながら楽しそうに話していた。
 何処かズレている母と、何処か変わっている水上は、似ている所があるのかもしれないと思った。