生きていれば大切なものは必ずできる。
 そしてその大切なものはいつ失うか分からない。一年後かもしれないし十年後かもしれない。自分が死ぬ時かもしれなければ十秒後に失うかもしれない。
その大切なものは今日寝て明日起きてもあるとは限らない。
 だからこそ今この時を大切に後悔の無いように――。





「あぁ……もう全部どうでもいいや」

 夜の十一時。真っ暗な町を照らす月を見つめながら私はそう呟いた。
 ここはこの辺りで月が一番大きく見える場所。そして星に一番近い場所。
 綺麗な満月を見ていると、あの頃を思い出す。
 
「あの日も同じくらい綺麗だったな……これが最後の景色なら満足かな。あっちでまた会えたらもっと好きって伝えたいな」

 彼との思い出の写真が写っているスマホを胸に抱き、目を瞑り一歩を踏み出そうとすると、後ろのドアが開く音が聞こえた。
 
「誰ッ⁉」

 振り返ると、そこに立っていたのは同い年くらいか少し年上っぽい男性。
 この時間にこんな場所に人が来るなんて思いもしなかった。
 彼は私を見ても表情一つ崩すことなくゆっくりと私に近づいてくる。
 それどころか少し笑みを浮かべている。目の前に今から命を絶とうとしている人が居るのに……もしかして彼も私と一緒で――。

「誰なんですか。なんでここに来たんですか」
「君を助けに来ただけだよ。ほら、そんな所に立ってないでこっちにおいでよ」

 そう言って彼は私に手を伸ばしてきた。
 
「そんなわけないでしょ。私はここに来てもう十分以上は経ってるの。それにこんな暗いのに下から私の事なんて見えるわけないもの」
「そう言われても本当に君を助けに来たんだけどな。ところで君はどうして自ら命を絶とうとしてるんだい?」
「そんなのあなたには関係ないでしょ。私はもう何も考えたくないの」
水上颯斗(みかみ はやと)の死が理由でしょ? 胡桃小春(くるみ こはる)さん」
「な、なんで颯斗の事……それに私の名前も……」

私は彼の事を知らない。学校でも一度も彼の事なんて見たことがない。なのになんで私の名前を知ってるの。それに颯斗の事も……。

 彼の言う通り、私が今ここに立っている理由は幼馴染であり、彼氏の颯斗の死。
 颯斗がこの世を去ったのは今から一週間程前の事。その日私はいつも通り颯斗と一緒に外が暗くなるまでデートをしていた。
 颯斗は必ず私の家まで見送ってくれて、その日も笑顔でまたねと言って手を振り私の家の前で別れた。

 疲れていた私は帰って直ぐにお風呂に入り眠りについてしまった。
 そして朝にお母さんが凄い勢いで私を起こし、颯斗が昨日の夜私と別れた後に交通事故に合って亡くなったと告げてきた。それを聞いた私はお母さんの言う事の意味が全く理解できずに何度も聞き返した。

 けれどお母さんから告げられる言葉は何度聞き返しても変わらなかった。変な嘘つかないでとお母さんを叩いたりもした。
 そして何度も電話をかけた。四回程電話をかけた時にやっとつながって胸を撫でおろしたのもつかの間、電話に出た相手は涙声の颯斗のお母さんだった。

 それから私は何も考えられなくなり、食事も喉を通らずその日は眠りにつくことさえできなかった。
 お母さんから睡眠薬を飲みなさいと言われてようやく眠りに付くことはできた。
 きっと颯斗がふざけて私にドッキリでもしているんだと思い込んだ。

 けれどお通夜で目を瞑り冷たくなった颯斗を見て嫌でも現実を突きつけられた。
 多くの人が涙を流し、颯斗の死を悲しんだ。
 そして颯斗の彼女の私にも多くの人が心配に想って話をしてきてくれた。
 けれど私には何も届かなかった。目の前に大きく飾られた颯斗の写真そして目を瞑る颯斗を前に震えが止まらなく立っていることもできなかった。
 
 私にとって颯斗は何よりも大切な存在だった。全てが嫌になって死にたいと思った時も颯斗が救ってくれた。私の生きる理由と言っても良い。そんな颯斗を失った私は生きる力を失いここに立っている。
 
 颯斗とのあったかもしれない未来。颯斗と結婚して幸せな家庭を気づいて子宝にも恵まれる。そんな夢に見た未来は一生叶わなくなった。

「小春さんが今日自殺をすると告げたら何が何でも止めてくれってお願いされてね」
「それって……」
「それは想像におまかせするよ。ところで小春さん、過去に戻れるとしたら――颯斗が死ぬ一週間前に戻れると言ったら君は戻りたいかい?」

 この人は一体何を言っているの。颯斗が死ぬ前に戻る?
 そんな事無理に決まってる。もう颯斗には会えない。
 
「そりゃ、戻れたら戻りたいに決まってる」
「僕はそんな君の想いに答えることができる」
「どういうことなの」

 そう言うと彼はお守りのような形をしたものを渡してきた。

「これを持って今すぐに成神駅(なるかみえき)に行きな、満月の日の夜十二時に電車が来る。それに乗るんだ」
「何の冗談なの。そんな事信じられるはずがないでしょ。過去に戻るなんて無理に決まってる。それに成神駅はとっくの昔に廃駅になってるのよ?」
「それじゃあどうして僕は君が今日ここで自殺をする事を知っているんだ? 水上颯斗の事も、君の名前も知っている。もしこれがたまたまだと言うのなら他にも色々と答えてあげようか? 君と颯斗の二人しか知らないような事も答えてあげるよ」
「じゃ、じゃあ私と颯斗が最後に行きたいって話していた場所はどこ」
「百万ドルの景色と言われている函館山だろ?」
「な、なんでそんな事……」

 これは颯斗がこの世を去る直前に私と話していた場所。私はこの事を誰にも話していないし颯斗もこの事を誰かに話す時間なんてなかった。
 つまりこの事を知っているのは私と颯斗の二人しかいない。

「あなた、一体何者なの」
「何者かって聞かれると難しいな。まぁ絶望の底に居る君の願いを叶えに来た神様と思ってくれればいいよ。ほら、早くいかないと時間に間に合わないよ。あ、でも行く前に言わなければいけない事がある。一つ目、この結末は絶対に変えられない。颯斗に死の事を伝えても過去と違う行動をしたとしても、颯斗を密室に閉じ込めたとしても死因が変わるだけで颯斗が死ぬ結末は変わらない。二つ目、過去に戻れるのは一生で一度だけ。三つ目、過去に居れるのはその日の夜二十一時まで、そして最後に。未来から来たことは誰にも言わない事。いいね?」

 私は彼から渡されたお守りをぎゅっと握り小さく頷き走りだした。
 過去に戻るなんて普通なら信じられるはずがない。けれどもう一度颯斗に会える可能性がどれだけ少ない可能性でもあるのなら私はなんだってする。

「本当にこんな所に電車が来るって言うの……?」

 線路には草が生い茂り薄っすらと線路が見える。この景色を見ると誰がどう見ても電車なんて来るわけがないと思う。
 わずかな期待を胸に言われた時間までベンチに座っていると右側から強い光が現れた。

「嘘……本当に来るなんて……」

 電車は私の目の前で止まり、ゆっくりとドアが開いた。
 私は固唾を飲み深呼吸をして電車に乗り込んだ。
 直ぐにドアは閉まり電車は発車した。

「誰もいない……」

 車内には勿論誰もいない。とりあえず席に座り、彼の言葉を思い返した。

『この結末は絶対に変えられない』

 その言葉だけがどうしても強く心に残る。
 この結末が変わらないのなら、颯斗と過ごせる時間をできる限り後悔の無いように過ごす。私にできる事はそれだけ。
 でもやっぱり……。

「うっ、視界が……意識が……」

 電車がトンネルに入ると同時に強い眩暈に襲われ、意識が段々と薄れていった。
 そして私は完全に意識を失ってその場で倒れた。





「小春―! 早く起きないと颯斗くん来ちゃうよー!」

 私の名前を呼ぶ声で目を覚ますと、そこは見慣れた光景だった。

「私の部屋……⁉ 全部夢だったの……?」

 そう思いスマホで今日の日付を確認する。

「嘘、本当に戻ってる……。一週間前に、颯斗が居なくなる一週間前に戻ってる!」
「小春、早く起きな……って起きてるなら早く降りてきなさいよ、ご飯できてるから」
「お母さん、今日って何日⁉」
「どうしたのそんな勢いよく。何日って、十四日でしょ?」

 夢じゃなかった。嘘でもない、彼の言ってることは本当だったんだ! 本当に過去に戻って来たんだ!

「ん? 小春、そのお守りみたいなのは何?」

 ふと横を見ると、彼から貰ったお守りが置いてあった。
 もしかしてこのお守りは今までのが夢でもなんでもない、ちゃんと現実に起きた事だと認識させるための物でもあるのかもしれない。
 もしこのお守りがなかったら今までのを悪い夢だと思ってたった一日の大切な時間を無駄にしてしまうかもしれなかった。

「なんでもないよ」
「そう、じゃあ早く着替えて降りてきなさいね」

 私は直ぐに制服に着替えて下に降り、朝食を食べた。
 しばらくすると呼び鈴が鳴り、お母さんがモニター越しに「はーい」と返事をする。

「小春、颯斗くんがお迎えに来てくれたわよ……って小春⁉ ……どうしちゃったのかしら」

 その言葉に私は勢いよく飛び出していった。
 深呼吸をしてドアを開けると、目の前には愛する颯斗が立っていた。
 
「おはよう小春」

 颯斗の声を聴いて、自然に涙が溢れた。
 止めようと思っても止まるはずがない。
 ずっと聴きたかった声。
 
「ちょ、ちょっと小春⁉」

 私は勢いよく颯斗に抱き着いた。
 あぁ、安心する匂い。
 何も知らない颯斗は勿論困惑している。

「どうしたんだよ、怖い夢でも見たのか?」

 そう言って颯斗は私の頭を優しく撫でてくれた。
 その行為で私は抱きしめる力を更に強めた。
 もうずっと離したくない。一生このままが良い。

「うん。凄く嫌な夢。もう見たくない、もう経験なんてしたくない」
「そっか、でも夢だから大丈夫だよ。ほら、学校遅れちゃうから行こう」

 そう言って颯斗は私の手を握った。

「嫌だ」
「え? 嫌だってどういう事?」
「ねぇ颯斗、今日は学校休んでどっかに行かない? 颯斗の行きたい所。どんなに遠くても良いから、行こ?」

 私は涙目になりながら颯斗の服を引っ張り必死に言葉を発する。
 泣いてる姿なんて見てほしくない。けれど涙が全然止まってくれない。
 颯斗を困らせるだけなのに……。
 
「そ、そんな急に言われても……」
「ほら、北海道の函館山は? 百万ドルの景色見に行きたいって言ってたじゃん」
「確かに行きたいけど……って小春にその事話したっけ?」
「この前言ってたじゃん。今から、今すぐに行こう」

 時間がない。たった一日しか颯斗との時間を過ごせない。
 残り時間はたったの十三時間くらいしかない。

「ちょっと待ってよ小春。そんな急に北海道に行こうなんて言われても荷物とか服装だって制服だし明日は休みだから明日でも……」

 颯斗は私の真剣な表情を見て言葉を止めた。

「まぁ楽しそうではあるし行こうか! 学校サボって彼女と旅なんてドラマみたいな青春してみたいしね!」
 
 そう言って颯斗笑いながら私の頭を撫でてくれた。

「飛行機は予約しないとダメだから新幹線かな」
「早く行こう颯斗!」
「ちょっ、小春⁉」

 私は颯斗の手を掴んで走り出した。
 




「ん~! やっと着いた。やっぱり北海道は寒いな」
 
 新幹線に乗って約四時間。ようやく北海道に到着した。
 新幹線に乗ってる間私は殆ど颯斗の手、腕を握っていた。

「小春、スカートで寒くない?」
「うん、大丈夫。いつも学校スカートだし慣れちゃった」
「それなら良いけど寒くなったら言ってよ? 風邪引いてほしくないし」
「ありがとう颯斗」

 颯斗と一緒に二人でこうして過ごせる事はあの日からずっと夢に想っていたのに、やっぱり元気が出ない。
 
「どうかしたの? さっきからあんまり元気なさそうだけど、もしかして体調悪い?」
「ううん、大丈夫! 全然元気だよ!」

 ダメだな私。ちゃんと今を楽しまないといけないのに。結末が変わらないとしても今こうして颯斗と一緒に居るんだから。
 彼がくれた颯斗との時間。後悔を少しでも残さないように過ごさないと。
 それに颯斗には元気で明るく可愛い私を見てほしい。

「お腹空いてきちゃった。何か食べに行こ!」
「やっぱり北海道って言ったら海鮮丼だろ。さっき新幹線の中で良さそうなお店見つけたから行こうか」
「うん!」 
「ところで今日は北海道で一泊していく? もし一泊していくなら良さそうな宿探しておくけど」

 そういえば明日の私はどうなるんだろう。明日の私は今私が経験している記憶を残しているんだろうか。それとも今日一日の記憶がない状態になっちゃうのかな。

 私自身は今日一日しか入れないけど、この世界線の私にも颯斗との時間を大切にしてほしい。一秒でも多く颯斗と一緒に居てほしい、一秒でも多く颯斗の声を聴いて、温もりを感じてほしい。
 
「颯斗さえ良かったら一泊したいな」
「分かった。良さそうな宿があったら見せるね」
「ありがとう颯斗、私の我儘沢山聞いてくれて」

 颯斗はいつだって私の我儘を嫌な顔一つせずに聞いてくれる。本当に感謝しかない。
 
「何言ってんだよ。可愛い彼女の頼みだったらなんでも聞いちゃうよ」
「えへへ」

 何度言われてもやっぱり可愛いって言われると照れちゃうな。でももっと言ってほしいな。
 
 そして歩くこと十分ちょっと、颯斗が見つけた美味しそうな海鮮丼のお店にやって来た。
 幸いお昼の時間と少しずれていたからか直ぐに席に案内された。

「わ~、どれも美味しそう! どれにしようかな~」

 メニューを見ながらどれを注文しようか迷っていると、颯斗がスマホを私の方に向けてきた。

「何してるの?」
「思い出に沢山写真撮っておこうと思って。せっかく北海道にきたんだしね」
「じゃあ私も沢山撮る!」
 注文した海鮮丼の写真も、それを食べる颯斗の姿もしっかりと写真に収めた。
 どうかこの写真が過去から戻っても無くなっていませんようにと願いまた一枚写真を撮る。
 
「この後はどうする? 夜景まではまだ結構時間あるけど」
「五稜郭タワーなんてどうかな?」

 五稜郭タワーも颯斗が行ってみたいってあの日に言っていた場所。

「良いね、俺も行きたかったんだよね~。この前テレビでやってて凄く綺麗だったんだよ。小春と一緒に見たいなって思ってた」
「良かった! じゃあ行こうか!」

 左手で颯斗の手を握りながら五稜郭タワーまでの道を歩いた。

「そういえばさっきご飯食べてる時に調べたんだけどこの旅館とかどうかな? 雰囲気も口コミも良いし函館山に近いよ」
「良いじゃん! お部屋も綺麗だし温泉も入りたい!」
「それじゃあここにしようか」

 こんな素敵な旅館でいつもみたいに颯斗と日常の会話をして一緒に眠りに付いて、目が覚めても隣に居て一緒に朝食を食べながら今日はどうしようかって話をしたい。
 でも私に残された時間はそれを許してはくれない。
 
 しばらくして五稜郭タワーについた私たちは展望一階へと向かった。
 平日だからか、お客さんは凄く少ない。

「見てみて颯斗! 凄い高いよ!」

 そう言って私はシースルーフロアに立った。
 高さ八十六メートルから下を見下ろすなんて今まで経験がないから不思議な間隔。

「八十八メートルもあるのか。こうやって下を覗いてみるとバンジージャンプとかこんな高さから飛ぶなんて凄いよな。絶対無理」
「でも一度で良いから飛んでみたいよね」
「小春は絶叫系のアトラクションも平気だもんな」
「颯斗はそういう系はダメだもんね~」

 いつもは私を守ってくれてる側の颯斗だけど、絶叫系とかのアトラクションに乗った時は私の腕を掴んで来たり逆に守ってあげたくなっちゃってギャップが大好きなんだよね。
 また颯斗と一緒に行きたかったな……。
 
 それから私達は展望二階へと向かい、外を見渡した。

「わー! 凄い綺麗な星型だね!」
「雪の結晶に見えなくもないな。春だと桜が咲いてもっときれいに見えるみたいだね。桜の咲く季節にも見に来たいな」

 その言葉に私は胸が締め付けられる。
 颯斗が未来の話しをするたびに心が苦しくなる。あったかもしれない未来、それも全部一瞬にして奪われてしまった。
 もしあの日私が少しでも早く帰ろうって言っていれば、もし颯斗に家まで送ってもらってなかったら、もし私が颯斗と付き合っていなかったら。颯斗の未来は変わっていたのかな……。
 
「小春、見てみてよ」

 そう考えていると、颯斗が私の腕を引っ張ってきた。

「ちっちゃい模型があるよ」
「本当だ、ちっちゃくてなんだか可愛いね」

 颯斗が見せてくれたのは竣工当時の五稜郭を再現した二百五十分の一スケールの模型。
 
「こんな綺麗な形に作れるなんて凄いよね」
「確かに、千八百五十七年に作られたらしいよ。本当に凄いよね」
「そうだった、颯斗写真撮ろうよ!」

 ついさっき沢山写真を撮ろうって決めたのにもう忘れていた。
 
 私は透夜の腕を掴んで外に見える綺麗な五稜郭を背景にツーショットを撮った。

「夜に来たらライトアップされてもっと綺麗に見えそうだね」
「でも夜は函館山に行くんだからね!」
「あはは、ちゃんと分かってるよ小春」

 夜の景色も春に見える景色も颯斗と一緒に見たかったな……。





 外も暗くなり、私に残された時間は残り僅か。
 一度旅館に行き、チェックインを済ませてから学校指定のバッグを置いてから函館山へと登って行く函館山ロープウェイに乗った。

「私ロープウェイ初めて!」
「俺も初めてだけどロープウェイからの景色もすっごく綺麗だな」

 ロープウェイはたったの三分で函館山の山頂展望台へと上った。

「山頂はやっぱり寒いな」
 
 函館山の標高は三百三十四メートル。東京スカイツリーよりも一メートル高い。

「私は冬もスカート登校だから慣れっこだもんね」
 
 そんな会話をしながら山頂広場へと向かった。

「綺麗……」

 自然と口からその言葉が出てしまうほど目の前は美しい景色で埋め尽くされていた。
 こんな綺麗な景色を颯斗と見ることがなかったかもしれないって思うと後悔しかなかったな。
 
「これは百万ドル以上の価値あるな。小春も一緒なら尚更だ。そうだ小春、その石碑で写真撮ってあげるよ」

 そう言われて私は函館山と書かれた石碑の前でしゃがんだ。

「可愛く撮ってよね」
「どう撮っても可愛いから問題ね」
「えへへ、次は私が颯斗を撮ってあげるね」
 
 そう言って私は颯斗を石碑の前に連れて来て写真を撮った。
 
「それにしてもずっと眺めていられちゃうな」

 このままずっと時間が止まってくれればいいのに……。

「小春?」

 すると颯斗が私の顔を覗いてきた。

「へ? どうかしたの颯斗」
「いや、だって小春。涙流してるから」
「嘘……」
 
 気づかないうちに私の頬に涙が伝っていた。

「あれ、おかしいな。なんでだろう」

 泣くつもりなんてなかったのに。私ってなんでこんなに涙脆いんだろう。嫌だな……。
 でももう私に残された時間は少ないから、伝えたいことはちゃんと伝えないと。

「小春?」

 私は颯斗の胸に顔をうずめて抱き着いた。

「颯斗、大好きだよ」
「どうしたの急に。俺も小春の事は大好きだよ」
 
 そう言って颯斗も私に抱き着いてくれた。
 大きな体は私を包み込んでくれる。

「もう離れないで。居なくならないで。ずっと私の隣に居て」
「一度も離れたことなんてないだろ。ずっと小春一筋なんだから」

 馬鹿颯斗。一番遠い場所に行っちゃったくせに……本当にバカ。

「俺は一生かけて小春を幸せにするつもりだよ」
「その言葉、絶対に忘れないからね。忘れてあげないから。絶対に幸せにしてよね。約束破ったら許さないんだから。浮気なんてもってのほかなんだから」

 許してなんてあげない。絶対に。

「ああ、約束な」
「ちゃんとした言葉待ってるから。ずっと、ずっと待ってるから必ず私に伝えてよね」
「そうだな。言葉考えておかないとな」

 そう言って笑う颯斗に私も笑みを浮かべる。
 
「今言ってくれてもいいんだよ?」
「今はまだ早いよ」
「うッ……」

 突然胸に鋭い痛みが走った。
 もしかしてもう直ぐ時間だって言うの? 
 
「大丈夫か小春。胸が痛むのか?」
「ううん、大丈夫。気にしないで」
「でも心配だよ」
「本当に大丈夫だよ。ちょっと胸が張っただけだから」

 時間がないと実感すると声が震えちゃう。

「ねぇ颯斗、颯斗は私と付き合って幸せだった?」
「何当たり前の事聞いてるんだよ。幸せに決まってるだろ? 小春と付き合ってから一日でも幸せじゃないって思った事は無いよ」
「私も。幸せだよ」

 その言葉を聞いて私は少し安心した。
 
「幸せ過ぎて罰が当たるんじゃないかって思うくらい私は幸せだよ」
「俺もだよ。小春には本当に感謝しかしてないよ。今日だって小春が急に北海道に行こうって言ってくれなかったらこの景色だってもしかしたら見えなかったかもしれないんだから」

 感謝するのは私の方なのに。颯斗は私がいじめられていた時も直ぐに助けてくれて、高校でも慣れない環境に困っていてもクラスの中心の颯斗が私を積極的に輪に入れてくれたから友達もたくさん増えた。
 まぁ私がいじめられたのは人気者の颯斗が私の事を好きだからって嫉妬した子達の仕業なんだけどね。
 
「また来年もこの景色を小春と見たいな。次は冬に来ようよ。冬に見える景色が一番お勧めらしいよ」
「うん。絶対に来年も一緒に来ようね。そしてまた写真撮ろう。その次の年も更に次の年も。絶対だからね」
「ああ、絶対に来ような」
「うん! ……ッ!」

 すると私の心臓がドクンッと跳ねた。
 そして視界が少し霞んできた。
 この感覚あの時と、電車の中で経験したのと一緒だ。
 もう……あとちょっとだけ時間をください。神様。

「大丈夫か小春⁉」

 力も抜けて経っていられなくなり私はその場で崩れ落ちた。
 颯斗がなんとか支えてくれて倒れはしなかった。

「だ、大丈夫……ねぇ颯斗。もう一度愛してるって言ってほしい……な」
「何度でも言うよ、愛してるよ小春。だけど大丈夫なのか小春。もしかして今日一日体調悪かったとかじゃないよな。もし俺に隠してたんだったら怒るぞ。もっと自分を大切にしろ。どうすればいいんだ、とりあえず病院か」

 颯斗は慌てながらスマホを取り出す。
 それを私は力ない手で止める。

「大丈夫だから……ねぇ颯斗ちょっと耳貸して」
「でも!」
「お願い颯斗」

 すると颯斗は耳を私の口の前に持ってきた。
 
「愛してる。ずっと、ずっと愛してる。颯斗と出会えて幸せだよ」

 そう言って私は両手で颯斗の後頭部を掴んで私の顔に近づけた。

「ッ⁉」
「颯斗、全然私にキスしてくれないもん」

 キスをした時間はほんの数秒だったのに、もっと長く感じた。

「それは……嫌がられたりしないかとか心配で」
「嫌がるわけなんて……ないじゃん……」

 そう言うと今度は颯斗から私にキスをしてくれた。
 でも段々意識が……力も入らない……。

「小春⁉ どうしたんだよ!」
「心配かけてごめんね。でも……大丈夫だから……。颯斗、出会えて本当に良かった。愛してるよ……」

 その言葉を最後に私の意識は完全に途切れた。





 次に私が目を覚ますと自身のベッドの上だった。
 少しの間起き上がることができなかった。
 
「戻って来た……」

 スマホを確認すると私が自ら命を絶とうとした次の日。でもどうして私の部屋なの……私は電車に乗ってからどうなったの? 
 あれはあったかもしれない過去を見せてくれただけなのかな。
 
「お守り……ちゃんと現実ではある」

 私のポケットにはあの時渡されたお守りが入ってた。
 
「行かないと」

 気が付いたら私は起き上がり、着替えて家を飛び出していた。
 
「はぁ……はぁ……」

 何も考えず走り続けて颯斗の家の前まで来た。
 私は震える指で呼び鈴を鳴らした。

 もしかしたら、もしかしたら颯斗が出てくれるかもしれない。 
 そんな希望を胸にしたけれど、ドアが開いた先に立っていたのは颯斗のお母さんだった。

「…………小春ちゃん」
「こ、こんにちは……」
 
 颯斗のお母さんは私を見るとゆっくり近づいて私を抱きしめた。
 その行動で私は全てを理解した。
 
『結末は絶対に変えられない』
  
 最初から聞いていたはずなのに、私は何を期待して……。
 
「小春ちゃん、良かったら少し家にあがっていってくれないかな」
「……はい」

 颯斗の家に上がり、颯斗の写真の前で手を合わせる。
 ついさっきまで一緒に居たのに……。

「小春ちゃん。颯斗と色々ありがとうね。いつも颯斗から小春ちゃんの話し聞いてて、小春ちゃんの話しをしてるとあの子凄く幸せそうで」

 そんな事聞いたことがなかった……。
 颯斗、本当に私の事愛してくれてたんだな……。

「どこか行ったら必ず話をしてた。それでね、颯斗が小春ちゃんに渡そうとしてた物があるんだけど、小春ちゃんさえ良かったら受け取ってあげてほしいの」
「勿論、受け取ります」

 そう言うと颯斗のお母さんはありがとうと言って一冊のアルバムを渡してくれた。

「これね、颯斗が高校最後の記念日だからって今まで一緒に行った場所で撮った写真の思い出とかを全部このアルバムにしたらしいの」

 後ちょっとで私と颯斗が付き合った記念日。
 こんなもの用意してくれてたんだ……。勿論私もプレゼントは用意していた。
 私はアルバムを胸に抱きしめて俯いた。

「見ても良いですか……」

 そう聞くと快く頷いてくれた。

 震える手で一ページ目を捲ると私達が付き合った日の写真が貼られていた。

 自然と笑みと涙が零れた。

「懐かしい……本当に嬉しかったな……人生で一番幸せだったかもしれない」

 その日は特に何もない日だったけど、学校からの帰り道に颯斗が寄り道したいって言って夜遅くまで遊んだ。 
 そして夜に満月が綺麗に見える場所で私は颯斗から告白をされた。
 嬉しさと驚きで返事が中々言い出せなかった私を見て颯斗は凄く心配そうな表情を浮かべたのを覚えている。
 私が返事をしたらその心配そうな表情もみるみる笑顔に変わっていったな~。

 過去の事を思い出しながら震える指でページをゆっくりと捲り続ける。

「……これって!」
 
 最後のページに貼ってあったのは昨日……で合ってるのかな。昨日颯斗と行った北海道で撮った写真だった。
 海鮮丼を食べる私達の写真、五稜郭から見える景色の写真。旅館での写真、函館山での写真も全部貼ってある。

「これ、颯斗の字……」

 写真の右側に颯斗の字で文章が書かれていた。

『この日は一生忘れないだろうな……。いつも通り学校に行こうとしたら突然が抱きしめてきて必死に北海道に行こうって言い出すんだから。でも行って本当に良かった。忘れられない思い出になったよ。勿論今までの小春との時間全部忘れられない思い出だけどね』

 本当に行ってる……未来がちゃんと変わってる。
 
 ふと私のスマホを取り出して写真フォルダを見ると、ちゃんとあの日の写真が残っていた。
 
『函館山では凄く綺麗な景色に加えて綺麗な小春を一緒に見れて幸せだったな。けどその後直ぐに小春が突然倒れたりして本当に心配だった。心配で俺の心拍数ヤバかったんだからね。でも突然小春が目を瞑ったと思ったら直ぐに目を開けて回りをきょろきょろしてパニックになりながら一言目にここはどこ? って聞かれて俺の脳内もパニック状態だったよ。朝の事から全部説明したのに何も覚えてないって言うから本当に驚いたよ。もしかして小春は二重人格なのかな? それとも未来から来たのかな? もし未来から来たのなら未来には過去に戻れる機械があるんだね。もし過去に戻れるならもっと早く小春に告白して、もっともっと愛してる、好きって事を伝えたいな。でも今からでも遅くないよね。小春、愛してるよ。これからもずっとずっと』

 全部読み終えた私の目には涙がたまりすぎて何も見えなくなっていた。
 アルバムに涙が零れなように必死に涙を拭う。

「小春ちゃん。しっかり聞いてね?」
「……はい」
「まずは今まで颯斗を幸せにしてくれてありがとう。小春ちゃんって可愛い子が彼女で凄く幸せ者だったと思うわ。でもね、小春ちゃんには未来がある。これから長い人生が待ってる。だからね、もしこの先小春ちゃんがこの人と一緒に過ごしたいって子が居たら前を向いて進んでほしい。颯斗の事は覚えてくれているだけで颯斗は満足してくれると思う。颯斗なら小春ちゃんの幸せを一番に思ってるはずだから。新しい彼氏も作って幸せになってほしい」
「…………そんなの……無理ですよ…………だって、だって。約束したから……あの時に颯斗と約束したから。約束は破ったらダメ……」
「小春ちゃん……」

 私はアルバムを抱きしめ枯れるまで泣き崩れた。
 




 颯斗が亡くなって一年が経ち冬の季節がやってきた。 
 私は颯斗から最後に貰った贈り物を大切に抱えて再びあの景色を目の前にしている。

「颯斗、約束通り来たよ。颯斗も上からちゃんと見てる? 見てなかったら約束破ったって事で許してあげないんだかね……」
 
 この景色はあの日と変わらない。