「こないだ現国で提出した『私の歴史』、おまえのやつ見ちゃったんだけど」

クラスメイトがざわめきながら帰り支度を始める時刻。木更津直也が突然話しかけてきた。

鞄に教科書とルーズリーフを詰める手を止めずに私は抗議する。

「だめじゃん、見ないでよ」

「見えちゃったんだって。おまえ、あれはないだろ。たった3行」


『父と母の間に生まれる。

父と母が離婚し、母の再婚で新しい父ができる。

新しい父と母が離婚して、母と二人に戻る。←今ココ』


これだ。

書いた文面を思い出せる。

私の生きてきた18年のすべてだ。たった3行。

おそらくこの先もこの3行をリピートして足りると思っている。


「あれじゃ先生だってコメントに困るぞ」

「別に困らせたいわけじゃないよ。ただの事実。直也こそ他人の提出物盗み見しといて態度でかくない?」

「悪いけどでかくもなるぞ。だってさ、おまえ、あそこで人生終わりって思ってるだろ。たった3行で」

言い当てられた。なんでわかるの。

その強い口調に私は一瞬怯む。

「……そんなことないよ。ちゃんと想像してるよ。この先もダラダラ続いていく未来」

「それ!」

「どれ?」

「おまえの4行目はダラダラじゃなくて。なんていうか、ただ続くだけ、じゃなくて」


いいかげん直也がうるさくていらっとする。

暑いのに余計に温度があがる。体感40℃。火照って死にそう。私は直也の口を閉じさせるために喋りだした。


「だってただ続いてくだけだよ? お母さんが何回結婚して離婚しても。それがただ続くだけでしょ? 私にはあれが全部なの。3行のリピートで終わっちゃうんだよ」


怖い声が出ていたのだろう。周りのクラスメイトがぎょっとした顔をしてそそくさと場を離れていった。そしていつの間にか教室には私と直也の二人きりとなっていた。


──いつも思ってる。

何度も失敗してるのになんでまた恋愛して結婚するんだろうって。

ただセックスしたいだけなのか、とか。

体以外繋がってないから、体が離れちゃったらおしまいなのか、とか。

恋を追い求めるお母さんは何て馬鹿みたいなんだろう、とか。


だから私はいいかなって。

私の歴史に4行目や5行目があるとしたってきっと同じだ。3行目までときっと同じ。3行をリピートする人生。

──何にも求めない。つまらない。もうそれでいいかなって。


「ただ続くだけじゃないって。だって」

唇を噛みしめ少し苦しい顔で直也は黙り込んだ。そして口を開く。

「ちがうか。俺の家も同じだ。似たようなもんだ。俺だって3行しか書けないと思ってた。前は」


知ってる。

小学校からずっと一緒の学校に進学してきたのだ。偶然にも。だから直也のお父さんが小学校の頃と今とでは、違う男の人になってるのも知っている。


「でもおまえ見てて違うって思った。そんであれ読んでやっぱりって思った。あれはおまえのお母さんの歴史であって、おまえの歴史じゃない。だってそれじゃつまらないだろ? そんなふうに暗くって光も射さない気持ちでいるってしんどいだろ? ──おまえとお母さんは違う人間なのに」

俺と俺の母さんも。

みんな違う人間。

違う道を歩いて。自分の歴史を書いて。

自分で選んでいいはずなんだと。


「だから俺、おまえと4行目を書きたいと思った」


急に何を言うのか。

私は瞬きを何度も繰り返した。

目の前で頬を紅潮させて喋っている直也の顔を見つめる。瞬きをするたびに目を開けるたびに、直也の目は輝きを増していった。


「一緒に4行目以降の歴史、書いていきたい」

照れたように、けれどしっかり私の目を捉えて離さない。

「……4行目で終わっちゃうかもよ?」

弱々しい声になってしまう。

だってお母さんだって何度も繰り返して──。

私が同じ道を辿らないって、誰が言い切れるの──?


「終わらせないから。絶対に」

直也が強く言い切って、笑った。

まぶしい。まるで直射日光。

けれどそれは。

光が射す方へこの手をのばしてもいいのだと、信じさせてくれるものだった。









「帰ろう」

私は直也の横を歩きだす。

「暑いね」

「コンビニでアイスでも食べてこっか」

私は返事の代わりに直也の手をつかまえた。

驚いた顔の直也に、へへっと笑いかける。


──楽しくっていい。

──誰とも違ってていい。


太陽をつかまえ、ぎゅっとその手を握りしめて。



私の4行目は、きっとここから始まる。