熊さんのその一言は、玲にしてみたらとっくにわかっている事の様だった。
 これは、それを承知の上で言っている話しなのだ。

 「わかってるよ。でもしょうがない。
私はどうしても行きたいんだから、今度ばかりはクマにも止められないよ」

 熊さんが玲を睨む。こんなに感情をあらわにした熊さんをみたのは初めてだった。
 熊さんはいつも基本、無口で無表情だ。
けれどそれは冷たい性格だとか、そういう事ではなくて、いつも心の奥に情熱的な思いを抱いているように見えた。

 口にこそ出さないが、ホテルにいる皆んなが快適に過ごせるように気を遣ったり、苦手な食材を使わないように献立を考えながら、繊細で美味しい料理を作ったりと、このホテルを維持する為に、沢山の努力をしていた。

 それも全て一人娘の玲の事を思っているからだ。
それ程、熊さんは玲を大切に思っているし、玲を一人でここまで大きくするのは並大抵の苦労じゃなかっただろう。
 空気がピリッと凍りついている気がした。
様々な思いが交差して、けして交わる気がしなかった。

 「俺は絶対に許さない。
行くと言うなら、お前をしばりつけておく」

 熊さんは、普段は絶対に口に出さないような、強い言葉で玲を止めようとしていた。

 「玲さん、、、今回は見送ったらどうですか?
体調くずしたばかりだし。
 また、折末さんにコンクールだして貰いましょう!そしたら、また機会だってありますよ!」

 イゾンが玲をなだめるように言うが、玲は自分の手に握っていたナイフを置いて、立ち上がった。

「次回がないかもしれないから言ってるよのよ」

 玲はそのままダイニングを飛び出して行ってしまった。
カブさんが俺の方を見て頷く「行ってあげなさい」と言っているようだった。 

 俺はまだ怒った顔をして、前方の一点を見つめている熊さんの隣りをすり抜けて、玲の後を追った。