静かなロビーで静寂を破り、話しだしたのは、折末さんだった。

 「では、迷惑を承知でお願いするのですが、暫く私をここへ置いてもらえませんか?」

 熊さんも玲も少し戸惑った表情をする。
客室は一部屋空いているから、別に問題はないと思うが、何故いきなり折末さんがそんな事を言い出したのかわからなかった。

 「それは、かまいませんが、いくらこのホテルに泊まって頂いても、玲が東京へ行く事はありませんよ?」

 熊さんの気持ちは硬そうだった……何故そんなに、東京行きを断るのだろうか。俺にはちっとも理解できなかった。

 「それは、わかりました。一つお願いがあります。私も一応画家の端くれです、玲さんに絵の指導をさせて頂いてもよろしいですか?」

 つまり、東京に来れないのならば自分が玲にデッサンを教えると言う事か?
 熊さんが、玲の顔を見る。

 「玲どうする?」玲は悩まず即決した。

 「はい!お願いします!」

 熊さんは、やっぱり少し困った顔をしていたが、折末さんの熱意に負けたのか、絵の指導については、了承したようだった。

 俺はひとまず安心した。
これで、玲の画家への道が絶たずに済んだと思ったからだ。しかも、折末さんは無償でデッサンを教えたいと申し出た。

『お金を払ってでも、玲さんに指導をしたい』

 そこまで言わせる玲はやっぱり凄いんだと、俺は感心した。
 その日から、玲の絵の特訓が始まった。
二人はアトリエにこもって、デッサンの練習をずっとしていた。
 玲はいつもふざけた所があるが、絵の事になると物凄く真剣で、今まで教えて貰えなかった部分を、スポンジのように吸収していって、自分の物にしていた。
 玲はそれから、一日中絵を描くようになり、いつもコロコロと変えていた、髪の色を変えるの忘れるくらいに、絵に集中していた。

 そして、島ではあるイベントが開かれる事になっていた。
色んな国のサーファーが集まり、この島の海でサーフィンの大会が行われる事になっていたのだ。

 小さな大会だが、通常よりも客の数が段違いに違う。いわゆる書き入れ時だ。
 ホテルエアロは現在、満室だから新しい客は見込めないが、当日、海岸で軽食の出店をだす事になっていた。

 大会当日は、僕はもちろん、カブさんもイゾンも出店の手伝いをする事になっていた。
カブさんは良いが、イゾンはまだ外に出た事がなく、しかもいきなり多人数の接客なので、難しいと思ったが、本人がやりたいと言い出したのだ。

 なんでそんな無理をしてまで、出店を手伝いたのか聞いたら『僕だけ。ホテルで留守番は寂しいですよ』たったそれだけの理由だった。