船は長旅だった。
一度島から、違う島を経由して日本へ行くので、合計六時間くらいはかかる。
 日本についても九州から東京まで新幹線で随分かかる。

 俺たちは二人で、まるで初めての旅行へ行くような、幸せそうなカップルにしか見えていなかったと思う。
けれど、俺は内心ずっとどきどきしていた。
いつ玲の体調が悪くなるか、見当もつかなかったからだ。

 玲は物心がついてから、船も新幹線も乗った事がなく、東京へ行くのも島へ引っ越してからは初めてだった。

 「携帯で、東京の様子はよく見てたよ。
私が産まれた所はどんな国なんだろうって、気になって色々見てたら、この島とは違って凄く都会なんだね。ずっとこの目で見てみたいと思ってたんだ。だから、凄くわくわくする」

 玲は東京へ行く事を本当に楽しみにしていた。
俺は東京で生まれ、東京で育ったからあんな人でゴミゴミした場所に憧れる意味が全然わからなかったが、遠くから見るとまた感じ方も違って、綺麗に見えるもんなんだろう。

 玲は最初は元気で全然大丈夫そうだった。
しかし、次の島で乗り継いで九州へ向かう船の中で、小さな発作が出てしまった。

 玲が苦しそうに肩で息をし始めた。

呼吸が浅い。

 直ぐに、発作を止める薬を飲んで吸引してから様子を見た。
 玲の肺の辺りがぺこぺこして「ひゅーひゅー」と薄気味悪い音を出しているのがわかる。
 水分を取らせて、俺は玲の手を握った。 

 「大丈夫か?」

 「………ごめん?大丈夫だよ」

 玲が苦しそうに言う。いつもこんなに苦しい思いをしているのか。まるで水の中で溺れているように苦しむ玲の姿を見ても、なすすべなく可哀想としか思えなかった。

 俺は玲を少しでも、安心させる為に手をずっと握って、くだらない話しをし続けた。
効果などはないだろうが、玲は俺の話しを聞きながらしばらく眠ってしまった。

 船が九州に着く頃、俺はこのまま玲の体調が戻らないならば、島へ引き返す事を考えたが、玲は起きるとだいぶ気分がよくなっていた。
 俺は、入国の時に警察に捕まるんじゃないかと思ったが、なんとか捕まらずに日本へ入れた。

せめて、玲の入賞式を見てから出頭したかった。

…………だから今はまだ捕まるわけにはいかない。

  変な油汗が出る。

 日本にきた事で、あの日の夜の記憶が鮮明に思い出される。
ルキア達と強盗に入って、老人の家に行った事、ルキアが老人を殴りつけた事、そのまま無我夢中で逃げた事。
 俺は自分の右手がガタガタ震えている事に気がついて、思わず左手で押さえつける。

 思い出したくない…………
あの頃の自分に戻りたくない………

 散らかって淀んだ空気の自分の古いアパート。
俺を差し置いてバンドデビューしたかつての仲間達への醜い嫉妬心。

 時間が巻き戻されるような感覚がした。

その時、、、玲の小さな手が俺の手を握った。

俺は思わず、玲の顔を見た。

玲は笑って俺に言った。

「シンジの怖がり。大丈夫だよ」

 俺はそれを聞いて、胸の中にすーっと何かが引いていく感覚がした。
波が引くように、それは自然と俺の気持ちを落ち着かせた。
 こいつにとったら、死ぬ事以外は大抵大丈夫なんだ。

 玲はこんなに小さいのに、どれだけ大きいのだろうか。
敵うはずがないと思った。玲には絶対に。