豪華絢爛な宮廷の一角にある後宮は、皇帝の為だけに用意された花園だ。
 その為、男子禁制が原則とされており、例外的な扱いを受けるのは後宮の主である皇帝と皇帝に仕える為に適切な処置を施された宦官だけである。

「賢妃様。今宵は陛下の寵愛を受けられるのですから、そろそろ、稽古はお休みになってくださいませ!」

 雲婷は張り切っていた。

 玄家の時のように香月をお嬢様と呼ぶことはなく、賢妃と呼ぶ。その呼び方以外、雲婷は変わることがなかった。香月こそが玄家を代表する武人であると疑ってもいなかったんだろう。

 賢妃とその侍女が住まう場所として、後宮の北側に与えられている玄武宮では、香月が日課の槍を手に鍛錬を積んでいた。

「稽古を休む理由にはならない」

 香月は雲婷の言葉に従わない。

 賢妃として後宮入りをしたものの、皇帝に簡易的な挨拶をしただけだ。それ以降は音沙汰なく、後宮では玄家は懲りずに役に立ちもしない娘を送り付けてきたと不躾な噂が立ち込めている。

 ……陛下は妃として期待をしていないと言っていた。

 それは香月を絶望の淵に落とす言葉に捉えた者がいるはずだ。

 皇帝への挨拶の返事として伝えられた冷たい言葉を撤回するような文面の手紙が届いているのを知っているのは、香月と香月が信用をする僅かな侍女たちだけである。

 ……玄家に喧嘩を売るとは。頭の悪い輩もいるものだ。

 それなのにもかかわらず、噂は後宮中に広まっている。

 玄武宮の中に密偵者がいるとわざわざ口にしているようなものだ。それを香月は黙って見過ごすつもりはなかった。

 ……今宵は餌を撒く。それに食いつくような輩ならば相手にもならない。

 雲婷が期待しているようなことは起きない。

 今宵、皇帝が玄武宮を訪ねてくるのは夜枷の為ではなく、前賢妃である翠蘭を貶めた者たちを炙り出すのに必要不可欠な餌を撒く為だ。

 ……翠蘭姉上。貴女を追い詰めた輩を逃すつもりはありません。

 ここぞとばかりに賢妃の座から引きずり落とそうとする者が姿を見せるのを、香月は待ち望んでいた。

「賢妃様。玄家ではないのです。我儘は許されません」

 雲婷は香月の前で仁王立ちをしていた。

 そのまま槍を振るい続ければ、雲婷の肌を傷つけかねない距離だ。