「いいえ。悲しくなどありません」

 雲嵐は泣きそうな顔で否定した。

「お嬢様は陛下の妃に選ばれたのです。これは喜ばしいことです。陛下の御子を授かれば、いずれ、玄家の血を引く皇帝が誕生することにもなるでしょう」

 雲嵐は用意されていた答えを口にする。

 誰もがそれを正しい言葉だと肯定するだろう。

 ……胸が痛い。

 修練不足だろうか。

 一瞬、香月の頭にそのような考えが過った。

 ……体調を崩したわけでもないのに。

 雲嵐の言葉は正しい。誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう。

 それなのにもかかわらず、香月は雲嵐だけにはその言葉を口にしてほしくはなかった。

「玄家の使用人として、お嬢様の活躍を、お祈りいたします」

 雲嵐は震える声で言い切った。

 その目から一筋の涙が流れる。涙を堪えきれなかったことに気づき、雲嵐は慌てて指で涙を拭いながら、香月から顔を逸らした。

 ……雲嵐には言われたくなかった。

 香月は否定しそうになる言葉を飲み込んだ。

「……雲嵐」

 香月は引き留める言葉を口にすることはできない。

 雲嵐が本音とは違う言葉を口にしているのだとわかっていても、本音を知りたいなどと残酷な言葉を口にしてはいけないのだと察していた。

 後宮に入れば、すべては皇帝のものとなる。

 皇帝のものとなれば、香月は自身の意思を押し殺さなければいけない日も来るだろう。賢妃になれば自由も意思も奪われ、皇帝の妃としてふさわしい振る舞いをしなければならない。

 そういうものだとわかっている。

 皇帝の護衛をする為、宦官の真似をさせられる香月は、他の妃に比べれば自由に振る舞うことが許されるだろう。不幸中の幸いだと喜ぶべきか、皇帝の妃に選ばれるほど幸運なことはないのだと喜ぶべきか、香月にはわからなかった。

「木犀の花を覚えているか?」

 香月は秋頃になると甘い香りをさせる木犀の花木を思い出す。

 幼い頃から、他の四大世家との交流をする為に連れ出されることがあった。最北端に位置する玄家の領地ではなく、他家に向かう道中、愛らしい小さな白に近い淡い黄色の花を見上げるのが好きだった。