それ以上何事もなく食事が終わり、解散した。その後で、牧谷からメッセージが来た。ちょっと話したいから、明日の昼休みにある教室へ来いと書いてあった。
翌日、指定された教室へ行くと、牧谷の他には誰もいなかった。
「よう」
「おう」
とりあえず挨拶をして、近くの椅子に座る。買ってきたサンドイッチなどを広げ、俺が食べ始めると、牧谷が話し始めた。
「あのさ、君たちどうなってるの?」
「え?」
いきなり、なんだ?
「ミッキーとユッキーは、喧嘩でもしてるわけ?」
「ああ、まあ……そうなんだ」
渋々認める。
「それで、どうして俺が間に入らされてるんだよ」
確かになぁ。たまたま本を返すタイミングだっただけで巻き込まれて。いや、待てよ。それがもし鷲尾だったとしたら、この役割は鷲尾だったのだろうか。まさか、牧谷だから、牧谷がそれなりにイケメンだから巻き込んだとか。だとしたら雪哉め、やっぱり軽いやつじゃないか。
「ミッキー?」
俺が黙ってしまったので、牧谷が俺を呼んだ。
「ああ、えーと。それは、つまり……。ほら、あれだよ」
「何を言ってるんだよ。もしかして2人はつき合ってるわけ?それで痴話げんかでもしたから、ユッキーは俺と仲良くしてミッキーに当てつけてるってわけ?」
おお、よく分かっているじゃないか。
「適切な説明、ありがとう」
「やっぱりそうかぁ。ミッキーに取られちゃったんだなー。危ないとは思ったんだよね。ミッキーはイケメンだからな」
「雪哉は面食いだからな。多分」
自分でこれを言うのも何だが。
「でも、喧嘩中って事は、ワンチャンこのまま別れるって事もありなわけ?いや、そうだよ。俺今すげーチャンスじゃね?」
牧谷がちょっと興奮気味に言う。
「いや、それは」
俺が言いかけても聞く耳持たず、
「そうと分かればもう遠慮はしないよ。俺はこのチャンスをものにするからね。じゃ!」
呼び出しておきながら、牧谷は俺を置いてさっさと行ってしまった。俺はそのまま座って飯を食った。
バイトや課題やバンドの練習などもあり、一週間はあっという間に過ぎる。次のスキー部のトレーニングの日がやってきた。
先週は、雪哉が牧谷にこれみよがしに近づいて行った。今日は一体どうなるのかと不安に思いながら俺が姿を現すと、なんと!牧谷が雪哉の肩に腕を回しているではないか!仲間内で輪になって座ってしゃべっている。牧谷が無遠慮に雪哉にくっついているものだから、鷲尾は話しながらもチラチラと牧谷の腕に視線を走らせていた。遠目で見るとちょっとおかしい。
「よう」
俺は思わず、牧谷が雪哉の肩に回している腕を振り払うようにして、2人の間に割って入った。すると鷲尾がニヤッと笑った。
「よう、ミッキー」
鷲尾が言った。牧谷の顔を見ると、明らかに憮然としている。雪哉はまだ俺の物なんだよ、というメッセージを視線に込める。冗談じゃない。牧谷には負けられない。
トレーニング中も、2人組になって柔軟体操をする時などは、牧谷が真っ先に雪哉と組む。仕方なく俺は鷲尾と組む。鷲尾も面白くなさそうな視線を牧谷に送る。でもごめん、鷲尾にチャンスはないぞ。元々自分の方がリードしていると言っていた鷲尾だが……鷲尾よ、残念ながら全くそうではないぞ。
ランニングも終わり解散になった。今日はこの後の約束をしていないが、一体どうしたものか。モヤモヤしつつも、みんなで着替えて外に出た。
少々薄暗い黄昏時。みんなで門の所へ行くと、
「涼介さん、見ぃつけた!」
と、女の子の声がした。近づいて来たショートボブの女子は、
「美雪!」
雪哉にそう呼ばれた、雪哉の妹だった。
「あ、お兄ちゃんもいたの?」
美雪ちゃんがそう言うと、
「え!?」
井村、鷲尾、牧谷が同時に声を上げた。
「もしかして、ユッキーの妹?」
井村が言う。
「うん」
雪哉が答える。
「うわー、そっくりだね」
井村が言うと、
「よく言われます」
美雪ちゃんが可愛く答えた。そして俺の方に向き直り、
「涼介さん、ちっともうちに来てくれないから、迎えに来たわよ」
と言う。
「あのね、言ってるでしょ、俺は君には興味ないの」
俺が言うと、
「えー、嘘でしょー」
美雪ちゃんが俺の腕を手にとってぶらぶらさせる。
「やめなさい」
俺はぶらぶらされていない方の手で美雪ちゃんの手を剥がした。すると、
「あ、美雪ちゃんって言うの?」
「すっごい可愛いね。大学生?」
牧谷と鷲尾がずずいっと近寄ってきて、俺と美雪ちゃんの間に入ってきた。俺は押し出されて彼らの後ろへずれる。何だ何だ?
「ユッキーに妹がいたなんて知らなかったよ。一緒に住んでるの?」
「うん」
「へえ。あ、俺ね、牧谷って言うんだけど」
「あ、そう」
牧谷のやつ、まさかとは思うが……すっかり美雪ちゃんに夢中じゃねえか。鷲尾もそうだが、牧谷も必死に美雪ちゃんに自分を売り込んでいる。思わず目が点。
「はあ」
少し離れたところで、雪哉が大きな溜息をついた。はっとして雪哉を見る。そうか、雪哉が言っていたのはこれか。自分に気がある男子が、美雪ちゃんを見ると途端にそっちに夢中になってしまうという現象。
実験したいと思っていたが、図らずも結果が出た。こいつらも、やっぱり例に漏れず美雪ちゃんの虜に。
「行こう。」
雪哉が俺の腕を取って歩き出した。
「ああ。」
美雪ちゃんを囲む男子らは放って置いて、俺たちは大学を後にした。
「あの、さ。ごめん。軽いやつだとか、幻滅したなんて言って」
歩きながら、俺は雪哉に謝った。
「いいよ。それより、僕の方こそごめん。マッキーと、涼介にあてつけるような事して」
雪哉が俯きがちに言った。
「いや、いいよ、全然」
ホッとして、思わず笑みがこぼれた。良かった、なんか分かんないけどわだかまりが解けたみたいで。
「みんな、あれなんだよ。あれ」
雪哉は振り返らずに、後ろを人差し指で指して言った。それだけで分かる。美雪ちゃんを見るとああなってしまう、数多の男達。
「ああ。」
ちょっと笑って相づちを打つと、
「涼介は、違うんだね」
雪哉が言った。
「え?何?」
俺が聞き返すと、
「涼介は、美雪に取られなかった。ありがとう」
雪哉は歩きながら、頭をコツンと俺の肩に乗せた。すぐに放したが……か、可愛い!俺はガバッと雪哉の肩を抱いた。俺、幸せだ。
「どうして涼介は大丈夫なの?」
肩を抱かれたまま、雪哉がそう聞いてきた。
「女には飽きてるとか?モテモテだもんね」
雪哉がチラッと俺の顔を見て言う。
「言っただろ?お前と美雪ちゃんは全然違うんだよ。雪哉の方が可愛い」
「そうなの?」
「うん。ねえ、雪哉の部屋、行ってもいい?」
俺が聞くと、
「あー、美雪が邪魔するからなあ」
雪哉が言いよどむ。
「じゃあさ、ラブホ行く?」
更に耳元に口を寄せてそう言うと、
「え?いや、でも、僕行った事ないし!」
雪哉は慌ててそう言って、俺の腕から出て離れた。なんで離れるんだよ。
「行った事ないなら、行ってみようよ」
「でも」
「そんなに高くないよ。割り勘にすれば、飲みに行くより安く済むって」
「だけど、入るのが恥ずかしいよ」
「大丈夫だって。旅行客だけど、金がないからここに来たようなフリしてればいいじゃん」
「何それ?」
「だから、観光ホテルやビジネスホテルは高いから、ラブホに泊まるだけっていう設定で」
俺がそう言うと、雪哉はあはははと笑った。そして、
「何か変わるの?それで」
と言う。
「何も変わらないけど、気分の問題だろ?そういう人達もいるんだから、大丈夫だって」
「つまり、恋人じゃなくて、友達のフリして入るって事?」
「まあ、そういう事だな」
雪哉はそこでちょっと黙った。なので、俺は実行に移す。
「じゃ、決まりね」
そう言って、今度は手をつないだ。そして、徐々に暗くなりつつある道を駅へと進み、繁華街へと向かったのだった。
11月上旬、学祭がやってきた。俺たちのバンド「スライムキッズ」もステージを持たせてもらった。土曜と日曜、それぞれに3曲ほど野外ステージで演奏をする。室内でも演奏をする。なかなかの忙しさ。お祭り騒ぎである。
スキー部でもアイスクリームの天ぷらを作って売るそうだ。何となく雪っぽいからとか何とかで、毎年恒例だそうだ。雪哉は部長なので、そちらの準備で忙しそうだ。
「ステージは絶対に観に行くからね」
雪哉がそう言ってくれた。
当日、美雪ちゃんも友達を連れて大学を訪れ、アイスクリームの天ぷらを食べに来た。案の定、鷲尾や牧谷にちやほやされていた。ちやほやされて満足なのか、俺の方にはさほど興味を示さなくなった美雪ちゃん。まあ、雪哉と俺が上手く行っている事は分かっているのだろう。だが、お友達の方は……。
「ねえねえ、あの人だれ?めっちゃカッコイイ!」
と、俺の方を見て美雪ちゃんの袖を引っ張りながら言っていた。
「スライムキッズです、よろしく!」
俺たちの野外ステージが始まった。今のセリフは俺ではなく、神田さん。そして、歌を披露した。
ステージを終えて舞台を降りると、雪哉が俺を迎えに来た。俺が雪哉の元へ行こうとしたところへ、ダーッと女子達が押し寄せて、俺と雪哉の間を遮った。
「カッコ良かったです!」
「きゃー!」
「握手してください!」
よく分からんが、いっぺんに色々言われた。差し出された手をとりあえず握って、握って、更に握って、俺は進んだ。早く雪哉の所へ行きたいのだ。そして、やっと雪哉の目の前に着いたと思ったら、今度はおっさんが2人、俺たちの間を遮った。
「すみません、私たちこういう者なのですが」
名刺を渡された。芸能プロダクションと書いてある。
「は?」
「君、芸能界でデビューしてみる気はないかい?」
おっさん達は言った。
早瀬と名乗る30代くらいのおっさんと、川上と名乗る50代くらいのおっさんだった。名刺を渡され、マジマジと見たが、知っているような知らないような名前のプロダクション名で、胡散臭い。
「君は歌も上手いし、ルックスもいい。歌手として十分通用すると思うんだよね」
早瀬は言った。
「既に女の子達から人気者だしね、絶対成功するよ。私たちに任せてみないか?」
川上は言った。
「はあ」
いきなりそんな事を言われても困る。
「でも……あまり人前に出るの、得意じゃないんで」
俺が言うと、
「いやあ、十分だよ。あまりしゃべらないのも、ミステリアスでいいと思うよ」
「君のようなルックスしてたら、普通の人でいるのは勿体ないだろう。スターにならなきゃ、スターに」
口々に言われる。
「どうした?涼介」
そこへ神田さんが現れた。何かもめ事かと思って駆けつけてくれたのだろう。
「じゃあ、ちょっと考えてみてくれよ。ここに連絡してくれ。良い返事を待っているよ」
神田さんが来ると、おっさん達は早々に立ち去ってしまった。
「ん?トラブルか?」
神田さんが言う。
「いや、そういうわけじゃないけど。なんか、プロダクションの人だって」
「ほお」
神田さんは、俺が持っている名刺を見てそう言った。
「涼介!すごいじゃん、スカウトされたんだね?」
すぐ目の前にいた雪哉が、やっと邪魔なおっさん達がいなくなったのでこちらへ来た。
「スカウトねえ。まあ、遅いくらいだがな」
神田さんがにやりと笑った。神田さんはもう就職先が決まっているので、一緒にデビューしようとは思わないようだ。
俺と雪哉は2人で歩いた。飯時だったので、その辺でホットドッグと焼きそばを買ってきて食べた。俺はずっと気がかりだった。
「なあ、あのおっさん達、どうして神田さんが来たら逃げるように行っちゃったんだろう」
すると雪哉は気軽に笑って言った。
「神田さんの前でスカウトの話をするとさ、バンドに対するスカウトだと思われちゃうでしょ?でも、あの人達は涼介だけをスカウトしたかったから、それで逃げたんじゃない?」
「ああ……」
なるほど。確かにその線はあり得る。
「どうするの?」
雪哉が俺の顔を覗き込んだ。
「どうするって?」
「スカウト、受けるの?」
「いや、まさか。俺の柄じゃないって」
「そうかなあ。僕は、向いていると思うけどな」
雪哉が意外な事を言う。
「どこが?」
「とにかく、華やかなルックスだし。それに、涼介は歌がいいんだよねー。普段もかっこいいけど、歌う時はまた別格なんだよー。オーラ出ちゃうんだよねえ」
俺がすぐ目の前にいるのに、遠くを見るような目をして、雪哉は俺の事を褒めた。別格ってなんだ?オーラってどんなもの?
「そうかねえ」
「そうだよ!これはチャンスだよ、涼介。やってみなよ」
雪哉がこんなに背中を押してくれるとは思わなかった。俺だけだったらきっと名刺もさっさと捨ててしまうところだったと思うが、何となく、一度連絡してみようかという気になった。
早瀬に連絡をすると、あるカフェで待ち合わせをする事になった。雪哉もついてくると言うので、2人で行く事にした。雪哉はバイトがあるので、その時間まで居るという事で。
また、早瀬と川上が一緒に来た。雪哉を見ておや、という顔をした2人だが、雪哉が、
「僕はバンドメンバーではありません。彼と親しいので、ちょっと付き添いです」
と言うと、
「ああ、そう」
早瀬がそう言って、川上と目を見交わし、とりあえず俺たちの前に座った。
「まずは、今日来てくれてありがとう。これから、デビューまでの道のりについて話すね」
早瀬がそう切り出す。すっかりデビューする前提で話が進んでいる。
「最初に、事務所に所属する為の手続きがあります。書類に名前などを書いてもらったりね。それから、しばらくの間はレッスンを受けてもらいます。歌のレッスンです。今既に歌えていると思うけど、歌手になって長時間コンサートをすると、正しい発声法でないと喉を壊してしまう事もあるから、ちゃんと先生に付いてレッスンをしてもらうよ」
早瀬が説明をしながら、目の前に書類を並べる。
「あの、いつ頃デビュー出来そうですか?」
俺は聞いた。就活を平行してするのかどうなのか、それが問題だ。本格的に就活する前にデビュー出来るなら、就活について考えなくていいのだから。
「そうだね、遅くとも1年後にはデビュー出来ると思うけど、もっと早いかもしれない。レッスンの経過次第では、3ヶ月後くらいに出来るかも」
川上が言った。3ヶ月だったら、大学4年にしてデビューという事になる。それはありがたい。親にも就活についてあれこれ言われずに済む。
「いいじゃん、涼介。就活しないで済むね」
雪哉もそう言った。まるで自分事のように嬉しそうに。
「ああそれと、君がデビューすれば人気者になるのは間違いない。そうすると、雑誌記者などにつけ回される事になる。だから、今のうちから身辺整理をしておいてもらわないとね」
川上が言った。
「身辺整理、ですか?」
何の事か分からず、聞き返した。身の回りの整理整頓?家の片付け?
「恋人の事だよ。恋人がいるなら別れて、もし遊んでいるような相手がいるならきっぱりと手を切る。手切れ金が必要なら言ってくれれば何とかするから」
川上が言った。急に、大人の仲間入りをしたような気がした。確かに俺は既に二十歳を超え、酒も飲んでいるけれど、そういう事じゃなくて、何だか大人の汚い世界というか、損得勘定とか、ドロドロした物を感じた。
「恋人も、ですか?」
と聞いたのは雪哉だった。
「そう。彼にはきっと大勢のファンが出来る。マジ恋するファンもたくさんね。その時に、恋人がいるとなったら大変な事になるんだよ。今のうちに別れておいた方がいい」
何勝手な事を言ってるんだか、このおっさんは。俺は別にファンが欲しいわけでも、マジ恋してもらいたい訳でもない。
「あ、僕そろそろ時間だから。涼介、ちゃんと手続きするんだよ!それじゃあ、失礼します」
雪哉はそう言ってそそくさと立ち上がり、出て行った。
「彼もずいぶんイケメンだねえ。彼は歌の方はどうなの?君と2人組でデビューってのもありじゃないか?」
「本当ですよねえ、僕もそう思います」
川上と早瀬がそう言って笑った。雪哉は音楽が苦手だそうだから、多分そういう話にはならないと思うが。
彼は恋人です、と喉元まで出かかったが、辞めた。今し方、恋人とは別れろと言われたばかりだから。女じゃなければ構わないんじゃないだろうか。黙ってつき合っていれば、親友だと偽って一緒にいてもバレないではないか。
事務所に所属するための書類にサインはしたものの、正式な契約をするには、登録料とレッスン料が必要だと言われて戸惑った。これはやっぱり詐欺なのかな、と身構えた。
「こちらもほとんど先行投資する訳だけど、うちのような小さい事務所だと、歌の先生を雇うにもお金が必要でね。それほど高額ではないから。デビューすればすぐに取り返せるよ」
早瀬に言われた。確かにうん十万もするなら断るが、登録料は2万円で、レッスン料は1ヶ月1万円と言われた。3ヶ月でデビュー出来るなら5万だ。それくらいならバイト代で何とかなる。
と言うわけで数日後、5万円を手渡して手続きは済んだ。
「レッスンは来週からね。土曜日の夜だけど、いいかな?」
「はい」
そう言われて、別れた。レッスンの場所は後ほど連絡をくれるという話だった。
雪哉と会える日、一緒にラブホに行ったものの、どうも雪哉に元気がなかった。そして、最後にとうとう涙を流した。
「どうしたんだよ、何があった?」
両肩に手を置いて問い詰める俺。すると、雪哉は涙を手でぬぐって言った。
「これで、お別れしよう。僕が一緒にいたら、涼介の迷惑になるから」
「何言ってるんだよ。別れるなんて嫌だよ」
「でも、デビューするには恋人の存在は邪魔になるでしょ」
目に涙を一杯に溜めて、雪哉が訴える。
「そんなのバレないだろ?俺たちが一緒にいたって、友達だと思われるだけだよ」
「いや、違うよ。こうやって、この場所に出入りするのを見られたら、どれだけ悪い噂になるか」
「………」
うっかり黙ってしまった。確かに、ラブホに出入りする所を見られたり、写真を撮られてバラまかれたりすると、ちょっとまずいだろう。
「ま、確かにラブホはまずいけど。そうしたら場所を変えようよ。そうだ、一緒に住めばいいじゃん。俺が稼ぐようになったら、部屋を借りてもやっていけるよ」
「すぐに稼げるようになんて、ならないよ。それに、一緒に住んだら怪しいじゃん」
ポロポロッと雪哉の目から涙がこぼれた。うーん、そんなに難しい問題じゃない気がするのに、どうも具体的に策が思い浮かばない。
「とにかく、涼介が無事にデビューして、僕がちゃんと就職して独り暮らしするようになるまで、つき合うのは辞めよう。……すごく嫌だけど」
雪哉はそう言って、俺の胴体にしがみついて泣いた。俺は雪哉の頭を撫でながら、結局何も言えなかった。
別れようと言ったって、お互い好きなのに突然疎遠になる事も出来ず。俺と雪哉は結局は別れてはいないのだが、2人きりで会えないという状況に陥った。いつものスキー部トレーニングの日には、一緒にご飯を食べて、ゲーセンに行ったり、公園を散歩したりした。そうなると、人目があるので滅多なことは出来ないわけで。正直欲求不満だ。
歌のレッスンは、先生の都合だとかでまだ始まらない。3ヶ月でデビューのはずが、半月の間何もしていない。いつまで待たせるのかとソワソワし始めた頃、早瀬から連絡があった。
「電話では何だから、また例のカフェで待ち合わせしよう」
そう言われて、翌日大学の帰りにカフェに寄った。また、早瀬と川上が来た。
「実はね、ちょっと困った事になったんだ」
川上が眉を寄せて言う。
「レコード会社と君のデビュー曲の話を詰めているんだけどね、向こうも運転資金が枯渇しているとかで、このままじゃCDを作れないって言うんだよ。確かに、作詞家作曲家に演奏家、ジャケットの撮影のカメラマンにスタジオを抑えたりとかね、色々と金がかかるのは事実なんだ。それで、私たちもまずは負担しようという事になったんだ」
「はあ」
俺が気の抜けた返事をすると、川上は更に前のめりの姿勢になって、声を低くした。
「それでね、当面500万必要なんだ。こちらでそれだけ用意する事になっている。私たちも頑張って用意するけれども、なかなか全部は難しくてね。君、申し訳ないんだけど、100万ほど用立ててもらえないかな」
「え?俺がですか?無理ですよ」
「CDが出て、テレビに出たりYouTubeで流したりすれば、すぐに取り返せる金額だから、何とか親御さんに頼んでもらえないかな」
「親は……親には言ってないんで」
「え、親御さんに言ってないの?デビューの事」
川上が驚いた声を出す。
「はい」
「じゃあ、この間の契約金は、自分で?」
早瀬が言った。
「はい」
「それは偉いね。でも、そろそろ話してもらえないかな。それで、どうにか資金を援助してもらえないだろうか」
懇願される。困ったな。親にはデビューが決まってから話そうと思っていたのに。
親に話すか、雪哉に電話するか、色々と悩んだ。いや、雪哉に話したら、あいつの事だから何とか金を用意しようと無理をするんじゃないだろうか。親は……反対するだろうな。金が要るなんて言ったら怒られるに違いない。
親に話すより先に、神田さんに話す事にした。神田さんなら良い知恵を貸してくれるような気がした。
「もしもし、神田さん?あのさ……」
神田さんに電話をして、デビューの話をし、金の話をした。すると、
「お前、それは詐欺だろ」
「え……」
ボカッと頭を殴られたような気がした。ああ俺、何をやっているんだろう。最初は疑っていたのに、すっかり相手のペースにはめられていた。そうだよ、いつまでも始まらないレッスンとか、金が必要だとか、そもそもそんな簡単にデビューが決まるなんておかしいじゃないか。
「ははは、あはははは」
思わず、笑った。笑うしかない。何を無理して雪哉と別れようなどと。バカすぎる。
「何を笑ってんだ?」
電話の向こうで神田さんが怪訝な声を出す。
「ああ、わりい。なんか自分がバカで可笑しくなってよ。ありがとう、神田さん。確かにこれは詐欺だわ。金は出さないし、もう連絡も取らないよ」
「それがいい。警察にも行った方がいいんじゃないか?」
「いや、詐欺だという証拠があるわけじゃないし。」
「でもお前、最初に5万払ったんだろ?」
「あ!」
そうだ、5万は返してもらわないと。
「そうだな、とにかく返してもらうよ。返してもらえなかったら警察に言う」
「おう、頑張れよ」
「あの、やっぱり歌手になるのは辞めるので、この間の5万円、返してもらえませんか?」
早速俺は早瀬に電話をした。すると、
「何を言っているんだね?今更困るよ。もう色々と手配済みだし、あれは返せないな。辞めるのは自由だけど」
と来た。
「そんな、困ります」
「契約書を渡したよね。そこに書いてあるんだよ。一度支払った契約金は返金しないって」
そう言われて、慌てて書類をひっくり返す。隅々まで読んでいないし、読んでいたとしても、最初は返してもらう気があるわけじゃないから、それでも払ってしまっただろう。
「じゃあ、何をしても5万は戻って来ないんですね?」
「うん。だから、辞めるなんて言わずに、一緒に頑張ろうよ」
もう、何を言われても空々しく聞こえるだけだ。
「じゃあ、警察に相談してもいいですか?」
「……警察?なんでそうなるかな。こっちは何も罪は犯してないよね。君が納得して契約金を支払ったんだ。契約書には返金しないと書いてある。裁判になっても、こちらが勝つ事は間違いないよ」
相手は威圧的に出てきた。
「分かりました。5万円はいいです。俺の落ち度です。じゃあ、さよなら」
俺は電話を切った。100万円を支払っていたら警察沙汰だったと思うが。
雪哉に話したら、牧谷に相談しようと言った。法学部だから、だろうな。
「分かった、俺が話をしてみよう。電話番号教えて」
大学で会おうと連絡をして、昼休みに雪哉と一緒に牧谷に会いに行った。事情を話すと、牧谷が早瀬に電話をしてくれると言った。名刺を渡して電話してもらったのだが、
「おかけになった電話は、現在使われておりません」
と、アナウンスが流れたそうだ。嘘だろ……。いや、そうだよな。やっぱり詐欺師だったんだよな。こっちが100万払ったら、どのみちトンズラするつもりだったのだろう。
「ははは、俺、ばっかだなぁ。そんな簡単にデビューなんてできっこないのに」
もう、決まり悪いやら恥ずかしいやら。雪哉と牧谷は、気の毒そうにしながらも、何も言えないようだった。
「まあ、アレだな。ミッキーは本当にイケメンだから、話に信憑性が出てしまって、ついついみんな騙されたんだな。うん」
牧谷が、そう言葉を絞り出してフォローくれた。でも、神田さんは騙されなかったよな。そっか、神田さんには見破られそうだから、あいつら神田さんから逃げたんだな、きっと。俺ももっと大人にならなきゃなあ。
「それにしても、俺たち、何を必死に我慢してたんだろうな」
泣きたいやら笑いたいやら。俺と雪哉は一緒に歩いていた。もう、週一の逢瀬の日を待ちきれず、雪哉のバイトが始まるまでの短い時間、俺がバイト先まで送る事にして会っているのだった。
「でも、本当に騙されたよ。未だに詐欺だったなんて信じられない」
「そうだよな。俺より、雪哉の方が完全に騙されてたもんな」
俺はそう言って、雪哉の頭をポンポンとした。
「だって、涼介だったら絶対にスターになれると思うもん」
「でも、スターなんかになったら、俺たちつき合えないよ?」
「あ……そっか。そうだよね。僕、やっぱりそれは嫌だな」
雪哉が俯く。うう、やっぱりこいつは可愛い。もう、人目を気にする必要なんかないし。
俺は立ち止まり、雪哉の手を引いて雪哉の事も立ち止まらせた。そして、その場でキスをした。
「ば、バカ、何やってるんだよ、こんなところで!」
雪哉は手の甲で唇を押さえ、慌てふためいてそう言った。ここは繁華街の往来である。
「あははは、そんなに狼狽えるなよ」
急に、自由になったような気がした。へんてこな現象だが。
5万円は高い授業料だったが、色々と学んだ。大人になるための勉強だ。自分が案外騙されやすいという事や、もっと人目を気にせず自由になっていいのだという事。そして、詐欺師はけっこうちゃんとしたサラリーマンに見えるものだという事。雪哉が好きだという事。
再び冬がやってきた。部長の雪哉を中心にみんなで準備をし、合宿に出かけた。去年の冬、その合宿中に加わった俺。あれから1年。雪哉と出逢ってから1年だ。雪哉はもっと前から俺の事を知っていたそうだが。
実家から車で来る部員が多い。皆、スキー道具は実家に置いてあるし、車もしかり。俺も今年はスキー板とブーツを買って、いざ車で。実は運転免許を持っていたのである。あまり運転していないけれど。
初めて雪道を運転した。ただの雪道ではない。雪の山道だ。下り坂でカーブなど、かなりスピードを落さないと曲がれないと脅かされていたので、ものすごくゆっくりと進んだ。
ようやく着いた合宿所は、夏にグラススキーをする為に泊まったあの宿だ。すぐ近くには、アルバイトをしたリゾートホテルもある。
「夏に来た場所と同じだとは思えんな。雪が積もると全然違う」
「そうだね」
途中から合流して一緒に到着した俺と雪哉は、駐車場に車を駐め、外に出て言葉を交わした。
「やっと会えた」
俺は雪哉を抱きしめた。
「おいおい」
雪哉が笑って言う。車2台、前後に連なって走っていたが、それだと抱きしめられない。近くても遠く感じたのだ。
「さ、荷物を運んじゃおうよ」
雪哉が俺を引きはがしてそう言った。まあ、雪哉は部長で、俺とこんな事をしている余裕はないよな。分かってはいるけれど。
「それにしても今回の合宿、参加者多いな」
全員集まった後、学年毎の部屋に別れてもらい、俺たち3年生は事務仕事をしていた。鷲尾がそう呟き、
「そうだよな。突然増えたよな」
と牧谷も同調した。
「合宿前にいきなり増えたもんな、部員が。誰かさん目当ての女子が多いんじゃないか?」
井村が言った。いつも地味にトレーニングを行っていたスキー部だが、ここ1年、ちょっと注目を浴びていた我々。井村の言う、誰かさんというのは俺の事だろう。だが俺は黙っていた。
「だとしても、いいじゃない?部員は多い方がいいし」
雪哉がそう言って、
「そうそう、お金も集まるしね」
と鷲尾が後を受けて言った。
「団体割引もきくしな」
井村もそう言った。
翌朝、トレーニングから始めて、午後はやはり自由時間になった。初心者が多いので、初日は俺と雪哉が初心者コースを滑る事にした。新入部員ばかりで滑らせるのも不安だという事で。
とはいえ自由時間なので、俺らも自由に滑った。初心者の部員を横目に、雪哉は初心者の2倍の速さでコースを回る。俺は1.5倍くらいだが。
シュッ、シュッとリズム良く滑る雪哉。たとえなだらかな坂だとしても、その格好良さは健在。ああ、やっぱすげーな。
と、俺も後ろから見とれていたら、
「あ、ちょっと!あれ鈴城先輩じゃない?」
「うわ、カッコイイー!」
「すごーい、上手―い!」
女子達の歓声がすごい。俺が横を通り過ぎても何の反応もないんだけど?つまり、女子達の目当てって、雪哉だったのか?