「柊、最近部活楽しそうだね」
「え、そう?」
「うん。自分で気がついてないの?」

 久しぶりに朱莉と一緒に帰れたのは、中間テストが終わってからだった。
 梅雨を迎え、紫陽花が咲き始めた。
 今日も天気が悪く、まだ放課後になったばかりだというのに辺りが薄らと暗くなり始めている。

 制服は夏服に変わり、朱莉の白い腕があらわになっている。
 夏服効果なのか、最近告白の回数が増えたと聞いて俺は卒倒しかけた。
 頼むからもう少しだけ可愛いのを抑えてほしい。
 どう可愛いのを抑えるんだと聞かれても困るけれど。

「俺楽しそうかなあ。いつも右京先輩にしごかれてるだけだよ」
「登校中に二人の話聞いてると、仲良しで微笑ましいよ」
「どこをどう聞いたら仲良しになるのさ。昨日だって課題曲が弾けなかったから、部室中追いかけ回されたよ。しかも捕まってほっぺ引っ張られたし。挙げ句の果てには次やったらその長い前髪切るからなって脅された」
「あはは、先輩って意外とテンション高いんだね。クールな感じだったから意外」
「俺も最初はそう思ってたよ。でもそれは夢幻だった。ギターを弾いてる時だけ先輩はかっこいいんだ」

 俺がむすっとしながら小石を蹴ると、朱莉はなぜか砂糖菓子のような甘い瞳で俺のことを見る。

「な、なに?」

 あまりにも優しい視線で、思わず目をそらしてしまった。

「なんか、嬉しくて。柊がこうやって学校のことを生き生き話してくれることってあんまりなかったから」
「なんだよそれ。朱莉ってば俺の母さんみたいじゃん」
「お母さんではないけど、柊のことは弟みたいに思ってるよ」

 弟。あまりにも辛辣な表現だ。
 全く恋愛対象に見られていないじゃないかと凹んだ。
 朱莉は俺のことなんて気にせずに話を続ける。

「たまにいつか柊と離れる未来を想像するの。私達っていつも一緒にいたでしょう? でも大学生になったら、どうなるか分からないよね」
「‥‥なんでこの前高校に入学したばっかりなのに、もう違う大学に行く想像するの。そりゃ、俺は医療系は目指してないしもちろん別々の進路にはなるだろうけどさ。まだ考えるには早いじゃん」
「ん〜まあ、そうなんだけどね。何事も心の準備が必要かなって最近思うんだ」
「全然意味分かんない。朱莉はそうやって大人ぶって、俺のことをいつも子供扱いする」

 実際、彼女のほうが精神年齢が上でしっかりしているのは事実だ。
 だとしても、突き放されたみたいで悲しくなる。
 朱莉は昔から、たまにこうして掴みどころのない話をする癖がある。

 でも今日はなにかに怯えているような、ほんの少しの違和感がある。

「子供扱いしてるわけじゃないよ。大体私たち同い年じゃん」
「じゃあ一緒に成長していこうよ。今の言い方じゃ、俺だけ置いて行かれたみたいだ」

 ああ、恥ずかしい。
 近くに穴があったらすぐにでも埋まってしまいたい。
 スーパーで菓子を買ってもらえない子供のように、俺は拗ねてしまう。
 こんな態度をとっているから弟みたいだなんて言われてしまうんだ。

「ふふ、ごめんね。安心して、私は柊を置いて行かないよ」

 笑う朱莉の後ろには、淡い紫色の紫陽花が咲き誇っている。
 彼女の白い肌が映えて、朱莉と合わさるととても美しい。
 いつの間にか朱莉はすごく綺麗になってしまった。
 ずっと隣で見てきたのに、気がついた頃には人気者になっていていつか手の届かないところに行ってしまいそうで怖い。

 俺はあと、どのくらい君の隣にいられるんだろう。

「朱莉、写真撮ってもいい? 後ろの紫陽花が綺麗に咲いてて、なんていうか、映えってやつになってるよ」
「映えってやつってなんなの。こういう時は、普通に君が綺麗だよって褒めるものなの」
「お、俺はただ紫陽花が綺麗だなって思って」
「はいはい、まだまだお子ちゃまな柊ちゃんは女の子のことを素直に褒められませんね」

 ベーっと下を出したあと、笑った朱莉。
 その無邪気さに心の奥をくすぐられる。

 スマホのカメラを構えて、俺は朱莉に聞こえないように呟いた。

「‥‥‥君は、誰よりも綺麗だ」

 カシャ。
 シャッター音がして、たった今この瞬間の朱莉を切り取る。

「可愛く撮れた? 盛れてる?」

 朱莉が近くに寄ってきて、ふわりと柔軟剤の香りがする。

「べ、別に普通!」
「はあ〜? この私をモデルにしておいて普通とはどういうことよ、普通とは!」
「そのまんまの意味だよ。朱莉は朱莉だから」
「つまんないの! 雨降ってきそうだし、帰ろ」

 ふん! と拗ねて歩き出す朱莉。
 その横を当たり前のように歩く俺。

「雨やだなあ」
「私も。湿気で髪の毛が爆発しちゃうんだもん」
「朱莉はいつでもさらさらストレートじゃん」
「分かってないなあ柊は。女の子はね、見えないところで努力してるの。だから可愛いと思ったら速攻伝えなきゃいけないんだよ」

 伝えたいよ、俺だって。
 君が俺を男として見てくれるなら『好き』も『可愛い』もありったけ伝えたい。
 上手く言葉に出来ないなら、歌にしてもいい。
 俺が今一番知りたいことが、どうやったら君が振り向いてくれるのか、なんて朱莉は露も知らないのだろう。
 だから俺相手にこんな無防備な笑顔を見せるんだ。

「いつかのための参考にさせていただきますう」
「いつかが来るといいですねえ」
「なっ、俺には彼女が出来ないと思ってるでしょ」
「そういうの被害妄想っていうんだよ。柊はほんっと、昔から想像力が豊かなんだから。

 ま、そこが柊のいいところでもあるけど」

 朱莉は俺の気にしていることを、良いところとして変換するのが上手い。
 彼女と話すと自分の嫌いな面を、少しだけ悪くないと思えるから不思議だ。 
 朱莉の言葉にはきっとなにかの力がある。

「っ、あのさ」

 まだ告白は出来ないけれど、宣言くらいはしても良いんじゃないか。

「俺、文化祭で自分の曲歌うから、観にきてほしい」

 先に言って自分が逃げられないようにする。
 こうでもしないと、俺はまた悩んでしまうから。

 分厚い雲間から、少しだけ光が差した。

「うん、楽しみにしてる!」

 大きな目を細め、歯を見せて朱莉が笑った。

 俺はこれから先、屈託のない笑顔の君のために歌うよ。
 タイトルはなんとなく、もう決まってるんだ。
 これはまだ、誰にも秘密の話だけど。

 ばくばく鳴る心臓がうるさい。
 明日からまずはバンドメンバーを本格的に探さなければ。歌詞も書いて、曲も作らないと。
 間に合うかなと考えていると、朱莉が俺の服の裾を摘んだ。

「柊、私もちゃんと話したいことがあるの。でもまだ勇気が出なくて。だから今度、時間ちょうだい」
「う、うん」

 なんだろう。ちゃんと話したいことって。
 少しだけ嫌な予感がする。

 ぬるい梅雨の風が、朱莉の髪を揺らした。