「はあ、気が重いな」

 放課後、入部届けを手に持って軽音部の活動場所である第二音楽室の前で俺は溜息をついていた。
 朝の会話を思い出し、ほんの少ししか持ち合わせていない勇気を振り絞ってきたものの、緊張して扉を開けられない。

 一旦今日は帰ろうかな‥‥。

 うじうじと悩んでいると、中から勢いよく扉が開いた。驚いた俺は、思わず尻餅をついてしまう。

「うわあっ」
「わっ! びっくりしたあ。え、誰? いつからそこにいたの?」

 両耳にたくさんピアスのついた、黒髪のイケメンが俺を見て驚いている。

 この人知ってる。
 二年生のイケメン陽キャだ、怖い‥‥!

 相手は校内でも有名な先輩で、軽音部で一番人気のバンドのギターをしている右京(うきょう)先輩だ。
 入学式の後に行われた部活紹介で一曲披露して、学年問わず多くの女子に騒がれていた。

「えっと、あの、体験入部に来ました‥‥っ」
「まじ?! 入って入って!」

 ぎゅっと目を瞑って話すと、先輩に腕を引かれる。そしてそのまま音楽室の中に連れて行かれた。

「今さ、ちょうど他の一年も見に来てるから一緒に並んで見てなよ! 俺もこの後弾くし!」

 右京先輩の声が大きく、自分の他にも見に来ていた同級生全員の視線が集まる。
 俺とは違い、華やかなメンツが集まっている。
 本当は並んで見学などしたくないが断れない。
 仕方なく端っこに立ち、先輩方が自由に演奏している様子を眺める。

 うちの高校は軽音部のレベルが高く、市のコンテストでも毎年入賞している。
 卒業生にも有名なバンドのメンバーがいたりして、入部希望者は他の部に比べると多い。
 人気な部活だけあって注目度も高いため、本来ならば俺のような存在は場違いなのだ。

 じろじろと舐めるように見てくる視線が、いくつも交差する。

 どうしよう、今すぐ帰りたい

 ストレスでも胃がキリキリ痛む。
 だが、なんとか堪えて右京先輩の演奏を待った。
 大人しく待っていると、いかにも陽キャです! という雰囲気の同級生に話しかけられる。
 とても明るい茶髪は校則違反ギリギリのラインだ。

「なあ、もしかして宮脇さんの幼馴染の人?」
「ひゃい!」

 普通に返事したかっただけなのに、声が裏返ってしまった。なんだこいつ、という冷たい視線が突き刺さっていたたまれない。

「あー、なんていうか宮脇さんて、彼氏いたりする?」

 頬を染めて朱莉のことを聞いてくる同級生や学年の違う男を、俺はこれまで何度も見てきた。
 もうこの手の質問は慣れっこだ。

「いない、です。恐らく」

 いたら泣くけど! 立ち直れないけど!
 
『恐らく』は気持ち程度の抵抗だ。
 普通にいない。朱莉はモテるのに、なぜか誰とも付き合わない。

「まじ? よっしゃあ、ありがとう。俺松下(まつした)。軽音部に入るならよろしくな。そういえば名前なんていうの?」

 イケメン松下くんは、朱莉に彼氏がいないと知った瞬間友好的になる。
 ああ、これも散々知っているパターンだ。
 おおかた、俺のことを都合の良い情報源とでも思っているのだろう。

「う、うん。よろしく。俺は山瀬(やませ)です」

 無理やり口角を引き上げて、下手くそな作り笑いを浮かべる。
 彼にとって俺はライバルになるなどあり得ない、虫けら程度の存在なのだ。
 彼のようなタイプは、無意識に俺と朱莉が付き合うなんて天地がひっくり返ってもないと確信している。

「山瀬はなにやりてえの? キーボードとか?」

 そして俺がボーカル志望であることも、全く予想していないのだろう。
 曖昧に微笑んで「まだ考え中なんだ」と誤魔化した。

「はーい! じゃあみんな注目! 今から俺が超カッコよく弾くから絶対見逃すなよ!」

 右京先輩が大声で注目を集める。
 自然と会話が打ち切られて、俺は心底安堵した。

 ドラムの先輩の合図で、曲が始まる。
 先輩たちのバンドには今ボーカルがおらず、募集中らしい。
 ボーカル志望であろう見学者は、みんな目を輝かせて先輩たちの演奏を眺めている。

ーー俺も先輩たちみたいに自信を持てたら、いつか朱莉に告白できるのかな。

 ぎゅっと制服のズボンを握りしめて、演奏を見続ける。三曲披露すると、今日はもう解散するように言われた。

 ぞろぞろと見学者が帰っていく波に乗って、俺も帰ろうとすると誰かに肩を突かれた。
 驚いて振り向くと、右京先輩の長い人差し指が、俺の頬にぷすっと刺さる。

「あ、引っかかった〜」
「へ?」

 にこにこしながら、からかってくる先輩。
 こんなことは初めてで対応の仕方が分からない。

「なーんか気になっちゃってさ。入部届け握りしめてんのに入ってこようとしないし、演奏見てる時もすげえ怖い顔してるし。俺らの演奏に不満でもあんの?」

 笑いながら話しているが、怒ってるようにも捉えられる。俺は慌てて否定した。

「ち、違います! かっこよくて、憧れました‥!」
「ほうほう。じゃあそれに軽音部って書いて、俺に提出して」
「それ?」

 右京先輩が指さしたのは部活名の欄だけ空いている入部届けだ。
 どこの部活に入るか迷っていたので、念のため空けておいた。


「これからよろしくね、山瀬くん」

 にっこりと先輩に微笑まれ、半ば無理やり入部させられたのだった。