低気圧に弱い俺にとって、朝は毎日戦いだ。
 まずベッドから出ることがしんどい。
 ベッドから出ることがしんどいのにもりもり朝食を食べたり、しゃっきりした頭で着替えなんて出来るはずがない。

 枕元で鳴り続けるスマホのアラームを雑に止めて、二度寝をすべく目を閉じた。
 すると、今度は電話の着信音に起こされる。

「‥‥あい、」
『柊! また二度寝してたでしょ。声がまだ寝てるよ』

 画面に表示された名前は見なくても、声で誰かすぐに分かる。
 朝から俺に電話をかけてくる女の子なんて、朱莉しかいない。

『明日こそちゃんと自力で起きるって、昨日約束したの忘れたの?』
「ご、ごめん。どうしてもベッドから出るのが辛くて」
『言い訳しない。早く起きて来ないと先に学校行くよ』 
「えっわっ、分かった、起きるから待っててっ」

 朱莉と登校出来ないなら、俺はなんのために学校へ行くんだろう。

 慌てて電話を切り、回らない頭のまま顔を洗って制服に着替えた。
 とりあえず味噌汁だけ飲んで歯を磨いたら、鞄と母さんが作ってくれた弁当を持って家を出る。
 がちゃり、と扉を開けると、ちょうど隣の家から朱莉が出てきた。

「おはよう、ギリギリセーフね」
「おはよう。朱莉が電話してくれなかったら遅刻するところだったよ、ありがとう」

 寝癖のついたまま出てきた俺と違い、朱莉は毎日きちんと髪をセットして登校している。
 今日は、長くて綺麗な黒髪を高い位置で結んでポニーテールにしている。
 お気に入りの桜色のシュシュは、まるで彼女のために作られたように似合っている。

「全く。もう高校生なんだからちゃんとしてよね。ほら、行こ」
「あはは、明日から頑張るよ。多分」
「全く信用できない『頑張る』だね」

 朱莉と俺はいつも一緒に登校する。
 クラスや学校でアイドル的扱いの彼女と、冴えない俺が一緒に並んで登校できるのは幼馴染という特権があるからだ。
 そうじゃなきゃ、話すことさえままならなかっただろう。

 朱莉がさっぱりとした性格で、周囲からの視線を気にしないのも大きい。
 俺なんかと一緒にいたら何かしら言われているはずなのに、なんだかんだこうして起こしてくれて一緒に登校出来ている。

「そういえば部活どうするか決めた?」

 はれて同じ高校に入学出来たのはいいが、部活動やクラスの人間関係はとても億劫だ。
 わくわくしながら話す朱莉とは打って変わって、俺はどんよりした気分になる。

「え〜、まだ。一応軽音部が気になってるけど、正直怖い。絶対陽キャしかいないもん」
「私は柊が軽音部入ったら、すごくいいと思うけどな。柊の歌声は唯一無二だもん、絶対人気になるよ」  
「そんなこと言ってくれるの朱莉だけだよ」

 人気なんていう言葉は一番俺から遠いところにある。
 朱莉みたいな人が人気になるのは当然だけれど。

「もう、ネガティヴ禁止。やってみなきゃ分かんないでしょ」
「それはそうだけど‥‥」

 ぎゅっとリュックのショルダー部分を握りしめる。
 せっかく朱莉が褒めてくれてるのに、弱虫な俺は勇気が出なくて部活を選ぶことさえ苦戦している。

「柊だって長い前髪を切って、その猫背直したらすごくモテちゃったりするかもよ。せっかくおばさんに似て、可愛い顔してるのに勿体無い」

 朱莉が俺の前髪を上げて、彼女の大きくて光を多く含んだ目と視線が交差する。
 どきん、と大きく心臓が跳ねた。

「も、モテたいとかないし‥‥っ」

 そう、俺はモテたいから軽音部に入りたいわけじゃない。
 朱莉のために、歌いたいだけだ。

「そっか。まあ私も自分で言っておいて、柊が女の子にキャーキャー言われてるのとか想像できないや」

 からりと朱莉は笑って、俺の一歩前を歩く。
朱莉と話すと楽しいのに、たまに心臓が握りつぶされたように痛んだりする。
 頬が熱くなって、余計彼女のことを見れない。

 色んなことに鈍感な俺だけど、この感情がなんなのかもうとっくに気がついている。

「でも、柊の歌声が好きなのは本当だからね」

 振り返った朱莉が、朝日に照らされて輝いている。
 願わくば、いつまでも太陽のように笑う彼女の隣にいたい。

 俺は、朱莉に恋をしている。