君に捧ぐ歌


「おはよう。柊、どうしたの。私より家出てくるの早いなんて、熱でもある?」

 翌日。俺は朝早く目が覚めて、二度寝もしなかった。
 原因は分かってる。噂の真実を確かめるために、緊張しているからだ。
 今だって朱莉の顔を見た途端、手汗が滲んでいる。

「おはよう。ちょっと聞きたいことがあって」

 とりあえず歩き出す。
 ゆっくり立ち止まって話している時間はない。

「うん、なに?」
「あ、あのさ、朱莉が前に言ってた話したかったことってなに?」

 まずは時間をとって話したいと言っていたことを確かめる。
 あの時の嫌な予感も拭っておきたかった。

「あー‥‥それね。柊の聞きたいことってそれだけ?」

 朱莉はバツの悪い顔をして、返答を濁す。
 胸がざわつく。彼女はなにを隠している?

「あともう一個あるよーー春田先輩って人と、付き合ってるの?」

 胸につっかえていた疑問は、声に出すと案外呆気なかった。朱莉は勢いよくこちらを見る。

「なんでそれ知ってるの?」

 否定しない。どうして? 
 なんで俺に、なにも言ってくれなかったの?

「‥‥告白されたけど、付き合ってはないよ」

 横断歩道の前で立ち止まり、気まずい空気が流れる。
 付き合ってないというなら、なんでそんな辛そうな顔してるんだよ。

「でも、噂が立つってことはなにかしらあるってことだよね」

 普段おどおどしているのに、俺も俺じゃないと感じるほど言葉がすらすら出てくる。

「朱莉、隠さないで」

 彼女の名前を呼ぶ声に、力が籠った。

「付き合ってないけど、先輩には塾に送ってもらってるの」

 信号が青に変わる。
 そう言い残して、俺の前を朱莉が歩く。

「なんだよそれ。俺で良いじゃん」

 焦って彼女の後ろを着いてゆく。
 伸ばした手が、空を切った。

「いい加減、柊にばっかり甘えてられないの。私たちもう高校生なんだよ? ずっと一緒なんて変だよ」

 甘えてないよ。朱莉はいつも勝手に決めて、俺を置いてゆく。俺の話も聞いてよ。一緒にいたっていいじゃん。

 君の未来に、俺はいないの?

 まだ七月だというのに、蝉の鳴き声が朝からうるさい。暑さで揺れる陽炎が彼女を攫ってしまいそうだ。

「そっか。分かったよ」

 ああ、弱虫。
 こんな自分が大嫌いだ。
 横断歩道を渡り切ると、朱莉が振り向いた。

「柊。これだけは分かっていて欲しいんだけど、柊のことが嫌いだから距離を取るわけじゃないの。今はそれしか言えないけれど、この気持ちに嘘は一つもないからね」

 真剣な表情をした朱莉の頬を、一滴の汗が伝う。
 彼女の背には、絵の具で塗りたくったような青空と白い入道雲。

「‥‥うん、ありがとう」

 彼女との間に少し距離が空いたまま、夏休みを迎えてしまうんだろうと思った。
 でも、夏休みになって時間ができたらもう一度ちゃんと話し合おうとも考えていた。



 だけど、その願いは叶わなかった。