深い深い夏の回想から、今へと戻る。
目の間には、さっきとは打って代わって
不安そうに俺を見上げる彼女がいる。
「………そう……。きみは、あの時の…。」
「…私のこと、覚えてるの?」
「覚えてる。思い出した。」
塞き止められていた生前の記憶が
次々と、自分の中に押し寄せてきた。
まるで、映画を見ているかのように
頭の中で色鮮やかに再生された。
生まれてから、死ぬまでの一生。
出会った人達、あった出来事。
歩んだ人生。
自分で選んだ選択肢。
すべてを思い出して
一番最初に浮かんだ感情を
うまく表現できる言葉は見つからなかった。
「……結局、俺は
こういう気持ちになるんだな。」
複雑だった。
後悔しているかと問われれば
当然のように、それはあった。
愚かだったと、浅はかな行動だったと。
大切にしてくれた人達を、裏切る行為だったと。
罪悪感はとめどなく溢れ、止まらない。
けれど、あれで良かったのだと
納得している自分もいる。
あのまま、生き永らえても
苦しいことには変わりない。
行く末も変わらない。
体だけじゃなく、心も折れてしまう前に
自分の事さえ解らなくなった状態で
最後の時を迎える前に
自分が自分でいられる内に
自分の意思で
終わらせられて良かった、と。
「……―ごめんなさい。」
「なんできみが謝るの?」
大きな瞳が涙で潤んでいく。
あっという間に、あふれて、こぼれて
止まらない。
震える唇から紡がれた言葉は
ひどく弱々しかった。
「………私のせいで、管理人さん…。」
「違う。」
皆まで言わずとも
すぐに察して、強く否定した。
彼女は、自分のせいで俺が死んだと思ってる。
自分のせいだと
自分がすべての元凶だと、自分を責めてる。
「決めたのも、選んだのも、俺。」
「俺の人生は俺のもの。その責任も俺のもの。」
「俺が、きみを助けたかった。」
そうだ。
後悔や罪悪感は確かにある。
だけど
それだけじゃない。
彼女が言ってくれたように
俺を大事に想ってくれる人達はいた。
俺も大事に想っていた、ちゃんと。
愛されていた。
辛かったし、苦しかった。
何度も何度も、生まれたことを恨みたくなった。
だけど
俺の人生のすべてが
真っ暗闇なわけじゃなかった。
それも、本当なんだ。
「…ちっぽけな俺が、救えた命があったこと。」
「嬉しかったんだ。」
「何の役にも立てず
何も残せないと思っていた俺が。」
「初めて、誰かのために生きれた。」
「きみが、それをくれた。」
最後の最後に
自分が焦がれていたものを手に入れた。
そうありたいと
思っていた自分になれたんだ。
「………うん。…………うん……っ。」
言葉を繋ぐ度に、彼女の涙は勢いを増す。
何度も何度も、頷いて
顔をくしゃくしゃにして
ぼろぼろと嬉し涙を流す。
「……あのね、私ね
たくさん、たくさん
管理人さんから、もらったの。」
泣きながら
勢い良く、俺の胸に飛び込んできた彼女は
必死に、自分の胸の中にある言葉を
感情を吐露する。
「嬉しいこと、楽しいこと。」
それを、うまく表現できないのを
もどかしそうにしながらも、懸命に
「幸せも、たくさん……っ」
『ごめんなさい』以上に
伝えたかった言葉を
「………ずっとずっと、お礼が言いたかったの。」
まっすぐに俺を見て、伝えてくれた。
「管理人さん、ありがとう。」
繰り返し、繰り返し
「助けてくれて、ありがとう。」
『ありがとう』をくれる。
「命をくれて、ありがとう。」
何もできないと、残せないと思っていた。
奪うばかりで、何も返せず。
傷付けるばかりの人生で。
でも
ちっぽけな自分が、救った命があった。
守れたものがあった。
この場所で、それを実際に見て、聞いた。
いまだ、たくさんのありがとうを繰り返す彼女に
俺の視界も滲んでいく。
泣きそうになりながら、心からの笑顔を向ける。
「………こちらこそ、ありがとう。」
笑いかければ、同じような顔で、彼女も笑う。
あの日の選択は間違ってなかった。
あの日、掴んだ小さな手。
必死になって、手繰り寄せた幼い命。
彼女は再び俺の前に現れて
俺が無くしてしまったものを
捨ててしまったものを
届けてくれた。
複雑で、重くて、面倒だけれど
綺麗なもの、良いものばかりじゃないけれど
投げ出したくなる時もあるけれど
それでも、なくてはならないものなのだと
解らせてくれた。
ふたりで泣き笑いを浮かべながら
数時間ほど、会話を交わした後
いつの間にか、俺達の前に現れた無人のバス。
彼女だけが乗ることができる
そのバスの行き先は
彼女の『次』。
乗ってしまえば
目的地にたどり着けば
彼女はもう、彼女ではなくなる。
続くもの
残るものはあるかもしれないが
それでも、完全に同じ彼女ではなくなる。
けれど、彼女は
なんのためらいもなくバスに乗り込む。
未練も、迷いも、もうない。
彼女は、『彼女』としての人生を
満足して、終わらせることが出来たのだ。
「怖くない?」
「うん。大丈夫。」
「そう。」
「管理人さん。」
「うん?」
「『約束』、忘れないからね。」
「約束?」
『管理人さんのお嫁さんになってあげる。』
『一緒に本物を見に行こう!』
『一緒なら、もっと楽しいよ。』
何の事だろうかと、首を傾げて
それから、ああ、と
いつか受け流したあの言葉達を思い出し
にこにこ笑う彼女を見上げる。
「待ってるからね。
管理人さん、ちゃんと来てね。」
彼女は、俺がこのまま
ここに留まり続けることに反対のようだ。
過去を、記憶を、感情を
受け入れたのなら、きちんと『前』へ
一緒に『次』に進もうと。
「………少し、時間がかかるかも。」
おそらく、今の自分は
もう『管理人』ではない。
いつも、気付けば傍にあったあの面は
もう、どこにも見当たらない。
行こうと思えば
きっと、どこにでも行けるのだろう。
彼女は心配しているようだったけれど
これから、ずっと
ここに留まり続けるつもりはなかった。
だけど、俺はまだもう少し
『俺』のままでいたかった。
取り戻したばかりの自分を
なくしたくなかった。
「大丈夫。待ってる。」
彼女は揺るがない。力強く言い切る。
「だから、約束。」
行こうと思えば、きっと、どこにでも行ける。
けれども、本当に出会えるかは分からない。
出会った所で、お互いに今とは同じじゃない。
別の人間だ。
………それでも。
「分かった。」
それでも、もう一度、会いたいと思った。
俺の人生を変えてくれた彼女に。
「約束する。」
返した言葉に、満足そうな表情を浮かべて
彼女は「またね」と、俺に手を振り
そのまま
彼女を乗せたバスは、この場所を後にした。
ひぐらしが鳴く。
夏の終わりを報せる声が、茜空に響く。
ようやく
あの子と、俺の、長い長い夏が終わった。
そうして巡る。
季節も、時間も、人も。
平等に。
出会っては別れて
別れては
また、出会う。
***
通い慣れた停留所で、きみを待つ。
なんとなく、会える気がした。
ぼんやり景色を眺めていると
隣に人の気配がする。
「待った?」
現れた彼女は
柔らかく笑いながら、俺に問う。
「うん。」
変わっていない。
懐かしいその笑顔に、俺の表情も緩む。
きみを
きっと、きみもそうなんだろうけど
もう一度、会える日を
ずっと
「待ってた。」
目の間には、さっきとは打って代わって
不安そうに俺を見上げる彼女がいる。
「………そう……。きみは、あの時の…。」
「…私のこと、覚えてるの?」
「覚えてる。思い出した。」
塞き止められていた生前の記憶が
次々と、自分の中に押し寄せてきた。
まるで、映画を見ているかのように
頭の中で色鮮やかに再生された。
生まれてから、死ぬまでの一生。
出会った人達、あった出来事。
歩んだ人生。
自分で選んだ選択肢。
すべてを思い出して
一番最初に浮かんだ感情を
うまく表現できる言葉は見つからなかった。
「……結局、俺は
こういう気持ちになるんだな。」
複雑だった。
後悔しているかと問われれば
当然のように、それはあった。
愚かだったと、浅はかな行動だったと。
大切にしてくれた人達を、裏切る行為だったと。
罪悪感はとめどなく溢れ、止まらない。
けれど、あれで良かったのだと
納得している自分もいる。
あのまま、生き永らえても
苦しいことには変わりない。
行く末も変わらない。
体だけじゃなく、心も折れてしまう前に
自分の事さえ解らなくなった状態で
最後の時を迎える前に
自分が自分でいられる内に
自分の意思で
終わらせられて良かった、と。
「……―ごめんなさい。」
「なんできみが謝るの?」
大きな瞳が涙で潤んでいく。
あっという間に、あふれて、こぼれて
止まらない。
震える唇から紡がれた言葉は
ひどく弱々しかった。
「………私のせいで、管理人さん…。」
「違う。」
皆まで言わずとも
すぐに察して、強く否定した。
彼女は、自分のせいで俺が死んだと思ってる。
自分のせいだと
自分がすべての元凶だと、自分を責めてる。
「決めたのも、選んだのも、俺。」
「俺の人生は俺のもの。その責任も俺のもの。」
「俺が、きみを助けたかった。」
そうだ。
後悔や罪悪感は確かにある。
だけど
それだけじゃない。
彼女が言ってくれたように
俺を大事に想ってくれる人達はいた。
俺も大事に想っていた、ちゃんと。
愛されていた。
辛かったし、苦しかった。
何度も何度も、生まれたことを恨みたくなった。
だけど
俺の人生のすべてが
真っ暗闇なわけじゃなかった。
それも、本当なんだ。
「…ちっぽけな俺が、救えた命があったこと。」
「嬉しかったんだ。」
「何の役にも立てず
何も残せないと思っていた俺が。」
「初めて、誰かのために生きれた。」
「きみが、それをくれた。」
最後の最後に
自分が焦がれていたものを手に入れた。
そうありたいと
思っていた自分になれたんだ。
「………うん。…………うん……っ。」
言葉を繋ぐ度に、彼女の涙は勢いを増す。
何度も何度も、頷いて
顔をくしゃくしゃにして
ぼろぼろと嬉し涙を流す。
「……あのね、私ね
たくさん、たくさん
管理人さんから、もらったの。」
泣きながら
勢い良く、俺の胸に飛び込んできた彼女は
必死に、自分の胸の中にある言葉を
感情を吐露する。
「嬉しいこと、楽しいこと。」
それを、うまく表現できないのを
もどかしそうにしながらも、懸命に
「幸せも、たくさん……っ」
『ごめんなさい』以上に
伝えたかった言葉を
「………ずっとずっと、お礼が言いたかったの。」
まっすぐに俺を見て、伝えてくれた。
「管理人さん、ありがとう。」
繰り返し、繰り返し
「助けてくれて、ありがとう。」
『ありがとう』をくれる。
「命をくれて、ありがとう。」
何もできないと、残せないと思っていた。
奪うばかりで、何も返せず。
傷付けるばかりの人生で。
でも
ちっぽけな自分が、救った命があった。
守れたものがあった。
この場所で、それを実際に見て、聞いた。
いまだ、たくさんのありがとうを繰り返す彼女に
俺の視界も滲んでいく。
泣きそうになりながら、心からの笑顔を向ける。
「………こちらこそ、ありがとう。」
笑いかければ、同じような顔で、彼女も笑う。
あの日の選択は間違ってなかった。
あの日、掴んだ小さな手。
必死になって、手繰り寄せた幼い命。
彼女は再び俺の前に現れて
俺が無くしてしまったものを
捨ててしまったものを
届けてくれた。
複雑で、重くて、面倒だけれど
綺麗なもの、良いものばかりじゃないけれど
投げ出したくなる時もあるけれど
それでも、なくてはならないものなのだと
解らせてくれた。
ふたりで泣き笑いを浮かべながら
数時間ほど、会話を交わした後
いつの間にか、俺達の前に現れた無人のバス。
彼女だけが乗ることができる
そのバスの行き先は
彼女の『次』。
乗ってしまえば
目的地にたどり着けば
彼女はもう、彼女ではなくなる。
続くもの
残るものはあるかもしれないが
それでも、完全に同じ彼女ではなくなる。
けれど、彼女は
なんのためらいもなくバスに乗り込む。
未練も、迷いも、もうない。
彼女は、『彼女』としての人生を
満足して、終わらせることが出来たのだ。
「怖くない?」
「うん。大丈夫。」
「そう。」
「管理人さん。」
「うん?」
「『約束』、忘れないからね。」
「約束?」
『管理人さんのお嫁さんになってあげる。』
『一緒に本物を見に行こう!』
『一緒なら、もっと楽しいよ。』
何の事だろうかと、首を傾げて
それから、ああ、と
いつか受け流したあの言葉達を思い出し
にこにこ笑う彼女を見上げる。
「待ってるからね。
管理人さん、ちゃんと来てね。」
彼女は、俺がこのまま
ここに留まり続けることに反対のようだ。
過去を、記憶を、感情を
受け入れたのなら、きちんと『前』へ
一緒に『次』に進もうと。
「………少し、時間がかかるかも。」
おそらく、今の自分は
もう『管理人』ではない。
いつも、気付けば傍にあったあの面は
もう、どこにも見当たらない。
行こうと思えば
きっと、どこにでも行けるのだろう。
彼女は心配しているようだったけれど
これから、ずっと
ここに留まり続けるつもりはなかった。
だけど、俺はまだもう少し
『俺』のままでいたかった。
取り戻したばかりの自分を
なくしたくなかった。
「大丈夫。待ってる。」
彼女は揺るがない。力強く言い切る。
「だから、約束。」
行こうと思えば、きっと、どこにでも行ける。
けれども、本当に出会えるかは分からない。
出会った所で、お互いに今とは同じじゃない。
別の人間だ。
………それでも。
「分かった。」
それでも、もう一度、会いたいと思った。
俺の人生を変えてくれた彼女に。
「約束する。」
返した言葉に、満足そうな表情を浮かべて
彼女は「またね」と、俺に手を振り
そのまま
彼女を乗せたバスは、この場所を後にした。
ひぐらしが鳴く。
夏の終わりを報せる声が、茜空に響く。
ようやく
あの子と、俺の、長い長い夏が終わった。
そうして巡る。
季節も、時間も、人も。
平等に。
出会っては別れて
別れては
また、出会う。
***
通い慣れた停留所で、きみを待つ。
なんとなく、会える気がした。
ぼんやり景色を眺めていると
隣に人の気配がする。
「待った?」
現れた彼女は
柔らかく笑いながら、俺に問う。
「うん。」
変わっていない。
懐かしいその笑顔に、俺の表情も緩む。
きみを
きっと、きみもそうなんだろうけど
もう一度、会える日を
ずっと
「待ってた。」
