その存在は言った。




『あなたは罪を犯した。』



『その罪を償うまで
相応の時を、ここで過ごしてもらう。』



『この場所の、管理人として。』




目が覚めた時

自分は何もない原っぱに、ひとり突っ立っていて
そこがどこなのかも、自分が誰なのかも
何一つ分からなかった。


永遠と続く草原を
あてもなく、ただ歩き続けていると


開けた空間に、突然
ぽつんと現れたのは、黒猫の古風な面。


地面に落ちていたそれを、手に取った瞬間
頭の中に声が響いた。


男なのか、女なのか
子供のような、大人のような
性別も年齢も、定かではない。

けれど、どこか聞き覚えのある柔らかな声。



『あなたは死んだ。』



声は粛々と言葉を続けた。


自分は、自ら命を断ったのだと。

現(うつ)し世に生を受けたものは
みな、平等にその生を全うする義務がある。

その義務を途中で投げ出した人間
つまり、自死を選択した者には
ペナルティがあるのだと。

そのペナルティと言うのが、自分が今いる場所。

あの世とこの世の狭間。

行く場所が定まっていない人間が赴く
休憩所のような、停留所のような
この場所の、この空間の管理をすること。



「いつまでですか?」

『あなたが投げ出したものと
同等の時間、重さを得たとき。』

「それを得たら、俺はどうなりますか?」

『行くべきところへ行ける。』



自分が死んだ実感がないからか
自分に関する記憶を一切持ち合わせていなかったからか

目の前のその現実を、その存在の言葉を
特に疑うことも、怪しむこともなく
あるがまま受け入れた。


どうせ、行くあても目的もない。

この場所に拘束されたところで
なんの不自由もない。



「分かりました。」



そうして俺は、この場所の管理人になった。





***





この場所は訪れる人によって姿を変えた。

望むもの、その記憶によって景色を変える。



高層ビルが立ち並ぶ都会の街並み。

のどかな田園風景が広がる田舎町。

古びた木造校舎。

茜色に染まる海。

色とりどりの花が咲き誇る花畑。

遊園地、映画館、ショッピングモール…。



色んな人間がここへ来た。


泣いていたり、怒っていたり。

傷付いていたり、心配していたり。

嬉しそうに、満足そうに笑っていたり。



色んな話を聞いて、色んな記憶の景色を見て

色んな人生を知った。



行くべき場所が分からない人。

それが分かっているけど、行きたくない人。

後悔や未練があって
行くべき場所が分かっていても、行けない
人。

なにも考えず、ひたすら休むため留まる人。

自分の死を受け入れられない人。



たくさん話して、触れ合って

たくさん、たくさん、見送った。


どれだけ時間がかかっても
どんな状態だったとしても
人は、自分で答えを見つけて進んでいく。

それを知った。



ひとり見送っては、また、ひとり迎え入れる。


繰り返し、繰り返し


出会っては別れて、別れては、また出会う。



そして



今日も俺は、知らない誰かと出会う。





***





「……だれ?」

「ここの管理人。」

「ここはどこ?」

「ここは、きみの停留所。
あの世とこの世の狭間にある場所。」



お決まりの質問に、お決まりの回答。

定型文と化したそれを、淡々と返せば
地面にぺたりと座り込んだままの
その女の子は、不安げに瞳を揺らす。



「……私、死んだの?」

「覚えてない?」



幼い容姿をしているけれど
ここでは、それは年齢の判断材料にならない。

なぜなら
死んだ時の年齢、姿ではなく
本人が、一番思い入れのある時の姿で
ここを訪れるから。

本人が望むままに
中身もそのまま、その時のまま
幼くなっていたり、逆もまた然(しか)り。



「…………なにも、思い出せないの……。」

「そっか。じゃあ、思い出すまで
のんびり過ごせばいいよ。」



彼女は混乱しているようだったけど
俺は、そういう反応にも慣れたものだ。


彼女のような人間は珍しくない。


何も思い出せない
記憶喪失状態で、ここを訪れる人間は
今までも何人もいた。


すぐに記憶を思い出す人もいれば
長い時間をかけて、少しずつ思い出す人
何も思い出せず、そのまま去っていった人もいた。



「………のんびり。」

「うん。生き物は無理たけど
それ以外なら、なんでも創れるからここ。」


「あなたも……死んでるの?」



答える代わりに、彼女の手を取り
自分の胸に当てる。



「…………心音、ない…。」

「死んでるからね。」



かつてあったはずの
それは、どんな音だったか。

自分の体温とは、どういうものだったか。

それも、思い出せないまま。



「…………管理人さんは、ずっと、ここにいる?」

「いるよ。管理人だから。」

「………よかった。」

「ん?」

「…………………ひとりになるの、怖い……。」




どうやら、「今」目の前にいるこの子の中身は
年相応のようだ。


知らない場所で
迷子になって不安がる、幼い子供そのもの。



見ず知らずの人間に
いきなり、自分は死んだと聞かされ

知らない場所で、本人は何も覚えてない。

まわりに見知った相手は、ひとりもいない。


……まあ、不安になって当然だ。



というより


自分含め、今まて出会った記憶喪失者が皆
肝が据わっているというか、無頓着というか
特殊だっただけで。

この子の反応が
人として普通なのかも知れない。



「とりあえず、休もうか。」

「どこ行くの?」

「あそこ。きみの記憶の断片から創られた場所。」



いまだ、座り込んだままの彼女に手を差し出して、引っ張り上げ


そのまま、あぜ道を歩く。


見えたのは、田舎町でよく見かけそうな古民家。




「……ここ、知ってる。」

「だろうね。ここは、きみの停留所。
きみの記憶で出来ている場所だから。」




縁側に吊るされた風鈴が
涼しげな音を響かせる。

い草と、蚊取り線香が混ざったような香り。

整えられた庭先に咲いているのは、ひまわり。


夏の記憶だと、見て取れる。




「顕在意識で認識できていなくても
無意識で認識していたり
断片的に浮き出た記憶の欠片を捕まえて。」


本人が覚えていなくても
強い思いや、記憶が魂に刻まれていたりする。

それを、この空間は読み取って
自身に投影する。




「きみが居やすいよう
過ごしやすいように、空間が形を変える。」

「よく解らないけど、すごいんだね。」

「ほら、布団もある。少し横になるといいよ。」



室内を見てまわって
押し入れから発見した布団を敷けば
言われた通りに、彼女はそこに横になった。



「……………ここ、ほっとする。」

「慣れ親しんだ場所だろうからね。」



はっきりと思い出せなくても
匂いや感触、音
感覚的に覚えているものもあるだろう。



「……管理人さん。」

「なに?」

「……………そばに、いてね。」

「うん。」



わずかばかりでも
安堵できる場所を見つけた彼女は
緊張と不安の糸が緩んだのだろう。

うつらうつらと舟を漕ぎ出した。


眠りに落ちる寸前に
控えめに俺の手を掴んでそう言うと
そのまま、静かに瞼を閉じた。



「……さて。今回はどうなることか。」



あどけない寝顔を眺めながら
ぽつりと呟いた独り言は
チリンチリンと静かに鳴り響く風鈴の音に搔き消された。