約束の時間はお昼。ちょうどランチでどこに行くにも混み合う頃合いだろう。逆にこれを狙っており、どこにも入れないまま全てを話し、さっさと帰ってくる。これが俺の計画だった。
 この間と同様に姉さんからカバンやらポーチを借りた。中にはリップやら小さなミラー、スマホにハンカチ、財布を入れ込んだ。小さなカバンにこれだけ沢山の物を入れていると思うと、女の子の持ち物は四次元ポケットにも思える。普段から大学に行く際に、少しでも身軽にしたくて、必要最低限の物しか持ち歩かない自分とはやはり違う生き物のだと思った。
 電車に乗って、大学の最寄りより二駅前で降りた。駅前だけ栄えていて、映画館や人気のカフェや、少し歩けばショッピングモールなどがある所だ。春休み期間ということで、多くの人が行き交っている。指定してきたのはあちら側で、家が近いとかそんな理由かと思っていた。不安要素は大学付近だということだが、休みのこの混雑に紛れてどうせ誰にも見つかりっこないだろう。
 流石に女性ものの腕時計は用意出来なかったため、スマホで時間を確認をした。まだ少々時間がある。することも無いし、フラフラして迷っても困る。俺はまっすぐ待ち合わせの駅前広場にある大きなモニュメントへ向かった。
 人が交差するたびに、ロングスカートの裾が捲れて脛のあたりがサワサワと気になってしまう。
 スカートは失敗だったか……。
 人の行き交いもそうだが、春独特の強い風がスカートを靡かせる。駅からそんなに距離が無いはずの待ち合わせ場所なのに、裾に引っ付いた布が邪魔で歩き難く、ほんの少しの距離が遠く感じた。
 モニュメントの近くにやっと着くと、どっと疲れが出てきた。カバンからミラーを取り出し、ウィッグがズレていないか適当に確認をする。大丈夫そうだったが、無意識にこんな身だしなみまでチェックする自分に恥ずかしくなった。いや、どうせならあいつの記憶に残るぐらいの良い女になっても良い。俺という『ましろ』という女はもうこの世に存在しないのだ。好きなようにやっても後腐れないだろう。
「ま、ましろさんっ」
 不貞腐れたことを考えていた途中、名前を呼ばれた。振り向くと、この間とは違うパーカーを着た太陽がぎこちない笑顔をこちらに向けて立っていた。
「あ、太陽……くん。こ、こんにちは」
 からかってやろうとか考えていたくせに、いざとなると気恥ずかしくなって声が上擦った。
「こ、こんにちは!あー良かった……」
 太陽は俺の顔を見るなりほっと胸をなで下ろす。
「あの、どうかした?」
「あー……あはは。この間からちょっと時間空いたから、本当に来てくれるのかなって。気になって俺すげー早く着いちゃって余計に不安が募ったというか……。でも、来てくれたから嬉しくて」
 気の抜けたような笑い方をしながら彼は言った。本当に俺が来るのか不安だったのが伝わる。割と早めに着いたと思っていた自分よりも、もっと早く待ち合わせ場所に来てしまうぐらい気持ちも焦っていたようで、少し申し訳なくなった。
「きょ、今日の服!この間と感じが違って、その、凄く似合ってるね」
「あ、ありがとう……。つい最近買ったばかりなの」
 これは全然嘘ではない。姉さんがスニーカーに合わせて着るならこれだ、といって用意してくれた。背も丈ももともと大きくはない俺を見越して、多分自分が今後着ても大丈夫な服を選んでいるあたりは、ちゃっかりしているけれど。
「それじゃ、行きましょうかっ」
「え、どこに?」
「お店、予約したんです。あの、パスタとか好きですか?」
「す、好きですけど……」
 腹にたまらないからあまり食べない、とは言えずにこりと返すと太陽はまた嬉しそうに笑う。それにしてもまさかそう来るとは……。俺は奥歯を噛み締めた。
 勝手にデート初心者、むしろ女の子の扱いなんて知らないやつだろうと決めつけていた。そういえば、こいつには心配やら相談に乗ってくれるような友達がこの間あのベンチにいたのを思い出す。ヘタレに見えてしっかりしているのかもしれない。
 なかなか歩き出さない俺を不思議そうに見て、尽かさず側に駆け寄ってきた。
「もしかして、また靴擦れした?」
「えっ、いや、ううん。大丈夫。行こっか」
 覗き込まれた時、一瞬ドキッとした。前髪から覗く太陽の目に思わず視線が奪われる。いやいやいや。相手は男だ。それも見てくれ的に童貞でヘタレ。今時の女の子がドキッとするタイプには見えない。俺は心の中で首を必死に振って邪念を払うと、太陽の横に並んで店へ向かった。

 昼時だから仕方ない。予約してくれていた店内も、バタバタと店員があちらの席へこちらの席へと行ったり来たりと忙しそうだった。
「良かった……やっぱ予約して正解だったなぁ。ここ、友達がお薦めしてくれたんだ」
 フフンと鼻を鳴らして勝ち誇った様な顔をしながら太陽がメニューを閉じた。やっぱり、相談相手がいたか。
 先程店員に注文をしたが、俺に遠慮をしてなのか大して頼んでいない気がした。もっと食べればいいのに。俺の方が我慢しているんだぞ、色々と。
「ありがとう。気を遣わせてごめんね」
「えっ。いや、俺がしたくてしたっていうか……お店勝手に決めちゃってごめん……」
 首を振って、そんなことない、と伝えると目があって太陽が嬉しそうに目を細めた。
「謝ってばかりだね、太陽くん。この間はもっと必死謝ってきたけど」
 急に足を触って、靴擦れをしたところに絆創膏を貼り、我に返って必死に謝ったことを思い出させると、太陽の顔はみるみる赤くなっていった。
「あの時は本当にっ」
「ほら、また」
「うっ……」
「あははっ」
 必死になにかを言い出そうとするのに、言葉に詰まって何も言えない彼を揶揄うのは思っていた以上に楽しくて、その困った顔に胸が高鳴った。くすくすと俺が笑い続けると、太陽は苦笑いを浮かべて別の話題を振った。
「そういえば今更なんだけど、ましろ……さん、で名前合ってる?」
「うん」
 太陽はホッとして前のめりになっていた身体を背もたれにつける。本名は真城雪弥だが、まぁこの際はその方が女の子みたいな名前だし、間違いでもないから大丈夫だろう。
「さんは付けなくても良いよ。歳も近いでしょ?」
「えっと、じゃあ……ましろちゃん」
 俺の名前を呼び、太陽の顔がまた赤くなる。そろそろこいつ、顔から火を噴く勢いだ。
「ましろちゃん、かぁ……」
 この間、通りすがりの太陽を見た時に彼の友達がふざけて俺のことを「ましろん」と呼んでいるのを思い出した。
「何でも良いよ。太陽くんが呼びやすければ」
「そっ、か……そう、するね」
 会話が途切れた。注文も先程終わらせてしまったし、メニューをもう一度見るのも何だか落ち着きがない。沈黙が耐えれずスマホをカバンから取り出したが、太陽の寂しそうな視線が少し気になって仕方なく画面を伏せたままテーブルに置いた。
「あの、ましろちゃん。この間の事なんだけど」
「この間のって……あぁ」
 思い出した。こいつは俺に告白をしていたんだった。
 太陽に目を合わると、緊張と照れを隠すようにグラスの水を一気に飲み干した。そんな姿を目の当たりにした俺も、何故か緊張が伝染してきてしまう。
 どうしよう、何から話せば良いのだろう……。
 出来るだけ傷つけない方法は何だ?この後の関係を良好に保てる方法を……。いや、この状況を楽しむのなら、このままからかって遊んでみても……。
 二人して相手の出方を伺っていると、店員が先程注文した二人分のパスタを運んできた。
 湯気の立つ出来立てのパスタを目の前にしても、太陽は真剣な顔のまま自分が握ったグラスを穴があくほど見つめている。
「あの……お腹空いちゃった」
「あ、俺もっ」
「やっと顔上げた」
 俺がくすりと笑うと、彼の喉がゴクリと音を鳴らすのが聞こえた。フォークを渡すと、ゆっくりと手を出して受け取る。
 俺相手にそんなに緊張しなくても良いというのに。遊んでやろうとか考えていたくせに、申し訳なさが込み上げてきた。
「い、いただきますっ」
 言葉の放ち方は焦っているくせに、動きがゆっくりすぎてなんだか歪だった。こんな面白い人が目の前にいて、笑わずにはいられなかった。