「今日はごめんね」
 コーヒーを二つ頼んだ黒崎さんはあれからずっと申し訳無さそうな顔をしっぱなしで、だんだんと迷惑がっているこちら側にも非があるような気がしてきた。
「いえ、パフェの件は姉さんが食べたかっただけだし。結果的にちゃんと割引も出来ていたから良いんじゃないですか?」
 俺の返答にクスクスと笑った。少しだけ張り詰めた空気が緩和される。
「嫌がらせをしたかった訳じゃないんだけどさ、露骨に迷惑そうな顔はするし、しまいには泣きそうな顔でお店に入るし……」
 黒崎さんは大きなため息をつきながら言う。
「泣きそうって……大袈裟じゃないっすか?」
「なに、無自覚?」
 揶揄うように言われて、腹が立った。分かったような口振が余計にむしゃくしゃする。泣きそうな顔に見てたとしても、この人に話す筋合いはない。
 怪訝そうな顔をしたせいか、黒崎さんはまた吹き出して、肩を震わせながら話をし始めた。
「本当はさ、さっきみたいなデートをしてみたかったんだ」
 コーヒーが二人の前に置かれる。黒崎さんはカップにミルクを入れてマドラーをゆっくり回した。
「それって、黒崎さんの好きな人とってことですか?」
「んー、まぁそうだね」
「じゃあ、なんで俺なんかと」
「別に。真城は可愛いから連れ歩きたくなっただけ」
 この大嘘つきめ。
 俺の眉間に皺が寄ったのを見て、黒崎さんは肩をすくめた。
「……俺も、言ってどうこうなる間じゃないんだよ」
 黒崎さんはカップに口を付ける。
「気持ちを伝えたら崩れる関係かもしれないって思うと、動くことすら怖いんだ」
 妙に腑に落ちる言葉だった。黒崎さんはソーサーにカップを置くと窓の外を眺めていた。合っているかは分からないが、なんとなく黒崎さんの想い人の顔が浮かぶ。きっと物凄く鈍感で、黒崎さんの気持ちを知らないことを良いことに、振り回すだけ振り回している人だろう。誰とは言わないけれど。
「言わないとわからないこともあるとは思いますけど……」
「それは真城も、だろ?」
 痛いところを突かれて、俺は口を噤んだ。そりゃ、俺だってあいつのことは嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、自身が持てないのだ。この姿の俺を好きだとあいつに言われたらと思うと怖かった。怖くて、自分から一歩進むことを拒み続けているのは事実だった。
 俺が余程難しい顔をしていたのか、黒崎さんはまた吹き出して笑い始めた。
「ごめんごめん。その、羨ましくてね。君たちが。だからちょっと突いてやろうかなって。ただのお節介」
「羨ましいって……俺らが?」
 黒崎さんは頷いた。
「二人の気持ちって一方通行じゃないだろ?相手を信じてしまえば楽だって、真城は分かっているんじゃない?」
「う……」
「何がそんなに気に入らないのかは知らないけどさ。赤澤くんのこと、本当は大好きなくせして遠ざけてるよね」
 図星を突かれてまた何も言えなくなる。この人の言いたいことって、太陽のことかよ……。
「……別に、黒崎さんには何も関係ないでしょ」
「それはそうかもしれないけど、君達を引き合わせたのは俺と青木だし、拗れさせちゃったのも俺らだし。色々と気にしちゃうんだよね」
 関係ないとは言わせない、と言っているようだが、青木先輩の名前が出てくるとどうしたって面白がっているとしか思えない。どうこの場を凌ごうか考えながら、コーヒーのカップを持ち上げると、バン!と大きな音が店の入り口から聞こえた。
 俺だけではなく、黒崎さんも周りの客も入り口へ視線を向けた。誰かが店の扉を力任せに開いたようだった。座っている席からは壁が邪魔で、どんなやつかはよく見えない。まぁ、見えたところでどうせ迷惑な客だろう。嫌なタイミングだ、と思った時だった。
「あれ?」
 黒崎さんが呟いたと同時に、こちらへ足音が近づいてくる。その足音の主が誰だったか気がついた時には息を飲んだ。
「……太陽?お前、何して」
「雪弥さん、ちょっとお話があるんですけど」
「……はぁ?」
 すると、力強く手首を掴まれた。
「ちょ、痛っ」
 優しく掴まれた記憶がある半面、こんな強さは初めてで、下っ腹あたりがざわついた。おまけにいつもより鋭い目付きで俺を見ている。
「なにすんだよっ」
「良いから、立ってください」
「強引だよ、赤澤くん。腕に痕が残ったらどうするの」
 黒崎さんの一言で、力を緩めた太陽は俺から手を離すと深呼吸をしてから小声で謝った。その指先を見ると、絆創膏が貼られていて赤黒い血が滲んでいた。
「おまえ、その手どうしたんだよ」
「別に。どうでもいいでしょ」
「良くないって、ほら貼り替えるから」
 俺は鞄をファスナーを開けた。姉さんに借りた小さな鞄には、靴擦れをしてからは絆創膏を入れるようにしていた。
「いいってば。それより、俺、ずっと連絡入れていたんだけど」
 太陽はテーブルの上に伏せて置いていた俺のスマホを指さした。そういえば全然スマホを覗いていないことを思い出し、画面を確認すると数件の着信履歴が表示されている。
「悪い……気がつかなくて」
「そりゃ、楽しいデートですもんね」
「…………は?」
 太陽は目を逸らして続けた。
「俺と会うときはそんな格好もうしないって言ってたくせに。そうやって他の人の前ではやれるんですよね。美男美女でお似合いカップルですよ」
「何言ってんだよ。これは成り行き上の問題で……」
「誰でも良いんでしょう。自分がチヤホヤされるなら」
 棘のある言い方が胸に刺さる。太陽は俺を見ないまま喋り続けた。
「やっぱ、俺のことからかってたんスよね。結局、そういうことでしょう?」
「なっ、そんなこと」
「そんなことありますよ……!毎日毎日、そりゃしつこかったかもしれないけど!俺は常に本気だったのに!雪弥さんには何も伝わってなかったんじゃないですか!」
 店内がざわつき始めても、太陽は喋り続ける。
「太陽、俺の話を」
「人の話を聞かなかったのは雪弥さんでしょう!?」
 心臓がピタリと止まるようだった。勢いよく放たれた言葉は俺の胸を貫いて、全身に痛みが走った。目を見開いて太陽を見るが、一度も目を合わせてくれなかった。息が苦しくて、力無くその場に座り込む。何も言えなかった。言い返す言葉なんて無かった。太陽の言う通りで、俺がろくに話も聞いてやっていなかったのは事実だ。彼の気持ちと自分の気持ちの向いている方向が違うと、勝手に決めつけていた。自分だけが不安で、自信のなさに苦しんでいると思っていた。苦しんでいたのは、毎日本気の気持ちをぶつけても相手にされていない太陽だった。
「……すみません、大きな声を出したりして。お邪魔しました」
 太陽がぺこりと黒崎さんに頭を下げた。
「雪弥さんも。今までしつこくしてすみません。俺、もう辞めますから」
「……え?」
「雪弥さんを好きになるの、辞めます」
 心臓がギュッと締め付けられた。冷ややかな太陽の目は、俺の方を一切見ようともしない。何か言わなくてはいけないと、そう思うのに身体が動かなかった。覇気のない太陽の声が頭の中でこだまして、声が出せない。
「赤澤くん。それ、本心じゃないよね?」
 黒崎さんは立ち去ろうとしている太陽に声をかけた。
「さぁ……もう、何かよく分からないっスね」
 太陽は下を向いたまま、俺のことを見ることなく店内から出て行ってしまった。