手に持っていたトレーを床に落として我に返った。バイト先のレストランに来店したカップルを見て思わず手の力が緩み、カシャン!という皿の割れる音でハッとした。
「す、すみませんっ!し、失礼致しましたぁっ!」
 慌ててしゃがみ、割れた皿を拾い集める。おずおずと視線を上げ手様子を伺うと、二人組は俺に気が付いておらず、別のウェイターに席へ案内されているところだった。
 なんでここに雪弥さんが……。しかも、ましろちゃんの格好で?それよりもどうして黒崎さんと一緒に?いや、もしかしたら似ている女の子なだけで、あれは雪弥さんではないかもしれない……。
 本人にまだ確認を取っていないのに焦る必要もないだろう。でも、どう見ても相手の女の人はましろちゃんにしか見えなかった。
 もうあの格好はしないって言ってたし……。でももし、あれが雪弥さんだったら……?いやいや、やらないって言ったらやらないだろう。あの人、意外と頑固なところあるし……!でも、俺がましろちゃんを見間違えることのほうがあり得ないだろ……!
 視線をゆっくりと上げ、もう一度まじまじと二人が座った席を見る。
 やっぱり。あれは絶対、雪弥さんだ……。
 似ているというものではない。あれは正真正銘雪弥さんで、ましろちゃんだ。
「痛ッ……」
 苛立ちと焦りで力んでしまい、指先を割れた皿の破片で切ってしまった。最悪だ、調子が狂う。再び破片を集めようと手を伸ばすと、後ろから店長に声をかけられた。
「赤澤くん、あとはやるから上がって良いよ」
 腕時計に目をやると、もうすぐシフトの終わる時間だった。
「ご、ごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫。帰る前にちゃんと手当てしてもらいなね」
 店長は箒と塵取りで手際よく掃除すると、レジに立っていた女の子に俺の手当てをするように言った。

 バイトを退勤した俺は、すぐさまスマホを取り出して雪弥さんの連絡先を開いた。いつもならなんの躊躇もなくすぐに押せる通話ボタンなのに、今日はすんなりと押すことができない。じっと画面を見つめたまま、奥歯を噛み締める。店内に乗り込むことも考えたが、バイト先でトラブルに発展するのは避けたい。それに、直接二人を見るのが嫌で仕方なかった。手当てをしてもらった指先の傷は大して深くないのに、じんじんと熱を帯びている。
 俺って、こんなに勇気がなかったっけ……。
 あんなに付き合って欲しいと、必死になっていたはずなのに。誰よりも好きな自信があって、誰よりも側にいたいって思っていたのに。毎日呆れられるほど気持ちを正面からぶつけていた。 はぐらかされても、それが愛情の裏返しだとか勝手に解釈して。毎日かわされても、雪弥さんは小悪魔系だから俺を焦らしているだけなんだと、そう自分を言い聞かせてチクチクと突く痛みを緩和させていた。それがなんだ、急におかしなぐらい自信が無くなってしまった。以前はスマホの画面で名前を見るだけで高揚したというのに、今はその名前を見るだけで心臓のあたりがやけに痛み出す。喉元は苦しくて、飲み込む唾が張り付いて気持ちが悪い。今朝まではこんな症状はなかったし、すんなりとメッセージを送れていた気がする。
 もしかして……今まではぐらかされていたのは、別に相手がいたから?
 不安が募って嫌な事ばかり浮かんでくる。さっさと本人に聞けば済む事なのは重々分かっているのに、自分にも雪弥さんにも苛立って上手く状況の整理がつかない。かと言って話を聞く勇気も、聞き入れる心の広さも持ち合わせていない自分が一番ムカついた。
「くっそ……」
 舌打ちをし、ぎゅっと強く目を瞑る。俺は深呼吸をし、一縷の望みをかけて画面の通話ボタンを押した。