気が進まない。あれから太陽のことが気になって仕方なかったし、これ以上学内という太陽がいつどこで見ているかわからない場所で「ましろちゃん」になることは果たして良いことなのだろうかと、自問自答はまだ続いていた。しかも最悪な形でバレたばかりだ。あの格好で再び会うことを決めたのは自分。結果的に俺が嘘を重ねてあいつを騙したのだ。先輩達は何も悪くない。全部自分が悪い。こんな気持ちになるのなら、さっさと全部話して互いにとっておかしな思い出として、笑い話にした方がマシだった。だけどもう、全部遅い。後悔して、今更猛省した。彼の気持ちを踏みにじったことに胸が痛い。毎日、あの日の太陽の楽しそうに笑う顔が浮かんでは苦しくなった。何度か連絡を試みたが、そんなことをして余計に傷つけてしまったらと思うと気が引けた。本当はただ謝りたいというわけじゃない。彼のあの嬉しそうな顔が崩れてしまったことがショックで、何度も何度も関係を修復したいと願ってしまった。そんなことを思う権利は俺にはないというのに。スマホのメッセージアプリを開いて、何度目かの溜息を吐く。下手したら一日中繰り返していた。
あぁ、もう……どうかしている。
数日前はどう回避しようか困惑していた相手に、四六時中思いを寄せている時点でどうかしている。それも相手は男だ。新しい恋をして振られたことを吹っ切るはずの合コンに行き、結果的に何故か新しく知り合った男のことばかり考えている。
それもこれもこの罰ゲームで始めた女装のせいだ。人を傷つけた行為なのだ、もうそこで辞めれば良いのにそれでも約束は約束だからと、サークルのために馬鹿正直に姉さんからメイクを教わり、姉さん程上手くは出来ないが一人で準備が出来るようにまでなってしまった。我ながら本当に飽きれてしまう。
「おーい、美人が台無しだぞ」
部室の鏡の前で大きな溜息を吐くと、背後から青木先輩が覗き込んできた。
「うわー。やっぱお前この方が良いわ。マジ可愛いって。この格好でずっといてくれるなら全然付き合えるわ」
青木先輩は真剣な顔をして言っていた。この人のやること言うことは全て冗談だ。本心で俺と付き合う気は毛頭無い。俺と付き合いたいって言った男は後にも先にも太陽だけだろう。
「うん、ほんとすごいよ……。青木もやれば良いのに。化けるかもしれないよ?」
青木先輩の横で、手伝い要員として駆り出された黒崎さんが立っている。ここ最近よくサークルにこの顔を出すが入部希望者ではないらしい。新入生より、まずこの人を口説き落とすべきだろうが。
「こんな美人が既にいるんだったらやる意味無いだろ?こいつの顔見てみろよ、今日で学内一付き合いたい女子に昇格間違い無しだぞ」
「青木の女装が見れるって言うから手伝いに来たのに……」
「残念だったな、この物好きが」
嫌味ったらしく青木先輩が黒崎さんに言った。
「あいにくですけど、俺は空気の読めない方とお付き合いは無理ですね」
「まだ怒ってんのかよ。謝ったじゃん。それに相手は男だったし、寧ろ助けてやっただろ?」
今度は先輩が大きなため息をついた。オーバーな動きまで見せるから少し腹が立つ。それに助けてやったなんてのは思い上がりだ。
「だからだっての」
仕上げにグロスを塗って、立ち上がった。今日はワンピースを着ていた。姉さん曰く、スカートなら男性体型が綺麗に隠れるらしい。セミロングの髪を耳にかけて、カチュームをつけた。まだ肌寒いから、今朝自分が着てきたデニムのジャケットを羽織ると、青木先輩は「カレジャケかよ」と軽くツッコミを入れた。
「男避けっすよ」
鼻で笑ってやると、二人は苦笑いを返す。冗談で答えてやったが、半分は本気だ。また変な気を持ったやつが現れても面倒くさい。
「さて、そろそろ外行きますか」
俺はサークルの勧誘ビラの入ったダンボールを持ち上げようとした。だが、しゃがみ込んだところで黒崎さんに止められた。
「一応、今は女の子ってことだからね」
そう言って、中に入っていた束を少しだけ手渡され、後は任せろと箱を持って先に出て行く。青木先輩はダンボールには目もくれず、部室にあったパイプ椅子を二脚重ね持つと、俺と黒崎さんの後ろにくっつく形で部室を出た。
イベ部の部室は三階にあり、今日は一応スニーカーではあったが、準備で忙しくする人が行き交うためワンピースがふわりと浮かぶ。ゆっくり歩いて行かないと、捲れて最悪なことになりかねない。慎重に、なるべく早く、確実に一段ずつ降りていく。ゆっくり歩く俺にしびれを切らした青木先輩は先に行くと言って、パイプ椅子のぶつかり合うガチャガチャ音を立てながら数段飛ばして階段を降りて行った。
「焦ってもまだ新入生来ないぞ」
「わかってるって」
黒崎さんから注意を受け、若干不機嫌な顔を見せたが、直ぐに鼻歌混じりに歩き出す。
この浮かれ野郎め……。
勧誘期間に変なテンションの先輩がいたというマイナスイメージを新入生に与えるのだけは勘弁してほしい。俺の不機嫌な表情を読み取ったのか、隣にいた黒崎さんは苦笑いをしていた。
前から思っていたが、本当にこの人は青木先輩の何なんだろう。気になった上に目があって、口を開きかけた時、先程軽快なリズムで階段を降りていったはずの青木先輩の大きな声とガシャン、というパイプ椅子の落下音が階段に響いた。
「やっぱり。やると思った……」
呆れた俺をよそに、ダンボールを持ったまま黒崎さんは早足で階段を下っていく。それを見て慌てて後を追うと、青木先輩は部室棟の出入口で人とぶつかっていた。
「まったく……浮かれすぎだよ、何してんだ」
ダンボールを置いて黒崎さんが呆れながら青木先輩に駆け寄った。
「こっちもボーッとしてて」
ぶつかった相手と青木先輩はどうやら出入口を出る手前でぶつかってしまったらしい。先輩は、「こいつが急に振り返ってきた!」と、腰をさすりながら言う。
「注意散漫な先輩も悪いでしょ……」
思わず溜息混じりに呟いた。しゃがみ込んで、ぶつかった相手に手を差し伸ばし、「大丈夫ですか?」と声をかけた。
すると、その相手の顔を見て俺は息を飲んだ。
「あ……」
「ま、ましろちゃん……?」
ぶつかった視線が何かを貫いたかのように、身体が動かない。青木先輩がぶつかった相手は太陽だった。しかし、こんなのところで会うとは思わなかった。いや、会うかもしれないけれど、素顔は知らないはずだからと勝手に安心していた。まさか同じ日に部室棟で出会うとは思ってもみなかった。
しかも、寄りによってこんな格好の日に……。
ガチャガチャとパイプ椅子とダンボールを持ち直した先輩達は、俺に何かを言っていたようだが、全く耳に入らない。すべての神経が太陽に向いていて、それ以外の世界が遮断されていた。
「ひ、久しぶり……」
視線がぶつかったまま、俺から口を開いた。何が久しぶり、だ。どのツラ下げて言っているのだろうか。自分が嫌で嫌で仕方ない。
「……久しぶり」
数秒の間があき、小さな声が返ってきた。全く相手にされないと思っていたからか、嬉しくて思わず手の甲で口元を隠す。
「怪我は……?」
「だ、大丈夫っ」
「そっか……。じゃ、急いでるから……」
鳴り止まない心臓音が太陽に聞こえないように、ついさっき駆け寄った時にばらけてしまったビラを掻き集めた。それを見ていた太陽も一緒になってビラを掻き集め始める。
「いいよ、お前も急いでるんだろ」
太陽は無言で束を整える。そんなに時間はかからないことなのに、すごく長い時間が過ぎているような錯覚に陥った。
「これ……」
恐る恐る束を渡してきた太陽は、以前よりも俺の方を見ないようにしていた。あからさま過ぎて何も言えない。嫌な痛みが胸を刺した。
「……どうも」
俺は束を受け取り、自分の拾った分と合わせた。
「それじゃあ……」
そう言って太陽は部室棟の中へ戻って行った。たった少しだが会話ができたことに喜んでいた自分とは別に、二度と会いたくない相手に再会してしまった彼のことを考えると、また胸が痛む。それもこれも全部自分が悪い。彼を傷付けたのは間違いなく俺だ。今更許されるのは虫が良すぎる話だろう。不思議に込み上げた悔しさに鼻の奥がつうんと痛むのを感じた。奥歯を噛み締め、俺はビラを抱えて先輩たちのところへ戻った。
あぁ、もう……どうかしている。
数日前はどう回避しようか困惑していた相手に、四六時中思いを寄せている時点でどうかしている。それも相手は男だ。新しい恋をして振られたことを吹っ切るはずの合コンに行き、結果的に何故か新しく知り合った男のことばかり考えている。
それもこれもこの罰ゲームで始めた女装のせいだ。人を傷つけた行為なのだ、もうそこで辞めれば良いのにそれでも約束は約束だからと、サークルのために馬鹿正直に姉さんからメイクを教わり、姉さん程上手くは出来ないが一人で準備が出来るようにまでなってしまった。我ながら本当に飽きれてしまう。
「おーい、美人が台無しだぞ」
部室の鏡の前で大きな溜息を吐くと、背後から青木先輩が覗き込んできた。
「うわー。やっぱお前この方が良いわ。マジ可愛いって。この格好でずっといてくれるなら全然付き合えるわ」
青木先輩は真剣な顔をして言っていた。この人のやること言うことは全て冗談だ。本心で俺と付き合う気は毛頭無い。俺と付き合いたいって言った男は後にも先にも太陽だけだろう。
「うん、ほんとすごいよ……。青木もやれば良いのに。化けるかもしれないよ?」
青木先輩の横で、手伝い要員として駆り出された黒崎さんが立っている。ここ最近よくサークルにこの顔を出すが入部希望者ではないらしい。新入生より、まずこの人を口説き落とすべきだろうが。
「こんな美人が既にいるんだったらやる意味無いだろ?こいつの顔見てみろよ、今日で学内一付き合いたい女子に昇格間違い無しだぞ」
「青木の女装が見れるって言うから手伝いに来たのに……」
「残念だったな、この物好きが」
嫌味ったらしく青木先輩が黒崎さんに言った。
「あいにくですけど、俺は空気の読めない方とお付き合いは無理ですね」
「まだ怒ってんのかよ。謝ったじゃん。それに相手は男だったし、寧ろ助けてやっただろ?」
今度は先輩が大きなため息をついた。オーバーな動きまで見せるから少し腹が立つ。それに助けてやったなんてのは思い上がりだ。
「だからだっての」
仕上げにグロスを塗って、立ち上がった。今日はワンピースを着ていた。姉さん曰く、スカートなら男性体型が綺麗に隠れるらしい。セミロングの髪を耳にかけて、カチュームをつけた。まだ肌寒いから、今朝自分が着てきたデニムのジャケットを羽織ると、青木先輩は「カレジャケかよ」と軽くツッコミを入れた。
「男避けっすよ」
鼻で笑ってやると、二人は苦笑いを返す。冗談で答えてやったが、半分は本気だ。また変な気を持ったやつが現れても面倒くさい。
「さて、そろそろ外行きますか」
俺はサークルの勧誘ビラの入ったダンボールを持ち上げようとした。だが、しゃがみ込んだところで黒崎さんに止められた。
「一応、今は女の子ってことだからね」
そう言って、中に入っていた束を少しだけ手渡され、後は任せろと箱を持って先に出て行く。青木先輩はダンボールには目もくれず、部室にあったパイプ椅子を二脚重ね持つと、俺と黒崎さんの後ろにくっつく形で部室を出た。
イベ部の部室は三階にあり、今日は一応スニーカーではあったが、準備で忙しくする人が行き交うためワンピースがふわりと浮かぶ。ゆっくり歩いて行かないと、捲れて最悪なことになりかねない。慎重に、なるべく早く、確実に一段ずつ降りていく。ゆっくり歩く俺にしびれを切らした青木先輩は先に行くと言って、パイプ椅子のぶつかり合うガチャガチャ音を立てながら数段飛ばして階段を降りて行った。
「焦ってもまだ新入生来ないぞ」
「わかってるって」
黒崎さんから注意を受け、若干不機嫌な顔を見せたが、直ぐに鼻歌混じりに歩き出す。
この浮かれ野郎め……。
勧誘期間に変なテンションの先輩がいたというマイナスイメージを新入生に与えるのだけは勘弁してほしい。俺の不機嫌な表情を読み取ったのか、隣にいた黒崎さんは苦笑いをしていた。
前から思っていたが、本当にこの人は青木先輩の何なんだろう。気になった上に目があって、口を開きかけた時、先程軽快なリズムで階段を降りていったはずの青木先輩の大きな声とガシャン、というパイプ椅子の落下音が階段に響いた。
「やっぱり。やると思った……」
呆れた俺をよそに、ダンボールを持ったまま黒崎さんは早足で階段を下っていく。それを見て慌てて後を追うと、青木先輩は部室棟の出入口で人とぶつかっていた。
「まったく……浮かれすぎだよ、何してんだ」
ダンボールを置いて黒崎さんが呆れながら青木先輩に駆け寄った。
「こっちもボーッとしてて」
ぶつかった相手と青木先輩はどうやら出入口を出る手前でぶつかってしまったらしい。先輩は、「こいつが急に振り返ってきた!」と、腰をさすりながら言う。
「注意散漫な先輩も悪いでしょ……」
思わず溜息混じりに呟いた。しゃがみ込んで、ぶつかった相手に手を差し伸ばし、「大丈夫ですか?」と声をかけた。
すると、その相手の顔を見て俺は息を飲んだ。
「あ……」
「ま、ましろちゃん……?」
ぶつかった視線が何かを貫いたかのように、身体が動かない。青木先輩がぶつかった相手は太陽だった。しかし、こんなのところで会うとは思わなかった。いや、会うかもしれないけれど、素顔は知らないはずだからと勝手に安心していた。まさか同じ日に部室棟で出会うとは思ってもみなかった。
しかも、寄りによってこんな格好の日に……。
ガチャガチャとパイプ椅子とダンボールを持ち直した先輩達は、俺に何かを言っていたようだが、全く耳に入らない。すべての神経が太陽に向いていて、それ以外の世界が遮断されていた。
「ひ、久しぶり……」
視線がぶつかったまま、俺から口を開いた。何が久しぶり、だ。どのツラ下げて言っているのだろうか。自分が嫌で嫌で仕方ない。
「……久しぶり」
数秒の間があき、小さな声が返ってきた。全く相手にされないと思っていたからか、嬉しくて思わず手の甲で口元を隠す。
「怪我は……?」
「だ、大丈夫っ」
「そっか……。じゃ、急いでるから……」
鳴り止まない心臓音が太陽に聞こえないように、ついさっき駆け寄った時にばらけてしまったビラを掻き集めた。それを見ていた太陽も一緒になってビラを掻き集め始める。
「いいよ、お前も急いでるんだろ」
太陽は無言で束を整える。そんなに時間はかからないことなのに、すごく長い時間が過ぎているような錯覚に陥った。
「これ……」
恐る恐る束を渡してきた太陽は、以前よりも俺の方を見ないようにしていた。あからさま過ぎて何も言えない。嫌な痛みが胸を刺した。
「……どうも」
俺は束を受け取り、自分の拾った分と合わせた。
「それじゃあ……」
そう言って太陽は部室棟の中へ戻って行った。たった少しだが会話ができたことに喜んでいた自分とは別に、二度と会いたくない相手に再会してしまった彼のことを考えると、また胸が痛む。それもこれも全部自分が悪い。彼を傷付けたのは間違いなく俺だ。今更許されるのは虫が良すぎる話だろう。不思議に込み上げた悔しさに鼻の奥がつうんと痛むのを感じた。奥歯を噛み締め、俺はビラを抱えて先輩たちのところへ戻った。



