「アッチっ!」
 焦って口に含んだコーヒーはまだ少し熱く、慌ててカップから口を離すとコーヒーが数滴服に飛んだ。
「やばっ!あー……絶対怒られる」
 咄嗟にコーヒーと一緒に持ってきてもらったおしぼりを掴んで水滴が飛んだ箇所を拭く。茶色く滲んだそれは、洗濯で落ちるのか心配になった。
「あの、さっきのって……」
「ん、えーと……。まぁ、もう良いか。そ、これ女装。言うに言い出せなくてその、ここまで来ちゃったというか……」
「じゃあ、本当に……」
 目の前に座る太陽の顔は、だんだんと真っ青になっていく。そりゃ、さっきのさっきまで気持ちが募って好きで好きで仕方ない女の子がまさか恋愛対象外だったなんてな。俺なら絶対トラウマになる。
「あぁ、本当だよ。私……いや俺は男。キミと同性。自分で言うのもなんだけど、元が良いからって罰ゲームで女装させられてたんだよ。そこにたまたま通りかかったってだけ。流れ弾食らったとでも思ってくれない?」
 スラスラと言葉が出てくる自分に感心する。自己防衛にしても程があるだろう。でも窮地に立った口は止まらなかった。
「ちょっとまって、よく分からない……。えっと、だってほらましろちゃんは女の子の格好してるし!」
「とりあえず落ち着けって。そんなに信じられないって言うなら脱いでやろうか?」
 すると太陽は下を向いたまま、首が飛んでいく勢いで首を横に振った。まぁ、見たかないよな、そんな現実。
「でも、ごめん。本当は今日、それを伝えようと思って来た。黙ってて悪かったよ」
 太陽は下を向いたきり、全然顔を上げない。現実も女装男も見たくないっていう感じだろう。このまま本当にトラウマを産むことになってしまったら申し訳が立たない。とんでもないことをしていると分かっていたが、ここに来て取り返しのつかないことをしている実感に、俺の中でも焦りと罪悪感が込み上げる。
「本当にごめん。申し訳ないと思ってるよ。ってか、俺なら殴ってブチキレるところなんだけど……。なぁ、一発殴ってもいいぞ」
 太陽はまた強く首を横に振った。きっと何をしても許してはくれないだろう。舞い上がっていた気持ちを踏みにじったのだ。ショックも大きければ傷も深い。ごめんじゃ済まないこともわかっていた。
 でも……。
「あのさ、こんな形でこんなことを言うのは信じられないかもなんだけど。俺、このデート少しだけ楽しみにしてた……。その、これは嘘じゃないから」
 傷口に塩を塗ってしまっただろうか。でも、これは本心だった。新しい靴を履いて、新しい服を着て、ちょっと早めに家を出る。自分でも少し、いやかなり浮かれていたと思う。女装なんていうリスキーな体験も相まって、今まで付き合った女の子とのデートよりも何倍もドキドキした。おかげで昨夜はよく眠れないほどに。
「まぁ、今は何言われても信じられねぇよな……」
 一瞬、ぴくりと太陽の身体が動いたが、俺の本心を聞いても顔を上げようとはしない。やはり傷つけてしまった。居たたまれなくて、カバンから財布を取り出し二人分のランチ代を置いた。これがお詫びになるかっていったら、絶対にならないのだろうけれど。
「……変なこと言って悪かったな。それじゃあ……」
 下を向いたままの太陽に別れを告げて、俺は店を後にした。