放課後、瓊子(にこ)に呼び出されて向かった先はグランシャリオの社長室だった。ものすごく嫌な予感がする。

部屋に入ると、椅子の上で足を組みながら座る男性がいた。
貫禄(かんろく)と風格のあるこの人が九十九 正道(つくも せいどう)
グランシャリオの社長であり、瓊子と紫萌(しほ)さんの父親でもある。
この人が僕らを呼び出したのだろう。
近くには紫萌さんもいた。

「きみが新羅 皓月(にら こうき)くんだね?知ってると思うけど、生前お祖父様の河勝(こうしょう)さんには大変お世話になったよ。おかげで会社は大きく成長した」

前置きはいい。
僕を作った人に会ったところで何かが変わるわけじゃないし、このままこの空間にいたら感情をコントロールできなくなってしまいそうだから。

「話ってなんですか?」

「うちの娘があんな投稿をしたことで迷惑をかけた。代わりに謝罪する」

(かのえ) 紫萌こと星 のえかが投稿したクローンの拡散は思ったよりも早かった。
先日入手し投稿した証拠と企業名を公表したことで多くのメディアによって取り上げられ、そこから徐々に注目されていき、気がつけば一番熱を帯びていた不倫報道を押しのけていた。
まだ僕の特定には至っていないが、それもいずれ時間の問題だと思う。
とはいえ、感情のない謝罪ほど不愉快なものはない。
無表情のまま口を開く。

「目的は何ですか?」

そんなことを言うために呼び出していないことくらいわかっていた。

「これは我々グランシャリオの問題だ。きみは関わらないでもらいたい」

「ちょっとパパ、そんな言い方しないで。新羅くんがどれだけ苦しんでると思ってるの」

「瓊子、おまえも関わるな。これは大人の問題だ」

「パパはすぐそうやって切り分ける。人のクローンを作ることは犯罪だってわかってたんでしょ?」

「あれはクライオニクスによる延命行為が叶わなかったことによる再生処置だ。我々は依頼を受けたから作った。それだけだ」

そんな無責任な。
人のことを何だと思っている?

「そうやっていつも都合の悪いことは人のせいにして自分を正当化させる。他の人の意見には聞く耳をもたない。だからママが愛想つかしたんでしょ?」

「瓊子にもママにも何不自由なく生活させてきた」

「人はね、心が満たされなきゃ幸せじゃないの。パパのやっていることはペットに住む家と餌を与えているだけ」

「夫婦というのは色々あるんだ」

「まともに話し合おうともせずに仕事ばっかして何が夫婦よ。私やママがどれだけ辛かったかパパにはわからないでしょうね」

「過去の話をしにきたのなら出ていきなさい」

「マジなんなの‼︎」

「瓊子ちゃん落ち着いて。お父さんもそんな突き放すような言い方しないで。今回の話はそこじゃないでしょ」

紫萌さんが仲裁に入ったが、ゴクリと(つば)を飲む音すら響き渡るほどに空気は重いままだった。

「この計画、やめてくれませんか?」

「それはできない」

そう言うと思った。
そんな簡単にやめられるのならここまで問題にはならない。

「爺ちゃんからの支援はかなりの額だったと聞いてます。依頼で僕を作ったとはいえ、僕の言葉を無碍(むげ)にはできないんじゃないですか?」

いまの状況下で僕が証拠を持ってネットで拡散すればきっとメディアが動く。
そうなればこの計画を止めざるを得ないと思った。
とは言っても、きっとこの人には届かないだろうけれも。
ビジネスにおいて僕はサンプルの1つでしかないのだから。

「家族や社員を守るためにはお金が必要だ。売上のない会社は()ちていく一方なのだよ」

「だとしてもやり方があるでしょ」

紫萌さんの声には重石(おもし)が乗っているようだった。
社員としてなのか、娘としてなのか、それとも人としての感情なのかはわからないが、僕が言うよりも心に響いてほしいと願った。

「言っておくが告発しようとしても無駄だぞ。もうアカウントはないし他のニュースはすべて証拠がない。金庫にあったファイルもすでに回収させている」

見るとすでに星 のえかのアカウントは削除されていて、誰も見ることができなくなっていた。
便乗(びんじょう)して投稿しているネットニュースはどれも証拠がなく、信憑性に欠けるものばかりだ。

「リークして(おとしい)れようと画策(かくさく)したのだろうが詰めが甘い。私の手にかかれば個人アカウントを消すことなど造作もない。あまり大人を舐めないことだ」

社会的に見たら成功者かもしれないが、1人の大人としては尊敬できる部分がまったく見えなかった。

「それから、紫萌には本日付けで依願退職してもらうことになった」

何も言わない彼女を見るに、こうなることも覚悟の上だったのだろうか?

「パパって本当に私のこと何も知らないのね」

「どういう意味だ?」

スクールバッグからクリアファイルに入った例のレポート用紙を見せた。
自宅の金庫から持ってきていたようだ。

「私の指紋でも開けられるよう設定を変えたことに気づいていなかったなんて、本当呆れる」

「いつからそんな悪い子になった?」

「私は良い子なんかじゃない。だってパパの子だから」

「言っておくがそんなもの証拠にならん。私が趣味で小説を書いているといえばそれきりだ」

「お父さんのことだからそう言うと思った」

そう言って紫萌さんがスマホで電話をかける。
しばらくすると、部屋に1人の女性が入ってきた。
眼鏡をかけた優しそうなこの人は写真で見た人。
今回の計画でクローン研究の室長をしている禮央(れお)の母親の(かおる)さんだ。

「雪平、どうした?」

「社長、もうやめましょう」

(うつむ)きながらおそるおそる口を開く薫さん。
それに対して眉間に皺を寄せて不服そうな表情を浮かべる社長を見て思った。
この会社は九十九 正道の力が強すぎるのだ。

「これがどれだけ夢のあるビジネスかわかっているのか?」

「息子に言われたんです。もうこんなことしないでほしいって」

きっと禮央はその事実を知りながらずっと親に言い出せなかったことを悩んでいたのかもしれない。

「パパ、もう諦めたら?」

「私はきみの脳内のデータを消去することもできるんだぞ?」

諦めの悪い九十九 正道が僕の方を睨んでそう言う。

「それはできません」

薫さんがそう言った。

「どういうことだ?」

「もう差し押さえられています」

僕らがここに呼ばれたときにはすでに警察によって差し押さえられていた。

「どいつもこいつも勝手なことを」

どっちがだ。
爺ちゃんから依頼があったとはいえ、僕を作ることを決めたのはあなただ。
そもそも僕を作らなければこうはならなかった。

ほどなくして扉をノックする音がしたあと、「失礼します」と言って数人の大人が入ってきた。
瓊子が先ほどのレポート用紙を渡すと、大人たちが警察手帳を見せ、
「ファイルはこちらで預かっております。署までご同行願いますか?」
あのニュースの後、九十九 正道は薫さんに回収するよう指示していたが、すでに警察の手に渡っていた。
瓊子の家に行った後、(なぎ)(いさみ)さんこといっさんにコピーを見せていて、先日瓊子の撮ったものも合わせて見せていた。
そのときに禮央も母親にこの計画をやめるようお願いしていた。

「それと、これまでの会話すべて録音済だから」
瓊子がスマホの録音記録を聞かせる。

さすがの九十九 正道も観念したようだ。

「パパはもう少し人を大切にした方がいいわよ」

吐き捨てるように言った瓊子の表情はどこか儚げだった。

死んだ人間が復活するとかクローンとして生まれ変わるとかそんなのやりはじめたらこの世はめちゃくちゃになる。
そもそも有限である一度きりの人生にやり直しなんてない。
それができてしまえば尊厳、倫理観、感謝や後悔、そういった生きる上で大切なものに価値がなくなってしまう。
ゲームのようにコンティニューなんてできないし、僕以外にクローンなんていてはいけないのだ。
これ以上クローンが作られないことを願う。

瓊子の父親は逮捕され、関与していた役員たちは書類送検された。
研究資料なども没収され、僕の脳内から遠隔で収集していたデータも消去されることになり、グランシャリオによるPI計画に終止符が打たれた。
もともとこの計画はクライオニクスがダメだった場合の応急処置として、脳内に専用のマイクロチップを埋め込んで一時的に記憶をつなぐことを目的としてはじまったが、いつしかPI計画という名に変わり、人そのものをクローン化して意図的に増やしていくというおそろしい計画に切り替わっていた。
禮央の母親たちも疑念を抱きながら九十九 正道に対して何も言えず黙認している状態だったようだ。
爺ちゃん含めて彼らのやったことは決して容認できるものじゃないけれど、知ってしまった以上いつか赦さないといけない日が来るのだと思う。
脳内のマイクロチップが外されることはないが、もうデータを抜かれることもないからその点では安心だ。
これで本当の意味での普通の生活ができると思う。

無事解決したと思えたが、気づけば注目の的は僕になっていた。
世間はいち企業の不正問題よりも、実在する人型クローンに興味があったのだろう。
パパラッチのように僕をつけまわし、連日にわたり家や学校に報道陣がやってきては同じ質問を何度もしてくる。
最初は気の強い母さんが追い払っていたが、再生回数を増やす目的で僕の個人情報やバイト先、家の住所を公表したユーチューバーも現れた。
警察が動いたことで少し落ち着いたが、それでも通学路で出待ちしたりバイト先にやってきてはマイクを僕に向ける無粋な人もいた。
小学校のときに凪に出会い、平和な中学生活を過ごしてそのまま高校に入った。
そしたら転校生がやってきていきなりクローンだと言われて、そこから生活ががらりと変わってしまった。
僕が作られた存在であることを家族は知っていたのだろうか。
もし知っていたのだとしたらなぜずっと黙っていたのだろう。
そんなことをたしかめる気力もなくなるほどに疲れた。
いままでヒトだと思ってして生きてきたことをすべて否定され、厭世(えんせい)的になった僕は何もかもが嫌になった。
スマホの電源を切って少しのお金だけ持って遠くへ出かけた。
何がクローンだよ。
こんなのファクティス(まがいもの)じゃないか。
誰もいない場所に行ってそこで静かに消えてなくなろう。
痛い思いはしたくないから飛び込んだりするのは嫌だった。
だから僕のことなんて知らないネットも通っていないような静かな場所で。
電車に乗ってとにかく遠くへ行った。
スマホのない時間は久しぶりだった。
景色を眺め、広告を見てはこれもすべて空想なら良いのにと思う。
本当のヒトとして育っていたら見え方も違ったのだろうか。
きっといまは現実というものを受け入れられない状態なのだろう。
心をなくしたまま電車に揺られる。
外の日は暮れていた。
そんなことにも気づかないくらい魂が抜けていた。
終点につくと、すでに雪が積もっていた。
テンションが上がることもなくできるだけ人気(ひとけ)のない道を選んで歩いた。
歩道と車道の境目もわからないほどに積もった雪道を彷徨(さまよ)い歩く。
大した防寒もしてきていないから外の風は寒いというより痛かった。
徐々に指先の感覚がなくなっていく。
いっそのこと雪の中に身体を埋めてこのまま消えてなくなりたい。
街灯もなく人もいないそんな場所で消えても誰も気づかないだろう。
クローンなはずなのに身体は正直だ。
喉は乾くし、寒くて凍えそうだし。
かすかな光を頼りに歩いた先にあった自動販売機で暖かいココアを買う。
これで財布の中は空っぽ。何も買えないがこれでいい。
ココアを一気に飲み干すと甘く温かい味が全身に()みわたった。
なんでだろう。
急に大粒の泪が溢れてきた。
ヒトじゃないのになんで泪が出るんだよ。
まがいものなのにどうしてこんなに苦しくて辛いんだよ。
溢れる泪を拭うことなく、その場にしゃがみこんだ。
いろいろ疲れた。
もう、どうでもいいや。