陽葵に話しかけたのは、ただの気まぐれだった。いつも一人でいる彼女を見かけて、なんとなく声をかけたくなったんだ。
最初はどう反応していいのかわからなかったし、明らかに煙たがられてるのを感じた。でも、なんだか放っておけなかった。
次の日も、また声をかけた。
すると、少しだけど返事が返ってきた。最初は短い言葉だけだったけれど、徐々に陽葵の表情が変わってきた。少しずつ笑ってくれるようになった。あの冷たく見える表情が、次第に柔らかくなっていくのがわかった。少しずつ心を開いてくれる陽葵を見て、俺は思わず胸が温かくなった。
そして、気づけば、陽葵のことが無意識に気になっていた。俺だけに見せるその表情に目が離せなくなっていた。
そんなこと、陽葵は知らないだろうけど......。
――夜の静寂が、部屋を包んでいた。
時計の針は深夜を指している。
陽葵は俺の隣で、静かに寝息を立てていた。
頬に涙の跡を残したまま、まるで小さな子供みたいに、安心しきった顔で眠っている。
俺は、その寝顔をずっと見つめていた。
――こんなに近くにいるのに、触れることができない。
手を伸ばしてみても、俺の指は彼女の髪に触れることさえできず、ただ空を切るだけだった。
「......陽葵」
呼んでみても、陽葵はもう返事をしない。
当然だ。
もう眠っているんだから。
でも、それがどこか寂しかった。
俺が死んだと知っても、こうして俺を必要だと言ってくれた。
俺のことを好きだったと、泣きながら伝えてくれた。
それなのに、俺は――
もう、ここにはいられない。
陽葵は生きている。
俺は、死んでいる。
それが変わることは、絶対にない。
「......っ」
喉の奥が、熱くなった。
込み上げてくるものを、もう抑えきれなかった。
生きたかった。
本当はまだ、生きたかったんだ。
もっと陽葵と一緒にいたかった。
学校に行って、他愛のない話をして、ふざけ合って、笑い合って――そんな日々を、まだ終わらせたくなかった。
「.....ずるいよな」
声が震えた。
――俺だって、本当はもっと生きたかったのに。
気づいたときには、涙がこぼれていた。
死んだ人間に、涙なんて流せるのか。そんなこと、どうでもよかった。
ただ、止まらなかった。
悔しくて、寂しくて、苦しくて。
生きていたかった。
陽葵の隣にいたかった。
もっと、たくさん笑いたかった。
もっと、たくさん話したかった。
でも、もうそれは叶わない。
俺は、いなくなる。
それが、決まっている。
「......陽葵」
最後の力を振り絞るように、俺は彼女の名前を呼んだ。
こんな俺のことを、好きになってくれてありがとう。
俺のために泣いてくれて、ありがとう。
俺のことを忘れないでいてくれて、ありがとう。
「......蒼太......」
微かな声が、静かな部屋に響いた。
陽葵の寝言だった。
俺は目を見開く。
まだ夢の中にいるはずなのに、それでも俺の名前を呼んでくれる。
胸が、強く締めつけられる。
俺は確かに、ここにいたんだ。
陽葵の中に、俺はちゃんと存在していたんだ。
それだけで、もう十分だった。
「......陽葵、大好きだよ」
そっと呟いた言葉は、夜の闇に溶けていく。
涙が頬を伝うのを感じながら、俺は静かに目を閉じた。



