「青い!!」
誰かに、ドン、と強く背中を押され、私は前のめりに倒れこんだ。
「痛っ…」
そう言ってとっさに立ち上がろうとすると、それを妨げるように、誰かに肩を鷲掴みにされた。
その手には強い力がこもっていた。
上地くんだった。
「自暴自棄に…なるなって…言ったのに…」
激しい息切れで途切れ途切れになる上地くんの言葉は、なんだか胸が締め付けられるようだった。
青い、と言って私を突き飛ばしたのは、もう信号が青に変わっていたからだろう。
つい先ほどまで私が立っていた横断歩道は、車の下に静かに横たわっていただけだった。
まるで何事もなかったかのように、上地くんと私以外、全てがいつも通りだった。
「…俺の話、してもいい?急になんだよって思っていい。でも聞いてほしい」
上地くんが自ら自分の話をすると言い出したのは、初めてだった。
上地くんは何も話せない私を支えながら歩き、人目のつかない路地裏に私を座らせてくれた。
「俺、中学生のとき、付き合ってたやつがいたんだけどさ」
「…うん」
小さな声がようやく出て、上地くんは安堵した表情を見せた。
「でも、そいつ死んだんだ」
「…え?」
どこか寂しげな、それでも柔らかな笑みの上地くんは、そんな言葉を口にした。
「交通事故。完全に車が悪い方のな」
その一言で、上地くんが好きだった人の死因が思い浮かんでしまった。
上地くんは高校進学のときにちょうど引っ越してきたそうで、私たちがそれを知らないのは当たり前のことだと言った。
「山端みたいに、あいつも急にいなくなって。…今でも受け入れられてないんだよ、俺」
受け入れられない気持ち、すごくよくわかるよ。
「しかも、園田。お前、あいつにすげー似てるんだよ」
「私が、その人に…?」
うん、と、上地くんは変わらない表情のまま、いつもより優しく相槌をうつ。
「それで、あいつの事故もニュースになった。でも、お前らがわかんないのは当たり前。そんなの何万とあるだろうから」
ニュースで報道されるものの中には、毎日命に関することが必ず混じっている。
しかし、私たちはいつ何時もそれと向き合っているわけではない。
「それでも、やっぱり忘れてほしくないよな。…身内しか覚えてなくたって、誰かが死ぬまで、あいつのこと覚えててほしいって思うよ。やっぱり」
私だって、そう思う。
ずっと、紡のことを覚えていたい、覚えていてほしいと思っている。
「それが、俺の仕事だと思ってるんだけどさ」
そうだね、それが私たちに残された役目。
私は頷きながら話を聞いていたが、上地くんの表情はそのままだった。
しかし今、上地くんの目が夕陽に照らされて、うっすらと涙の膜が張っているのがわかった。
上地くんが瞬きをすると、とうとう、茜色の涙が宝石のようにひとしずく、静かに地面に落下した。
アスファルトに染みた宝石が、じんわりと広がり、やがて停止する。
その時間は、とても長く感じた。
そして、再び上地くんが言葉を紡ぐと。
「園田見ると、どうしてもあいつが思い浮かぶんだよなぁ…」
宝石が銀河を駆けていくように、ぽろぽろと、涙は輝きを増して落ちていった。
それは私も同じで、知らぬ間に、目頭は熱く、視界は潤いと輝きに満ち溢れていた。
「後悔しかない。でも、園田」
上地くんは、微笑みながら、泣きながら、まっすぐ私のほうを見る。

「…俺たちがここからいなくなっちゃ、駄目だろ」

今すぐほろりと消えてしまいそうな儚げな笑顔で、上地くんは言った。
そうだ。私たちは、想いの形は違うけれど、大好きな人のそばにいた人。
誰に向ける笑顔よりも優しくて、大好きな笑顔をたくさん見せてくれた人に、寄り添ってもらった人。
「…ほんとだね」
私はまだ出づらい声を振り絞って、聞こえるように、ゆっくりと言葉を繋ぐ。
それから、記憶と想いを、繋ぐ。
「私たちがいなくなっちゃ、駄目だ」
今、紡が優しく、大好きな笑顔を見せてくれた気がした。
黄昏時。
君に出会えてよかったと、心から思う。