「あっ、まだしおり挟んでなかったのに…!」
「一回ちゃんと話聞け」
上地くんはただ本を取り上げたのではなく、しっかり私が見ていたページに指を挟んでくれていた。
そういうところからも、上地くんの優しさがほんわりと伝わってくる。
「俺には、今日ずっと園田がおかしく見える。それしか言えないけど、自暴自棄になって『水』に入ったりすんな」
上地くんはそれだけ言って、私に本を戻してくれた。
それはきっと、私が「水」に入らないようにするための警告だと思う。
けれど、こんな曇った天気に、所々「水」があったら、私は。
「自暴自棄…」
返事ができないまま、上地くんはもう元の場所へ戻っていた。
こんな日に、自分が「水」に入らないとは、保証できなかった。
保証できない何かが、一日中、私の中を走り回っているから。

上地くんはこんな日に限って用事があったようで、一緒に信号を待つことはできないと言われた。
久しぶりの一人の下校と、この厚い灰色の曇に、私は憂鬱を纏っていた。
紡のことをどうしても考えてしまって、別のことを考えようとすると余計に、紡が脳内に色濃く滲む。
やがて、私が赤信号で渡ってしまった信号に着いた。
そこに「水」はあった。
なんとなく、そんな予感はしていた。
信号は赤信号。車の通りは少なく、今なら渡っても全然大丈夫に見えてしまう。
一歩、私の足が前へ出た。
…私の体が、「水」に入ろうとしている。
駄目だ。私は上地くんに言われた。自暴自棄になるなと。
でも。
…でも。
そっちに、紡はいるんだよね。
私もずっと、もう一度会いたいって思ってる。
紡も、私と話したいのかな。
たった一人のライバルだよ。そっち行けば、また一緒に、高みを目指して競えるよね。
また一緒に、過ごせるんだよね。
「それでも、駄目…」
もう一歩、一歩、私の体は「水」に近づいていく。
駄目と言っているのに、体は動く。
足の指先が、ひたりと水についたとき。
『結楽』
と、声が聞こえた。
私の体は止まった。
『僕は、こっちに来てほしくなんかないよ』
誰の声だろう。冷え切っていた体に血が巡り、体温を取り戻していく感覚がする。
『一瞬の黒に溺れるな。負けるな、結楽』
思い出せない。誰なんだっけ。

『生きててほしい』

金縛りから解かれたような感覚に襲われて、その声が紡だとわかった。
それと同時に、今すぐ横断歩道からどかなければならないという恐怖感が支配する。
足は固まり、動かない。
どうしよう、紡。
上地くん。
どうしよう。
「やっぱり、もう無理だよ!!」
気付くと私はそう叫んでいた。
涙も、ぼろぼろとこぼれていた。