あの体育祭から少し経った十月、今度は文化祭というイベントがあるんだよね。
 中学の時にも経験はしているけれど、高校になれば飲食の模擬店がいくつも出たり、部活だけでなく自分たちでバンドを組んでステージに出たりと、中学の時と比べれば規模も違う。
 私たち一年生は、それでも盛り上がっているのは体育祭のときと同じく部活に所属している子たちが中心。それでも今回は文化部系の子たちも出番があるからね。

 クラス展示はどうしようと学活の時間で話し合った結果、みんなそれぞれが自分のカメラやスマホで好きな写真を撮ってプリント。そこに各自テーマと説明をつけて展示しようということに落ち着いたの。
 これなら、大掛かりな準備をする必要もないし、机や椅子を何セットか置いておけば自分たちの休憩スペースにもできる。
 こういう時に問題になるのが、展示室になる教室を空にはできなくて、誰かが案内係として残っていなければならないことなんだよね。

 それを決めるとき、思い切って私と悠太君でその大部分を引き受けることを提案したんだ。

「杉原くんと空乃さんたち、それでいいの?」

 驚きの声があがるのも当然で……。
 私と悠太君は、最初の一時間だけ自由時間をもらって、あとは基本的に教室案内の役割を引き受けるってことだったから。

「お付き合いはしていない」って表向きには公言しているけれど、みんなはきっとそうは思っていないよね。

 そんな私たちが文化祭という特別な二日間の大部分をいつもと変わらない教室で過ごすということに、他にもクラスの内外で交際している子たちからしたら、ここで弱みを握られると心配になって躊躇したとあとで聞いたんだ。

「違うんです。私、みんなが知っているようにあまりガヤガヤしたところにいると人酔いをしてしまうことがあるんです。そっちの方が迷惑をかけてしまうから……。それにこのお話は杉原君が提案してくれました。私たちは教室でお客様の相手をして過ごすくらいでちょうどいいです。なので、心配はしなくて大丈夫です」

 お客様をお迎えして案内するのがだんだん面白くなったと、お爺ちゃんとお婆ちゃんにいろいろ聞いていた。それは夏休みの二回目のこと。だから文化祭のときにその仕事を丸ごと引き受けようって言ってくれたのは、私からじゃなくて悠太君の方なんだよ。

 結局、「それなら差し入れはたくさんするから」という声と共に、その案が採用されたんだ。

 * * *

「それでは、あとは代わりますね。楽しんできてください」
「二人とも、ごめんね。お昼とかいっぱい買ってくるから」

 予定どおりの最初の一時間、まだ外からのお客さんも少なく静かなうちに、悠太君と私はぐるりと校内をひと回りして戻ってきた。
 まだ準備中のところも多かったけれど、こういう始まる前の舞台裏が見られるのは逆にこのタイミングしかないから、それはそれで面白いんだよ。

「さて、僕たちのお仕事を始めようか」
「うん」

 案内のお仕事と言っても、クラス展示を見に来るのは先生方だったり、保護者だったりだから、呼び込みをする必要もないし、教室の中をゆっくり回っては、だれがどんな写真を撮って、そこにコメントを付けたのかをじっくり見て回ることができる。
 換気で開けている窓からは体育館からの大きな音が入ってき始めた。こういったものに私は弱いから、悠太君の提案はありがたかったんだよ。

「琴葉さんはどの写真を選んだの?」
「私はこれ」
「三日月かぁ。よく撮れたね。ブレてもいないし」

 夕焼けから夜に向かうグラデーションの中にぽっかり浮かんだ三日月が私のモチーフだった。

「何がいいかなぁって思ったんだけど、私の部屋に三日月のクッションがあるでしょ? 私……あれがないと落ち着いて眠れなくって……」

 題材を決めたのはいいけれど、形よく見える三日月の期間は短いし、そもそも見える時間も短くて、夕ご飯そっちのけで西の空を見ていたっけ。ベランダの手すりにスマホを乗せて、タイマーで撮れたうちで奇跡の一枚だったよ。

「悠太君のはどれ?」
「僕のは悩んだけれど、これだったな」

 それは二人で夏休みに行ったどこまでも広がる海と水平線だ。

「これ、上手く撮れる時間帯と場所を琴葉のお爺さんに教えてもらったんだ」

 ちゃっかり私がお買い物に出ている間に連れていってもらったんだって。

「僕たち、本当に対照的なのにね」
「ううん。お日さまがないと、この海や空もこの色は出ない。お月さまも自分で光らないから、同じものに惹かれちゃうんだよきっと」

 自分でもこじつけかなと思ってしまったけれど、不思議とこの二枚が全く関係ないとは思えなかったよ。

 二人でクスッと笑った時だった。

「こんにちは。あ、やっぱり。琴葉ちゃんだ! 探すの覚悟してたんだ!」
「えっ? あ、真琴ちゃん? どうしてここに?」

 最初にもお話ししたけれど、高校には誰も知り合いがいないところを選んだ私。それだけ中学生時代に一人の時間が多かったというところなのだけど、この上原真琴ちゃんはいつも私の心配をしてくれて、卒業式でも「一緒の学校に行けなくてごめんね」と言ってくれた。唯一、当時の私に目線を下げて接してくれた女の子だった。同じ「琴」の字を名前に使っていて、最初はそれがきっかけだったけれど、真琴ちゃんは他の子とは違って、いつも私の前に立ってくれた。

 たった一人だけ、私の進学先を知っていたのは彼女だけだったな。確か、「大学で海外留学して通訳さんになるんだ」って私立の学校に進んだと覚えている。

「この前の夏休みに、体験留学のプログラムに参加していたんだけど、それも終わって帰って来たわけ。琴葉ちゃん、前と全然違う顔しているから驚いちゃった。心配して駆けつけたけど、損しちゃったぁ!」

 口ではそんなことを言いながら、私の事をぎゅっと抱いてくれた。泣いてばかりだった私に、いつも「一人じゃないよ」って声をかけてくれていたあの頃のように。

 突然の来客と、私たちの様子に驚いていた悠太君を呼んで、真琴ちゃんを紹介する。

「そっかぁ、琴葉ちゃんもちゃんと話せる人を見つけられたんだね。それが確認できただけでも今日来た甲斐があったな。安心した」
「今度はしばらく日本にいるの?」
「うん、あとは大学受験までまっしぐらって感じ。でもねぇ、色々思うところもあって。本当にこれでいいのか迷っちゃったりもしてるんだ……」

 真琴ちゃんの言葉から、全てが順調に進んでいるわけではなさそうだと感じる。

「お休みになったらゆっくり話そうよ。中学の時みたいに」
「そうだね。彼氏さん……なのかな? 琴葉ちゃんのことよろしくお願いしますね」

 メッセンジャーのアカウントを相互に登録して、「また来るね」と真琴ちゃんは手を振って帰っていった。

「たぶん、私を心配して時間を作ってくれたんだよ。でもあの様子だと真琴ちゃんも何か抱えてるんだろうな。今度は私が聞いてあげなくちゃ」

 二日間の文化祭の日程も無事に終わり、お家に帰ってベッドの上で三日月のクッションを抱きかかえる。

 学校から帰り途中で悠太君と話していた内容を思い出す。

「琴葉には心配してくれる人がいたんだね。一緒の高校に行くことは考えなかったの?」
「真琴ちゃんはやりたいことが決まっていた。去年の私には何もなかった。だから一人でこっちに来たの。でもそれが正解だった。悠太君に出会えたから。だから後悔は全くしていないよ」

 そう。後悔はしていないし、悠太君が今の私を支えてくれていることは紛れもない事実だもん。

 あのあと、真琴ちゃんからは「こんど三人で、一緒に遊ぼう」ってメッセージが入っていた。真琴ちゃんも何か悩みを抱えているようだったから、こんどは私が話を聞く番だよね。

『悠太君に出会えたこと、私本当に嬉しくて、毎日感謝しかないよ。昨日と今日はお疲れさま。一緒にいてくれてありがとう。おやすみなさい』

 メッセージに既読が付いたのまでは見届けたのだけど、悠太君からの「また明日」の返事が来る前に私は寝入ってしまったと気づいたのは次の日の朝だったよ。