二班に分かれていたグループがもう一度そろって、船着き場に隣接している団体用待合室でお昼ご飯を食べあと、またクラスごとに乗り込んだバスは時々息をつくようにして急な坂を上っていく。

 坂を登りきったところに、突然平原が広がって、ここが今日の最後の目的地でもある戦場ヶ原という観光地。
 名前から何か合戦でもあったのかと歴史の教科書を見てみたけれど、そんなものはどこにも載っていない。不思議に思って悠太君に聞いたらさすがだよね、歴史の教科書には載っていないのが当然で神様たちのお話だって教えてくれた。

 日光で一番有名な男体山の神様と、群馬県の赤城山の神様が中禅寺湖の陣取りを争った場所という神話が由来なんだって。

 元々は大きな湖だったのが今では大きな湿地帯になっていて、高原植物や湿地の動植物の観察ができる場所になっている。だから私が昔家族で行った尾瀬の湿地と同じように、こちらも中に入って観察や散歩ができるように木道が設置されている。

 ここでのスケジュールは、集合時間まで自由行動の約二時間。時間になったら駐車場に集合してバスで学校に戻る。

「空乃さんはどうする? 自由行動だから出かけるのもここにいるのもありだけど」

 隣の席の悠太君が小声で聞いてくる。

「せっかく来たんだもん。尾瀬の時も大丈夫だったから、近場だけでもお散歩しようかな」
「分かった。体調悪くなったらすぐに教えてよね」

 私たちの間では隠し事をしないっていうのが約束。
 みんな我先に飛び出して行って、残っている人は少なかったけれど、私にとってはその方が都合がいい。

 さっきの湖の上よりも涼しくて心地よい風が吹き抜けている。
 車道を渡り、湿原の方に抜けて木道の上をゆっくり歩いていく私たち。

 本格的なハイキングコースを回るには少し時間が足りない。だから途中まで進んで戻るつもり。

「琴葉さんは、こういう場所の方が調子よさそうだね」

 周囲に誰もいないことを確認して、悠太君が笑っている。

「これでも、昔に比べれば良くなったんだよ。その分成長も遅れて幼く見えるけどね……」
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。それはそれで琴葉さんの魅力だと思う」
「そう……かな?」
「他の奴らの前じゃ絶対に言えないけどさ、僕から見たら可愛いと思うよ。うちの父さんも母さんも大絶賛でさ、『あんな可愛い子絶対に放すんじゃない』って。琴葉さんの気持ちも確かめないでさぁ……」

 その口調がおかしくて、つい私も吹き出してしまう。それは私の家でも同じことを言われているから。

 途中に咲いている花を見つけては、「あの白くぽつぽつ広がってるのがワタスゲ。あっちのオレンジ色はレンゲツツミ」と今度は私が説明しながら歩いていく。

「凄いね。図鑑も見ないで高山植物をすらすら言えるなんて」

 悠太君が驚いている。

「高山植物って、どこか私に似ている気がするの。環境が少し変わると傷んでしまったり枯れてしまったり。まだ先のことは全然決めていないけれど、私、こういうお花のことをもっと勉強したいって思っているんだ」

 初めてだった。自分の進路について誰かに話したことはなかったよ。自分と同じようなお花たちのことをもっと知りたいと思っていたのは前から本当で、この高校時代の間にどんな進路があるのか調べていこうと思っていたくらい。

「それって、すごくいいことだと思うよ。琴葉さんに似合ってると思う」
「そっかな」

 時間的に引き返す場所だと思っていた展望台が見えてきた。展望台と言っても木道が少し広く広場になっていてベンチがあるくらいなんだけどね。

「あイタッ……」
「大丈夫?」

 木道と言っても道路のように平坦じゃない。板と板の間には段差もある。
 よそ見をしていた私はその段差に足を引っかけてしまったという……。

 ゆっくりと展望台まで移動してベンチに座らせてもらう。

「足首やっちゃったな……。ちょっと待ってて」

 悠太君がスマホを取り出して、何かの時に連絡するように渡されていた先生の番号に連絡をしている。

「すぐにこっちに来てくれるのと、間に合わなくてもバスの出発時間遅らせるって」
「そっか……。ごめんね。私の不注意で」
「謝るのは無し。ちょっと足を見せてくれる?」

 靴と靴下を脱がせて、捻ってしまった足首の様子を見ている悠太君。

「冷やすから待ってて」
「えっ?」

 ナップザックの中から、急冷パックを取り出してそれを台の上で叩く。

「どう? これ自分で持っていられる?」
「う、うん」

 両手でそれを受け取って、痛めた右足首に当てていると痛みが薄らぐ。

「今日、ずっと頑張って歩いていたんだ。よくここまで持ったと思うよ?」

 五分くらい患部に当てていると、痛みはだいぶ消えた。

「湿布するから足触るけど、変態とか言うなよ?」
「た、助けてくれたのにそんなこと言わないよぉ」

 悠太君は「冗談だ」と言いながら、手際よく湿布を貼って、その上からテーピングを巻いてくれる。

「凄いね……」
「小さい怪我の手当くらいはね。琴葉さんみたいに料理は作れないけどさ」

 思わずお互いに笑ってしまう。

「よし、これで準備はできた。帰り道おんぶしていくよ」
「え? わ、悪いよぉそこまでしなくても……。先生たちも来てくれるから無理しないでいいんだよ? 先に戻っていてくれればいいんだし」
「さすがにケガ人歩かせたり放置するほど、僕だって非道じゃないよ? それに、これは僕がやりたいだけ。さ、早く戻って養護の先生に診てもらおう?」

 悠太君は自分のナップザックから今度はパーカーを取り出すと、袖の部分を結んで私の腰に巻くように言ったんだ。

「琴葉さんはスカート短くしていないけど、直接触れるよりいいだろ? 見られるのの防止にもなるしさ」

 準備が終わると、私を背中に乗せてひょいっと立ち上がる。

 やっぱり男の子なんだな。力強くて安定していて不安だとは思わなかった。
 一緒に歩いてきた木道を戻り始る途中で先生たちと合流したあとは、先生が私を背負ってくれてバスまで戻った。

 養護の先生に診てもらったら、初期の処置としては完ぺきで、湿布もテーピングも直す必要がないって。

 学校にはお母さんが車で迎えに来てくれていて、話を聞いたお母さんは同じマンションだからと悠太君も一緒に帰ってきた。

「明日も無理しないで。痛み止めとか飲んで、湿布も貼り替えてな?」
「今日は、本当にありがとう……」


 夜になって、痛みもなくなったことをスマホのメッセンジャーで報告した。

「今日は本当にありがとう。ごめんね」
「謝るのは無しだって。当たり前のことだよ。明日、もし痛むようだったら自転車で押していくからさ」

 通話が切れて、いつものように三日月形のクッションを抱えてベッドに横になる。

 いつもなら出先でケガをするなんて心細くて泣いてしまいそうな事だったのに、今日はそうじゃなかった。
 悠太君が私の足を処置してくれているのを見ながら、本当に安心していた。
 だからね、今日のいつもの言葉は心の声を大きくして言いたい。

『今日はとてもかっこよかった。いつもありがとう……。おやすみなさい……』

 この声がいつか悠太君に届きますように……。