「悠太君、おはようございます。ご両親はお帰りになったの?」

 この週末は訳あって、以前のようにマンションのロビーで待ち合わせをした私たち。

「あぁ、昨日の夕方の飛行機でな。羽田空港まで送ってきたよ」

 それは大変だっただろうなと思うけれど、それをプラスしたとしてもなんだか疲れているみたい。

「どうしたの? なんかずいぶん疲れているみたいだけど?」
「琴葉との生活のこと根掘り葉掘り聞かれて疲れたわ……」

 そんな悠太君の様子を見ると相当聞かれたんだろうな。久しぶりの家族の時間だったもんね。

 今は私たちも大学一年生。

 そして一番大きな変化は、高校三年生の冬に悠太君のお父さんの転勤が再びあったこと。しかも行き先は北海道だって。
 お母さんは高校卒業までは残ることになったけど、悠太君が東京と北海道を頻繁に行き来することは現実的な話じゃない。

 そうしたらね、まさかという案を提示されたんだよ。

 悠太君は今のマンションに残って大学に行く。そこまではよかったんだよ。
 それに加えて、私の両親から悠太君とその部屋で一緒に暮らすことで、悠太君と一緒に協力した生活を始めてみればいいんじゃないかって。

 お家賃は私も大学で一人暮らしを始めると想定してあったから、悠太君のおうちと折半ってことになったみたいなんだ。
 なにか緊急のことがあっても、同じマンションの中に私の実家があるのだから、最初から違う場所で始めるより安心だってことになってね。

 それを知った真琴ちゃんは、「大学生で同棲って時々聞くけど、みんな思い切ったねぇ。琴葉ちゃんのお家の目が常に届くってのが最高!」と大笑いだったよ。

 誰に何を言われてもいい。遠距離恋愛にならなくて本当によかった。それが正直な気持ちだったな。
 私たちがお付き合いを始めたことも公表して、高校三年間をずっと一緒に過ごした悠太君と私のことを学校の中で知らない人はいないってくらいになっていたから、大学時代をまた離れて過ごすのは、お互い辛くなってしまう。どうしたらいいんだろうって最初に話を聞いた時は凄く悩んだよ。

 学部は違っても同じ大学に通うことになった私たちだから、この条件はありがたく使わせて貰うことにした。
 悠太君のご両親が用事があって泊まりに来る時は、私は階下の実家に帰ればいいだけだからね。


 あと、あの当時からの大きな動きといえば、長期の休みは毎回大洗のお爺ちゃんの民宿を二人でお手伝いに行くようになったことかな。

 気に入った場所で、誰かに喜んでもらうために働ける。そんな生活が気に入ったみたいで、お爺ちゃんたちからかなり細かいことも聞いている。それを学校のレポートの題材にもしているんだって。
 もしかしたら、本気で民宿旅館を継ぐなんて未来がこれから見えてくるのかもしれないよ。
 まだ口に出してはいないけど、それなら私も一緒についていくって決めている。あそこは私が体と心を休めるために過ごした場所だからね。それを悠太君は分かってくれていたし、初めて二人きりで素直にお互いの素の部分を見せ合えた場所だから。

 私は体のことがあるから、会社員になって都会のオフィス街で働くなんてことは似合わないだろうし、長く続けることはできないと思う。それだったら自然に囲まれた町で元気に生活していく方がいいと悠太君も思ってくれているのかもしれないね。

「それは大変だったね。なにも恥ずかしいことはしていないんだけどなぁ。隠しカメラ仕掛けられても大丈夫なくらいなのにね」
「琴葉、それ言ったら本当に父さんたちやりかねないから絶対に言うなよ?」

 同じ部屋での共同生活とは言っても、それぞれの個室があって、寝る部屋は別々。私はマンションの中でプチ引っ越しをしたくらいだもん。
 一番最初に三日月のクッションを持ち込んだとき、悠太君が驚いていたのを覚えている。
 私が眠るときはこれを抱き枕代わりにしていることを知っているから。

「じゃぁ、ご両親の猛攻に頑張って耐えた悠太君に、お夕飯は好きなものを作ってあげる。食べたいメニュー言っていいよ」

 二人暮らしを始める前に、私もお母さんとお婆ちゃんからお料理と家事の特訓をしてもらったの。悠太君をこんな私に預けてくれると思うと、頑張らなきゃって思ってお願いした。

 だから毎日のお弁当も私が二人分作る。空いた教室でお弁当を広げている私たちのことは同級生の間でも有名になっていて、悠太君は「新入生で何てインパクト!」、「あんな可愛い子の手弁当羨ましい」とか「周囲が焼け野原になる」とまで言われているって教えてくれたっけ。

「久しぶりに琴葉のグラタンが食べたい。レストランで出せる味だぞ本当に」

 和食はお婆ちゃんにお出汁のとり方から教えてもらって、洋食は高校と大学時代に洋食屋さんでアルバイトをしていたお母さんの手ほどきを受けた。中華料理も勉強中だよ。

「じゃぁ、主食はそれでいいね。スープとサラダを付ければ大丈夫かな。学校終わったら先に帰ってるね」

 お母さんに連絡して材料を買っておいてもらうだけのはずだったけれど、鶏肉、玉ねぎ、マッシュルームは材料ごとに切り分けて下処理までしてくれたものを渡してくれた。「味付けは琴葉しか知らない悠太君好みにしてあげるのよ」だって。

 ホワイトソースを作って、グラタン用のマカロニを茹でて、一緒に馴染むまで煮込んで……。うん、味はこんなものかな。

「ただいま」って声を聞いて、オーブンにお皿を入れてあとは焦げ目をつけるだけ。

「もう少し待っててね」
「なんだかさぁ、もう奥さんもらった気分なんだけど? うちの親もそればっかでさぁ」
「えぇ? それはまだまだ私の修行が足りないよ」

 あと何年かすればそういう未来が待っていると思うけどね。ちょっとまだ恥ずかしい……。

 テーブルの上に夕食を並べて一緒に食べながら、学校であったこととか、それぞれの近況報告をするのが毎日の時間。

「琴葉の方も友達が泊りに来ていたんだろ? ガールズトークで大変だったんじゃないか?」

 悠太君のご両親が来ているとき、実家側の私の部屋にはあの真琴ちゃんが遊びに来ていたんだ。

「本当に『おやすみなさい』って送っているんだって驚いてたっけ。あ、そうそう。真琴ちゃんね、今は看護師さんになるお勉強しているんだよ」
「え? 通訳になって世界中飛び回るって夢じゃなかったっけ?」

 ただ一人、私が中学生の時から話し相手をしてくれた真琴ちゃん。

 あの文化祭はね、私が一人でいるのじゃないかと心配して来てくれて、誰かと一緒だったら会わずに帰るつもりだったんだって。
 あれから何回もお話ししてね、悠太君と出会ったことで私の気持ちが大きく変わって、体調も今ではそれほど大崩れしなくなった現実を見て、お医者さんは無理でも小児科を担当して子どもたちを明るく見守る看護師さんになりたいと思って進路を変えたと教えてくれた。


 高校一年生の初日に、お隣の席になったことで言葉をかけてもらったことから始まって、いろいろなことがあったな。

 時には気まずくなった日もあったけれど、それでも必ずお互いに「おやすみなさい」と「また明日」は送信して、翌日には何事もなかったように仲直りしてきた。

 「琴葉は強くなった」って悠太君は口癖のように言ってくれる。

 それはあの最初の日に声をかけてくれた悠太君が踏み出してくれた一歩から始まったんだよ。
 だから私はずっとそのことに感謝をしながら、これからも一緒に手をつないで歩いていくんだ。

 今は一緒に住んでいるから、直接言葉を交わしてからそれぞれの寝室に入る。

「琴葉、今週末に映画でも見に行こうぜ。父さんたちからタダ券もらったからさ」
「うん。今週はレポートも出ないと思うし」

 最近まで新しい生活に慣れるので二人ともいっぱいで、そんな時間もなかったもんね。何を着ていこうかな。

 二人でキッチンとリビング側を手分けして片付ける。

「もうこんな時間か。また明日な。琴葉も早く寝ろよ? 弁当作るのに負担かけてるんだから」
「明日の準備はもう終わってるから大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね。これ片付けたら私も休むよ。おやすみなさい」
「おやすみ」

 悠太君が部屋に入るのを見送り、キッチンの上を拭いて……。うん、もう大丈夫。

「今日もありがとうね、おやすみなさい」

 リビングの電気を消して、私も自分の部屋の扉を静かに閉めた。