*


 『スミレの花言葉は、“謙虚”や“誠実”なんだって。純恋(すみれ)にぴったりだよねーー』


*


 見たことがあるような、ないような。
 綺麗なスミレがたくさん咲く花畑で、誰かがそう言った。
 でも、記憶を失っている私には、そのことをよく覚えていない。
 それが記憶の断片なのか、それとも誰かの夢なのか。
 それすらも分からない。

 「純恋、おはよう。気分はどう?」

 「お母さん、おはよう。……昨日と、特に変わりはないです」

 「そっか。残念だけど、ゆっくり記憶を取り戻していこうね。敬語もやめていいんだからね」

 「うん、分かってます。ありがとう」

 お母さんは、にこっと笑って部屋を出ていく。
 家族のことも、自分のことも何も分からないなんて辛すぎる。
 早く記憶を取り戻したいと思うけれど、そう簡単にできることではない。

 「おぉ、純恋。おはよう」

 「おはよう、お父さん」

 「今日、少し出かけないか? この近くに、綺麗な花畑があるんだ。小さい頃、純恋もよく行ってたんだ」

 綺麗な花畑。
 それはもしかして、夢に出てきたあの場所なのだろうか。
 そんな偶然があればいいなと思い、私は頷いた。

 「行きたいな」

 「そう言ってくれて父さんも嬉しいよ。じゃあ母さんと準備してくるから、純恋も行ける準備しておいて」

 「うん、分かった」

 まだ少しきごちないけれど、これでも会話は慣れてきたほうだ。
 私は着替えて、スマートフォンや財布をバッグのなかに入れる。
 スマートフォンの電源を付けると、何件かメッセージが来ていた。

 『純恋ー、大丈夫? もう一ヶ月以上会ってないよね。寂しいよ……』

 『小早川(こばやかわ)、クラスのみんな、待ってるからな!』

 心臓がドクン、と音が鳴る。
 この人たちは、私の友達のはず。だけど何故か震え上がってしまい、すぐに通知を消す。
 ふと、一ヶ月前に来ていたメッセージが視界に入る。
 「(れん)くん」と設定されていた。私がくん付けで呼ぶ男の子なんて、きっとわずかしかいないだろう。
 興味が湧き、メッセージを開く。

 『純恋、話したいことがあるから、あの花畑に来てほしい』

 書いてあったのは、その一文だけだった。
 その前のメッセージは、怖くてまだ読めていない。
 ……記憶を失う前のわたしと、今のわたしは、何が違うんだろう。
 そんなことを考えると、自分が自分では無くなってしまいそうで、不安になった。


*


 お母さんやお父さんと花畑に着くと、風がひゅうっと通り、不思議な感覚がした。
 足元がふわふわしていて、雲の上にいるような感じ。
 ……前にも来たことが、あるような。
 そう思うのは今朝、この場所を夢で見たせいだろうか?

 「純恋、父さんたちは車で準備してから行くから、先行ってていいよ」

 「うん、分かった」

 私は花畑のなかを歩いていく。
 小さくて可愛い、紫色のスミレがたくさん咲いている。
 私と同じ、スミレという名前の花。
 すると、何やら悲しそうに花を眺めている、一人の少年がいた。
 ーー……綺麗な横顔。
 そう思っていると、その子は私に気がついたようで、じっと見つめられた。

 「あっ、ご、ごめんなさいっ」

 「……え」

 「あ、あの……深い意味は、ないんです。ただ……」

 見惚れちゃった、だけ。
 そう言葉にするのが恥ずかしくて、喉の奥に詰まってしまった。
 ……この状況、完全に私が不審者だよね。
 慌てて帰ろうとすると、「待って!」と引き止められた。

 「ねぇ……純恋でしょ?」

 「え? あの……」

 「やっぱりそうだ。純恋だよね」

 その子はニッ、と歯を見せて笑った。その無邪気な笑顔にドキッとしてしまう。
 私の……記憶を失う前の、私の知り合いなのだろうか。

 「あの、ごめんなさい。確かに私は純恋だけど……記憶を失ってるんです」

 「え、記憶喪失、ってこと?」

 「はい。だからごめんなさい、あなたのこと、分からなくて」

 その子は、顔を背けた。
 やっぱり記憶を失っている私なんかと関わりたくないだろうな。
 そう思ったけれど、その子は私の手を取り、もう一度笑顔を見せてくれた。

 「そっか。俺、柏木 蓮(かしわぎ れん)。きみと同い年の、クラスメイトだよ」

 「あ……こ、小早川、純恋です」

 「はは、知ってるよ」

 そのとき、ハッと気がついた。
 私へのメッセージを送ってくれた名前。確か、「蓮くん」と書かれていた。
 こんなかっこいい子と仲が良かったなんて、記憶を失う前の私はどんな感じだったんだろう……。

 「あの、柏木くんは、私とお友達だったんですか?」

 「まぁ、そんなところかなー。ていうか、蓮って呼んでよ。前は純恋もそう呼んでくれてたし」

 「れ……蓮くん」

 「うん、それでいい」

 蓮くんは学校のことをいろいろ話してくれた。
 私たちは中学校の頃から一緒で、クラスも今のところずっと一緒なのだとか。
 蓮くんの笑顔がどこか懐かしいような感じがする。
 そんなことを考えていたとき、「純恋ー!」と呼ぶお母さんたちの声が聞こえて振り向く。

 「じゃあそろそろ、俺は行くね」

 「あっ、ま、待って! またここに来れば、あなたに、会える……?」

 「……うん。俺、ここによく来るから、おいでよ。またね、純恋」

 走り去る蓮くんの背中を見ると、とても大きかった。
 そのまま見つめていると、いつの間にか蓮くんはいなくなっていた。
 『話したいことがあるから、花畑に来てほしい』
 ふと、今朝のメッセージを思い出す。その意味を聞くのを忘れてしまった。
 ……次会ったときに、聞こう。
 私はその日から、蓮くんに会うことが日常の楽しみになった。


*


 記憶を失ってから、私はまだ学校に通えずにいた。
 無理をする必要はないとお母さんやお父さん、先生たちも言ってくれているらしい。
 高校一年生だという私は、それまでの記憶がほとんどない。
 何となく覚えているような出来事はあるけれど、それでも何も思い出せずにいた。

 蓮くんに出会ってから一週間後。私は、ひとりでスミレの咲く花畑へ向かった。

 あの場所へ行くと、不思議な気分になる。
 やっぱり懐かしいような、ふわふわした感覚。
 でも完全には思い出せないのが、もどかしくて苦しい。

 スミレのいい香りがして前に進んでいくと、蓮くんが座ってスミレを眺めていた。

 「蓮くん!」

 「純恋。また来てくれたんだね」

 途端に恥ずかしくなる。
 私がスミレじゃなくて、蓮くんに会いに来たことがバレてしまっている。
 私は慌てて手で顔を隠す。

 「あの、ち、違うの。たまたま、スミレを見に来ただけで……」

 「……あぁ、そうか。ごめん、別に俺に会いに来たわけじゃないよね。やばいなぁ、俺、純恋にまた会えたことが嬉しくて」

 「えっ!?」

 蓮くんはどうして、そんなに素直な気持ちを言えるのだろう。
 私は本音を真っ直ぐに伝えることができない。
 私にできないことが普通にできてしまう蓮くんが羨ましくて……尊敬する。

 「あ、もしかして純恋、照れた?」

 「て、照れ……!? 違うよっ」

 「そうかなぁ。はは、純恋ってからかうと面白いよね。変わらないね」

 蓮くんの不意打ちな笑顔はやっぱりずるい。
 胸がドキドキして収まらないから。

 「……ねぇ、純恋は自分が記憶喪失になった原因、聞いてるの?」

 「え? 記憶喪失になった、原因……?」

 言われてみれば、と思う。
 今までそんな疑問にならなかったけれど、確かに私が記憶を失った原因は何なのだろうか。
 私は首を横に振る。

 「聞いて、ない」

 「……そっか。気になったり、しないの?」

 「えっと……今言われてから、気付いたの。でも、知りたいとは思うよ。記憶を取り戻せるかもしれないし」

 そう言うと、蓮くんはまた、にこっと笑った。

 「そっか」

 でも、いつもとは違う、何だか悲しそうな笑顔だった。
 見ているこっちが切ないような、胸が締め付けられるような、そんな気持ちになる。

 「あのさ、蓮くんはーー」

 「ごめん、今日はそろそろ、帰らないと。じゃあまたね、純恋」

 蓮くんはそう言って、駆けていった。
 蓮くんを追いかけようと振り向いたけれど、もう蓮くんの姿はなかった。
 ……今日もまた、メッセージの意味、聞けなかったな。
 そんなことを思いながら歩く帰り道は、何故か長く感じた。


*


 「ねぇ、お母さん。私、今日学校に行こうと思うの」

 「えっ!?」

 祝日が終わった月曜日、私はお母さんにそう打ち明けた。
 昨日蓮くんに聞いて分かった。自分は逃げているだけだってことに。
 ちゃんと自分の学校へ行って、自分の気持ちを確かめなければいけないんじゃないかと思った。

 「純恋、何かあったの? ……お母さんたちは、純恋に無理してほしくないの」

 「ううん、無理してないよ。自分で決めたの。ただ学校に行ってみたいだけ。……だめ、かな」

 お母さんはしばらく考えてから、口を開く。

 「無理だけは、しないでね。何かあったら早退してね」

 「うん、分かった。ありがとう」

 見慣れない制服を着て、スクールバッグを肩にかける。
 やっぱり、思い出すことはできない。けれど、少しでもこれがスタートになったらいいなと思った。

 「じゃあ行ってきます」

 「行ってらっしゃい。気をつけてね」

 空を見上げると、とても青かった。まるで私のスタートを応援してくれているよう。
 頑張ろう、と思いながら、私は学校へ向かった。


 教室に入るのは、怖かった。
 担任には事情を話しているから心配はないけれど、クラスメイトに何を言われるか分からないから。
 でもきっと……大丈夫だ。ここまで来れたのだから。
 震えている拳をぎゅっと握りしめて、ドアを開けた。

 「お……おはようございます」

 みんな、一斉に私に注目した。
 すると女の子と、男の子が駆け寄ってきた。

 「純恋っ!!」

 「小早川、みんな待ってたんだぜ!」

 女の子は、泣いていた。
 ……もしかして、私のために、泣いてくれているのかな。
 そう思うと、とても嬉しくなった。

 「あの、ごめんなさい。私、記憶を失ってるから、何も、分からなくて……」

 担任によると、クラスメイトには私の事情を話していると言っていた。
 けれど念のため伝えると、ふたりは微笑んでくれた。

 「いいんだよ、純恋は純恋だもん! また新しく始めていこう。あたし、松崎 彩音(まつざき あやね)。彩音って呼んでね」

 「そうそう、松崎の言う通り! 俺は佐久間 雄一(さくま ゆういち)。よろしくな、小早川」

 「あたしたち三人とも、幼馴染!」

 私にも幼馴染がいたんだ、と驚く。
 彩音ちゃんと佐久間くんは明るくて、話しやすそうだと思った。
 私はこくりと頷く。

 「待っててくれて、ありがとう。これからよろしくお願いします」

 すると他のクラスメイトたちも、ぞろぞろと私のところへ集まってきてくれた。
 みんな優しい言葉を掛けてくれて、この教室はなんてあたたかいんだろう、と思った。
 そのとき、誰も座っていない席が視界に入った。

 「柏木……蓮……?」

 その席に、蓮くんの名前が書かれていた。
 確かに蓮くんは、クラスが一緒だと言っていた。
 まだ来ていないだけだろうと思っていた。けれど机の中には何も入っていなかった。
 そのとき、彩音ちゃんが私のことをそっと抱きしめる。

 「純恋……柏木のこと、覚えてる?」

 「……蓮くんのことも、忘れちゃってて。でも、会ったことはあるよ」

 「え……それ、いつの話?」

 「最初に会ったのは、一週間前かな。あと、昨日も」

 そう言うと、クラス中がざわついた。
 彩音ちゃんと佐久間くんも、みるみる青ざめていく。

 「み、みんな……どうしたの?」

 「純恋。落ち着いて、聞いてね。柏木はーー」

 ……私は、彩音ちゃんに言われたことが、すぐには信じられなかった。
 そのあとのことは、よく覚えていない。ただ猛烈な吐き気と頭痛に襲われて、学校を早退した。
 私は、蓮くんのことが、頭から離れなかった。


*


 『蓮くん。ここ、本当に素敵なお花畑だね。連れてきてくれてありがとう』

 『でしょ。ここに来れば、純恋も嫌なこととか、忘れられるかと思って』

 『うん、忘れられる。私……自由になりたいな。蓮くんと一緒に、好きなことして生きていきたい』

 『叶うよ、きっと。いや、絶対。俺は純恋のことが好きだからーー』


*


 目が覚めると、自分の部屋にいた。
 ……そうだ。私、学校を早退してーー。
 そのとき、ハッ、と記憶が蘇った。今までのこと、全て。失っていた記憶全部を思い出した。

 「純恋、起きた?」

 「気分はどうだ?」

 「おかあさん……おとうさん……」

 振り絞って声を出すと、お母さんとお父さんは驚いていた。

 「純恋、もしかして……記憶が戻ったの?」

 「えっ」

 どうして分かったのだろうか。
 まだ何も言っていないのに、悟られてしまうなんて。

 「純恋の顔が、昨日までとは違う気がしたんだ。前の純恋に戻ったような感じがした」

 「お母さんもそう思った。……純恋、全部、思い出したのね」

 「……うん。これまでのことも、記憶を失った理由も、全て思い出したよ。私……自殺しようと、したんだよね」


 中学校のころ。
 私は、全然そんなことないのに、容量よく思われていて。クラスメイトからも、先生からも、家族からも期待されていた。
 期待に応えなきゃ、って思って、部活動も勉強も一生懸命頑張っていた。

 でもあるとき、疲れてしまった。
 そんなときに、私を救ってくれた、ひとりの少年が現れた。

 『小早川、今日当番じゃないでしょ。何で黒板消してるの?』

 『……私がしないと、みんなやらないから。私の仕事なの』

 『それ、おかしくない? 小早川は無理してやってるんでしょ。やりたくないことを押し付けられて無理やりやるなんておかしいよ。今日の放課後、空けておいて』

 そして、私は、外の世界に連れ出してもらった。
 その子が連れて行ってくれた場所は、スミレがたくさん咲く、花畑だった。

 『俺のお気に入りの場所』

 『うわぁ、何ここ、すごい……っ。えっと、柏木くん、だよね。どうして私を連れてきてくれたの?』

 『んー、俺、前から小早川のことが好きだったから』

 『へ?』

 人生で初めての告白だった。
 私は、すぐに恋に落ちて、付き合った。
 柏木蓮。蓮くんは、私に違う景色を見せてくれた。そんな日常が、とても楽しかった。
 でも、あるとき。
 『純恋、話したいことがあるから、あの花畑に来てほしい』
 そんなメッセージが届いていたことに気がつき、いつものスミレが咲く花畑へ向かった。

 『別れよう。純恋』

 『れ……蓮くん……? どう、して?』

 『……純恋、行きたい高校あったのに、俺に合わせたんでしょ』

 中学三年生、三月。蓮くんから、そう告げられた。
 確かに私は、志望していた高校があった。けれど自分のレベルには合っていないと思ったから、蓮くんと同じ高校を受験した。
 それの何がいけなかったのか、分からなかった。

 『私は自分で選んだんだよ。蓮くんのためだけじゃない』

 『でも、俺と付き合ってから、純恋どんどん成績落ちていったでしょ』

 『それはそうだけど、蓮くんには関係ないよ!』

 『……俺たちはもう、一緒にいてはいけないと思う。ごめん、純恋。幸せになってね』

 その日は、大雨が降っていて。
 生きる希望を失った私は、歩道橋から飛び降りようとした。

 奇跡的に、たまたま通りかかった蓮くんが、助けてくれた。

 ……でも。
 私の代わりに、蓮くんがそこから落ちて、亡くなってしまった。

 私は記憶喪失になって、蓮くんに助けられたことも、忘れていたんだ。


 「……お母さん、お父さん。私、行かなければいけないところがあるの」

 「うん、分かったわ」

 「行ってらっしゃい、純恋」

 「ありがとう、行ってきます!」

 全てを知った今、行かなければいけないところ。
 それは、私に外の世界を見せてくれた人のもと。
 大好きな、蓮くんのところへ。


*


 どうして忘れていたんだろう。
 どうして分からなかったんだろう。
 どうして誰も教えてくれなかったの?

 私にとって蓮くんと過ごした日々は、宝物で。

 絶対に、伝えなければいけないことがあるから……!

 「蓮くん!」

 蓮くんはスミレの花に囲まれて、花のように輝くオーラを放っていた。
 目を丸くして、私を見つめる。
 するといつものように笑みを浮かべた。

 「純恋。どうしたの?」

 「私……記憶が戻ったの」

 「……そっか。まぁ、いつかそんな日が来ると思ってたけど、案外早かったね」

 はは、と笑う蓮くん。
 ……でも、私には分かってしまう。ずっと彼女として、蓮くんのそばにいたから。

 「無理、してるでしょ」

 「え?」

 「蓮くん、私に心配掛けないように、無理して笑ってるでしょ。あのね……私、ちゃんと蓮くんと話をしたくてここに来たの。だから蓮くんも、本音で接して」

 思っていることをありのまま伝えると、蓮くんはしっかり頷いてくれた。

 「そうだね。分かった。純恋の話、ちゃんと聞くよ」

 「ありがとう」

 すー、はー。深呼吸をして、口を開いた。

 「……ごめんね。あの日、自殺しようとした私を助けてくれたの、蓮くんなんだよね。本当にごめんなさい。私のせいで蓮くんが亡くなってしまったの、ずっと後悔してる」

 「いや、それは」

 「ショックが大きいせいで、私は記憶障害になった。蓮くんのことも忘れて、私だけのうのうと生きていて。蓮くんはもう、いないのに……。本当に最低すぎるよね。ごめんね」

 蓮くんが口を開きかけたとき、私はまた、話し始める。

 「あと、ありがとう。私を助けてくれて。外の世界に連れ出してくれて。あのとき蓮くんがここに連れてきてくれなければ、私はたぶん、今ここにいないと思う。本当に、ありがとう」

 「……そんなの、当たり前だよ」

 「れ……蓮、くん?」

 蓮くんは、静かに涙をこぼした。
 初めて見た蓮くんの涙は繊細で、ガラスのように透き通っていた。

 「俺こそ、ごめん。本当は今もずっと純恋のことが好きだよ。別れようって言いたくなかった。でも純恋の将来を考えたら、別れるしかなかったんだ」

 それも全部、今考えれば分かること。
 蓮くんも本当は、私のことを好きでいてくれていた。でも私のことを誰よりも想っていて、考えていたからこそ、あの決断をしてくれた。
 あのときの私は、何てバカだったのだろう。自分勝手だったのだろう。
 蓮くんの気持ちは、私が誰よりも分かっていたはずなのに、何で気づいてあげられなかったのだろう。

 「ごめん、ごめんね、蓮くん……っ。ずっと、ずっと大好きだよ。私、蓮くんのことが、本当に好き」

 「……俺もそうだよ。純恋のことが好き。大好き。だからこうやって、死んでも成仏しないまま、純恋との思い出の場所にいるんだよね」

 「うん……っ! 私も、この場所が大好き。蓮くんとの思い出の場所がいっぱい詰まってる」

 こうやって、言葉にすれば良かったんだ。
 あのときも、素直に本音を伝えていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。
 私は本当に大馬鹿者だ。
 一粒の涙が頬につたり、溢れてくる。

 「ねぇ、純恋」

 「なに……?」

 「自分を責めないで。俺がいなくなっても、それは純恋のせいじゃないから。それだけは忘れないで」

 蓮くんは、涙を流しながら、いつも通りの笑顔を浮かべた。

 「嫌だ……っ、いかないで、蓮くん。行っちゃ嫌だよ……」

 私は、蓮くんの腕のなかに抱き寄せられた。
 どれだけしがみついても、蓮くんの姿はどんどん透明になっていく。
 それはお別れを感じさせるようで、とても辛かった。

 「スミレの花言葉は、“謙虚”や“誠実”なんだって。可愛いだけじゃない、大人っぽい純恋にぴったりじゃない?」

 「ふふ、何それ……」

 蓮くんは最後まで、ずるい人だ。
 私の心まで持っていってしまう。もう私は、蓮くん色に染まってしまっている。
 それくらい、だいすきなんだ。

 「純恋。これ、受け取って」

 そう言って蓮くんが渡してきたのは、一輪のスミレの花だった。
 わたしは、消えかかっている蓮くんの手からスミレを受け取る。

 「純恋、大丈夫だよ。ここに来れば、きっとまた会える」

 「ありがとう……っ。また、ここで会おうね」

 「うん、約束しよう」

 「……そうだね。約束……!」

 蓮くんは、光になって、空へ飛んで行ってしまった。
 ……きっと、成仏できたのだろう。
 光が飛んで行った方向を見上げると、虹が出ていた。

 「蓮くん。約束だよ」

 私たちの思い出がいっぱい詰まってる、この場所で。

 私は、あなたが残してくれたいのちを大切にして、これからも生きていくよ。

 花のように、美しくはないかもしれない。
 綺麗でもないかもしれない。

 でも。
 私は私なりに、自由に生きていくね。


 あの花が咲く場所で、約束をしよう。