高校生になって初めて好きな人ができた。
俺と違ってなんでも持ち合わせていて、なんでもできる彼、甘宮涼臣。
彼のことを慕っている人も好いている人も多く、そんな彼はみんなから「完璧王子」と呼ばれている。
みんなは話かけにいく上で普通に名前を呼ぶと思う。
「涼臣くん」「涼臣」と呼んでいる姿に、羨ましい気持ちがあったりする。
接点がない俺は心の中では「涼臣」と呼び捨てにしているが、人前ではもちろん身をわきまえて「甘宮くん」と呼んでいる。
友達の垣根を超えた恋人になれたらと思うが、まずは近くで名前を呼び合えるような仲になりたいと願うばかりだった。
涼臣とクラスの離れている俺は、たまたますれ違った時ぐらいしか顔を見ることができない。
こちらから行く機会もなければ、向こうからこちらの前を通ったりする機会が少ない。なんというもどかしい距離。
そしてこの間の移動教室の日、日直の仕事で職員室に寄ってから行くときがあった。
職員室は涼臣のクラスである2‐3の前を通る必要があった。
少しでも見れたラッキーと考えてワクワクしながら通る。チラッと教室を覗くと窓側の席に涼臣はいた。
太陽の光に綺麗な漆黒の髪が当たり、目を引く。友達なのか、違うタイプの男子が話しかけに言っているところを目にする。
「俺もあんな風に話してみたいな。なんて、ははっ......」
羨むくらいなら話しかけに行けばいいのに。昔は話しかけれないなんてなかったのにな。
その場でぼーっとしていると、予鈴のチャイムが廊下中に鳴り響く。
「あ、日誌取りに行かないと」
俺は廊下を早歩きで進み職員室に向かった。
急ぐことに夢中になっていた俺は、こちらを見ていた涼臣に気付くことはなかった。
「せ、セーフ! ですよね!」
本鈴が理科室に入ったと同時に鳴る。先生の顔を見て聞いてみると、ノリのいい先生は「まぁ、今日出す課題もちゃんと出すことができたらセーフにしてやる」と言ってくる。
「えー嘘だ! 間に合ってたよね?」
クラスメイト達に問うが、「先生が言ってるんでしょ?」「お前よかったなー」とふざけながら返されてしまう。
誰もが味方をしてくれないクラスメイトに「セーフとか聞かなきゃよかったか?」と、後悔していると先生に促され席に着いた。
「さぁ、冗談はさておき、今日の授業は先日話していた実験をします」
プリントが配られ、班で実験の用意をする。薬剤を間違って混ぜれば危険と注意をされているので、気を引き締めて取り組まなければならない。
張り切っていると、隣の班である女子生徒の藤梨美咲が話しかけてきた。
「ねぇねぇ、穂積。今日の放課後って暇?」
「今日? 何もないけど、どうして?」
(確か弟たちは友達の家に行くとか言っていた気がする。もしだめでも母さんに聞いてみれば......)
1年の頃から話したりする程度の女友達の美咲は、俺の家事情を知っているから静かに聞いてくる。
「あのね今日の放課後、バレンタインンにあげたいって考えてる女子が集まってお菓子を作ろうって話をしてて、良かったら手伝ってほしいなーって」
手伝いね、確か入学して初めの自己紹介の時に家事ができるとか言った気がするな。そんな昔のこと、まだ覚えててくれたのか。
「好きな人に贈るんだ。......いいね、手伝うよ」
「やった! じゃあ、放課後家庭科室で待ってて。と言いたいところだけど、一緒に買い出しも付き合ってくれない?」
手を合わせながら、頼んでくる美咲に断ることは出来なかった。だって、一年に一度のイベントだから成功してほしい。
(俺が買い出しから付き合わなかったら、不親切な奴では? それに待っている間気まずくて逆に帰りたくなりそう)
後に見られる自分の地位と、手伝わなかったときの罪悪感の二つが頭の中で浮かび、手伝うことを宣言した。
「任せてよ、こう見えて力強いんだよ」
服の上からだが、力こぶを見せながら話すと、美咲は笑ってくれた。
「そこ、話してないで実験に集中しなさい」
先生に注意されこの話は終わり、それぞれ実験に戻りレポートを進めた。
放課後になり、家庭科室に行くとすでに何人かの女子生徒は集まっていた。
同じクラスの人もいれば、違うクラスだけど一緒に作ろうと誘われてきた人もいるらしい。
「あ、穂積だ。今日手伝ってくれるんでしょ? よろしくね」
「あ、うん。よろしく」 家庭科室に男子が一人。みんなは俺のことを異性として見ていないのは分かるが、本当にここにいていいのかと感じるくらいとても気まずい。
「お待たせ―! 先生に呼び止められちゃって」
美咲が息をあげながら家庭科室に入ってきた。何回か深呼吸をして、「じゃあ買い出し行こうか」と先陣を切ってスーパーに向かい始めた。
「いらっしゃいませ。今朝採れたてのサンマが安いよー」
「新発売の試食はいかがですか?」
学校近くのスーパーに足を運んだ。いつも寄る家近くのスーパーとは違って活気のあるスーパーで人がたくさんで賑わっている。それに、どこを見ても食材や日用品が安い。
(そういえば、トイレットペーパーなくなりかけてたな。いつものところより安いし買っていくか? いや、今は買い出しの付き添いだしまた後で来よう)
俺は安く売られている食材たちに夢中で気付けば、美咲たちとはぐれていることに気付いた。
いろいろなコーナーに顔を覗かせながら進むと、お菓子コーナーに彼女たちは集まって話し合っている。
「あ、穂積どこに行ってたの! 心配したでしょ」
「ごめん、ごめん。いつも行ってるスーパーより値段が安かったから見入っちゃって......」
心配をしてくれていたのかプクっと頬を膨らませる美咲。それを突いておちょくる彼女たち。その微笑ましさに自然と笑顔になった。
中心に集められたカートに乗せられたカゴを見ると、棚に出す前の状態の板チョコを入れていた。もちろん味は分かれている。
たくさん使うであろうミルクチョコレートは2箱、彩りをよくするためのホワイトチョコレートとイチゴチョコレートは1箱づつ、甘いのが苦手の人のためにダークチョコレートを1箱入れてある。
他にもホットケーキミックスや牛乳、卵など必要な物を取って入れを繰り替えす。
「あれと、これと......よし、全部入ってる」
美咲が最終確認をしてカートをレジまで押し、重くなったカゴを降ろしてお会計をする。レジに通った品物をバケツリレーのように運び段ボールに入れたり、袋に入れたりしている。
その間に彼女たちから集めたお金で美咲が支払いを済ませていた。
外に出た俺たちは重そうな荷物を中心に請け負い、学校へ戻る。
「あ、穂積も一緒にチョコ作ろうね」
突然の美咲の言葉に俺は両手に持っている荷物を落としかけた。
「な、なんで。俺は教えるだけに呼ばれただけでしょ?」
(今持っているのは、彼女たちが使う材料で。そのために彼女たちからお金を集めて買ったもの。俺が使うのは違う気がする)
「みんなと相談して決めたのよ。手伝ってもらうのもなんだか申し訳ないし。それなら、あなたが好きに作れる分の材料も用意して出来上がったものは家族とか、好きな人に渡してもらえたらなと思って」
笑顔で話す美咲はみんなの顔を見て頷いている。本当に俺のことも考えてくれたんだと伝わってくる。
そのために彼女たちの笑顔を、期待を裏切ってはいけない気がした。
「じゃあ、折角材料を用意してくれてることだし、俺も何か作ろうかな。もちろん、みんなの力になれるよう頑張るから!」
並んで学校に帰る姿が、なんだか青春って感じがした。
(何を作ろうか、そもそも誰に贈ろうか。家族には絶対あげるけど他にって言ったら、今日の参加してくれた子たち。それに、涼臣にもあげれたらいいんだけど受け取ってくれるかな......)
どうしても女子たちが作るものより劣ってしまいそう、というか邪魔しちゃ悪いかもと関わらないようにしてた。
(作ってみるだけ、作ってみようかな。あーでも......)
決まらないまま気づけば学校に着いていた。
荷物を降ろそうとした時に上に乗っていた軽めの荷物がバランスを崩して落ちそうになった。
「うわぁ!」
女子たちは多分この声でこちらを見ていただろう。が、荷物は落ちないまま段ボール上にあった。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうござい......ます」
荷物の影から見えた顔は、陶器のようにスベスベな肌が特徴的な俺の想い人である甘宮涼臣だった。
「荷物多くて大変でしょ、持っていくの手伝う」
俺が靴を履き替えていると荷物を持ってスタスタと先を歩き出し、美咲らを置いて追いかける感じになってしまった。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「あまり引き受けすぎて無茶しないようにね」
気遣った言葉をかけてくれた涼臣は、美咲らとすれ違いになるように出ていき帰っていった。
たった数分だったけど、俺にとってこの話すことのできた時間は嬉しさと共に宝物になった。
「あの時助けてくれるとは思わなかったね」
「うん、俺もそう思った。それに運んでくれるなんてもっと驚きだったよ」
美咲と話していると荷物の中身を分けていた子たちが、こちらに話しかけてきたところで話題は途切れた。
「残れる時間は短いし、早速作っていきましょうか」
それぞれ持ってきていたエプロンを着て手を洗い、調理器具を用意する者、買ってきた食材を出したり冷蔵庫に入れたりする者と別れていた。
家庭科室はどんなお菓子を作るのか、誰に渡すのか、楽しそうな話し声で賑やかだった。
教えると言って参加しているものの、今のところ手助けすることがなさそう。その間に何を作るのか決めようと、お菓子の調理本を見ていたが頭を抱えていた。
「俺はどうしようかな。スコーンはありきたりすぎるかな? でも、たくさんの人に配ることを考えるといいよな」
「穂積、今平気?」
1年の時に同じクラスだった菜穂ちゃんが俺に話しかけてきて一瞬驚いた。参加していたんだな。
「どうしたの?」
「あのね、私不器用だから料理もお菓子作りも失敗しがちで。そんな私でも簡単に作れるお菓子を教えてくれないかな?」
大切な人に渡したいんだろう、必死にお願いしてくる姿を見てそう思った。お願いされたら断るわけにはいかない。俺は今日、こういう人のために来てるんだから。
「もちろん、教えてあげるよ。まずは、必要な物を取りに行こう。板チョコとコーンフレークがあれば簡単にできるよ」
用意した物を持って空いているテーブルの前へ行き、準備を始めた。
「本当にこれだけでできるの?」
他で作っている子に比べて少ない材料、不安になっても仕方ない。
「簡単に早くできるよ。俺が作るのはチョコクランチってお菓子なんだ。えーっと、こういうお菓子なんだけど見たことない?」
イメージできるようにスマホで調べた画像を菜穂ちゃんに見せる。
「あ、知ってる。ザクザクして美味しいやつでしょ!」
知っているお菓子みたいで安心した。その方が、どういう食感・大きさだったのか思い出しながら作れて、出来上がりも簡単に想像できるから楽しいだろう。
それから、ゆっくり分かるように説明をしてお菓子作りに取り掛かった。
【①コーンフレークを欲しい量を取って粗く荒く砕く。②終わったら、細かく刻んだチョコをボウルに移して湯煎で溶かす。③溶かしきったら砕いたコーンフレークをチョコの中に加えて混ぜ合わせる(チョコが全体に着くように混ぜ合わせるのがコツ)④スプーンで適量取って形を整えながらクッキングシートの上にのせる。⑤全部のせ終えたら冷蔵庫に入れて冷やす。最後に固まっていたら完成】
「本当に私でも出来ちゃった。しかも出来上がりも悪くない! やったよ、ありがとう穂積」
「話を聞いて手順をしっかり守った菜穂ちゃんがより良くしたんだと思うよ」
菜穂ちゃんのお菓子を冷蔵庫で冷やしている間に、俺は家族に渡す予定のチョコチップスコーンを作っていた。
作り慣れたお菓子だからと手際よく作業を進める。できた生地を等分に分けている時だった。
離れた所のテーブルで仲良くお菓子を作っていた美咲が、こちらにやってきて俺の作っているものに興味を示し覗いている。
「穂積は何を作ってるの?」
「チョコチップスコーンだよ。家族に渡そうと思って。それに今日誘って、材料費も出してくれたみんなにお返しというか」
改めて言葉にすると恥ずかしくて照れてしまう。渡すまで内緒にしておこうと思っていたのに。
「へぇ、スコーンか。穂積の作るお菓子は絶対美味しいだろうな―。それにしても、私たち以外にバレンタインのお菓子渡したりするの?」
「家族には一応......」
(できれば、涼臣にも渡したいけどさっき以外接点ないし渡す機会だって......)
「ふーん。私はね、峰崎先生に渡すの。内緒だよ」
峰崎先生とは今年異動してきた英語の先生の一人で、涼臣に並ぶイケメンと女子生徒から人気のある先生だ。それに俺のクラスの担任でもある。
「どうして先生に渡そうって思ったの?」
「どうしてって、好きだからに決まってるじゃん。向こうは先生だから受けとってくれなかったり、受け取ってもらえても食べてはくれないかもしれないけど。それでも渡して、気持ちを言えたらなって思ったの。たったそれだけだよ」
美咲の言っている意味がストンと心の中に落ちた。
(好きだから渡す、難しい理由を考えなくても簡単でいいんだ)
ずっと誰かに聞いてほしかった。普通ではないこの気持ちが間違っていると世の中から否定されるのが怖くて、母さんにでさえ話すことを自分から拒否していた。
美咲は生徒と先生という立場の差を気にすることなく、明かしてくれた。
俺はそれを見習いたい。美咲のように伝えれる人になりたい。
「あ、のさ。美咲にだけ俺の好きな人を教えるから聞いてくれる?」
美咲は「なになに?」と興味津々で前のめりに聞いてくる。心臓の鳴る音が大きくなっていく。
(大丈夫)
「本当は俺、家族以外にも好きな人に渡したくて......。それが、甘宮涼臣君なんだ。勇気が出ないし、女子たちの邪魔しちゃ悪いから諦めようと思ってたんだけど、美咲の『好きだから渡す』って言葉が刺さって、それで聞いてもらいたくなった」
弱々しく自信なさげな言葉が、どうしたいのか、どうなりたいのか自分自身でも分からなくなってくる。
(カミングアウトしたけど、俺の好きな相手は同性だ。絶対引かれるに決まってる)
非難を覚悟していたが思っていた反応とは違い、受け入れてくれている。
「へぇ、穂積は甘宮が好きなんだ! 甘宮は競争率やばいから目立つようなお菓子にしないとね。いっその事、ケーキタワーとかにしちゃう? なーんて」
話を聞いても引いている様子もなく、その証拠にどんなお菓子を作るか協力的に意見を出してくれている。
「なんとも思わないの? 気持ち悪いとか、そういう......」
「ないよ。私だって好きになった人がたまたま男性で、先生だっただけだし。それと同じでしょ? 穂積の場合は、好きになった人がたまたま同じ性別の人を好きになっただけ。何もおかしくないよ」
笑顔で話す美咲がなんだかカッコいい大人のように思え、恥かしいと思っていた自分がバカに思えてきた。
「おかしくない、か......。じゃあ、勇気出して渡してみようかな。ありがとう、美咲」
「アドバイスになったのならよかった。で、何を作って渡すの? やっぱりケーキタワー......」
「違うよ、でもどうしよう。何も考えてなくて」
二人して腕を組みながら頭を悩ませていた。
(ありきたりなものじゃなくて、特別なこの思いが伝わるものを渡したい)
すると、先ほどまで一緒にいた菜穂ちゃんが友達のところから色々な柄の包装紙を持って俺たちのいるテーブルに帰ってきた。
「何してるの?」
「菜穂ちゃん。俺も好きな人にバレンタインに渡そうかなって話になって、特別思いが伝わりそうなお菓子ないのかなって悩んでて」
菜穂ちゃんも同じように腕を組んで一緒に考えてくれた。
誰も思いつかなかったら、チョコケーキ辺りを作って渡そうと諦めていたその時、菜穂が「そういえば!」と突然大きな声を上げ、視線を集めていた。
叫んだ本人は見られていることに気が付き「お騒がせしました」と顔を赤くして小さくなっていった。
「お菓子じゃないんだけど、私『りんごのおまじない』っていうの知ってる! 赤く熟したりんごを綺麗に磨いて、月に願いながら相手と自分の名前を彫ると両想いになるとか。今回は綺麗に磨いたりんごを使ったお菓子にしてみたらどうかな?」
自身満々に話す菜穂。美咲は信じていないようで、バカにしていた。
本来なら、俺も信じはしないけど渡すといった手前、信じない方がバカだと思う。
(多少おまじないの手順が違ったって、想いは伝わるはず)
「俺、そのおまじない信じてやってみるよ。教えてくれてありがとう」
りんごを使ったお菓子と言えば定番だけど、アップルパイにしよう。前に弟の実と双子の妹の栞に作ったことがあった。
「何にするか決まったね」
「あぁ、アップルパイにしてみようかなって」
話すと美咲はスマホを取り出し何かを調べた。出てきた画面を俺の目の前に突き出し見せてくる。
「よかったね明良。アップルパイはバレンタインの意味で言うと、『永遠に続く愛』や『幸せがずっと続くように』らしいよ。少し重いかもしれないけど、気持ちは絶対伝わるよ」
美咲が背中を押すように話をする。彼女にもらったものは決して軽いものじゃない。
俺の恋が叶ったら美咲の恋も叶うのかな、なんてしょうもない小さい願いを胸にアップルパイ作りを始めた。
俺と違ってなんでも持ち合わせていて、なんでもできる彼、甘宮涼臣。
彼のことを慕っている人も好いている人も多く、そんな彼はみんなから「完璧王子」と呼ばれている。
みんなは話かけにいく上で普通に名前を呼ぶと思う。
「涼臣くん」「涼臣」と呼んでいる姿に、羨ましい気持ちがあったりする。
接点がない俺は心の中では「涼臣」と呼び捨てにしているが、人前ではもちろん身をわきまえて「甘宮くん」と呼んでいる。
友達の垣根を超えた恋人になれたらと思うが、まずは近くで名前を呼び合えるような仲になりたいと願うばかりだった。
涼臣とクラスの離れている俺は、たまたますれ違った時ぐらいしか顔を見ることができない。
こちらから行く機会もなければ、向こうからこちらの前を通ったりする機会が少ない。なんというもどかしい距離。
そしてこの間の移動教室の日、日直の仕事で職員室に寄ってから行くときがあった。
職員室は涼臣のクラスである2‐3の前を通る必要があった。
少しでも見れたラッキーと考えてワクワクしながら通る。チラッと教室を覗くと窓側の席に涼臣はいた。
太陽の光に綺麗な漆黒の髪が当たり、目を引く。友達なのか、違うタイプの男子が話しかけに言っているところを目にする。
「俺もあんな風に話してみたいな。なんて、ははっ......」
羨むくらいなら話しかけに行けばいいのに。昔は話しかけれないなんてなかったのにな。
その場でぼーっとしていると、予鈴のチャイムが廊下中に鳴り響く。
「あ、日誌取りに行かないと」
俺は廊下を早歩きで進み職員室に向かった。
急ぐことに夢中になっていた俺は、こちらを見ていた涼臣に気付くことはなかった。
「せ、セーフ! ですよね!」
本鈴が理科室に入ったと同時に鳴る。先生の顔を見て聞いてみると、ノリのいい先生は「まぁ、今日出す課題もちゃんと出すことができたらセーフにしてやる」と言ってくる。
「えー嘘だ! 間に合ってたよね?」
クラスメイト達に問うが、「先生が言ってるんでしょ?」「お前よかったなー」とふざけながら返されてしまう。
誰もが味方をしてくれないクラスメイトに「セーフとか聞かなきゃよかったか?」と、後悔していると先生に促され席に着いた。
「さぁ、冗談はさておき、今日の授業は先日話していた実験をします」
プリントが配られ、班で実験の用意をする。薬剤を間違って混ぜれば危険と注意をされているので、気を引き締めて取り組まなければならない。
張り切っていると、隣の班である女子生徒の藤梨美咲が話しかけてきた。
「ねぇねぇ、穂積。今日の放課後って暇?」
「今日? 何もないけど、どうして?」
(確か弟たちは友達の家に行くとか言っていた気がする。もしだめでも母さんに聞いてみれば......)
1年の頃から話したりする程度の女友達の美咲は、俺の家事情を知っているから静かに聞いてくる。
「あのね今日の放課後、バレンタインンにあげたいって考えてる女子が集まってお菓子を作ろうって話をしてて、良かったら手伝ってほしいなーって」
手伝いね、確か入学して初めの自己紹介の時に家事ができるとか言った気がするな。そんな昔のこと、まだ覚えててくれたのか。
「好きな人に贈るんだ。......いいね、手伝うよ」
「やった! じゃあ、放課後家庭科室で待ってて。と言いたいところだけど、一緒に買い出しも付き合ってくれない?」
手を合わせながら、頼んでくる美咲に断ることは出来なかった。だって、一年に一度のイベントだから成功してほしい。
(俺が買い出しから付き合わなかったら、不親切な奴では? それに待っている間気まずくて逆に帰りたくなりそう)
後に見られる自分の地位と、手伝わなかったときの罪悪感の二つが頭の中で浮かび、手伝うことを宣言した。
「任せてよ、こう見えて力強いんだよ」
服の上からだが、力こぶを見せながら話すと、美咲は笑ってくれた。
「そこ、話してないで実験に集中しなさい」
先生に注意されこの話は終わり、それぞれ実験に戻りレポートを進めた。
放課後になり、家庭科室に行くとすでに何人かの女子生徒は集まっていた。
同じクラスの人もいれば、違うクラスだけど一緒に作ろうと誘われてきた人もいるらしい。
「あ、穂積だ。今日手伝ってくれるんでしょ? よろしくね」
「あ、うん。よろしく」 家庭科室に男子が一人。みんなは俺のことを異性として見ていないのは分かるが、本当にここにいていいのかと感じるくらいとても気まずい。
「お待たせ―! 先生に呼び止められちゃって」
美咲が息をあげながら家庭科室に入ってきた。何回か深呼吸をして、「じゃあ買い出し行こうか」と先陣を切ってスーパーに向かい始めた。
「いらっしゃいませ。今朝採れたてのサンマが安いよー」
「新発売の試食はいかがですか?」
学校近くのスーパーに足を運んだ。いつも寄る家近くのスーパーとは違って活気のあるスーパーで人がたくさんで賑わっている。それに、どこを見ても食材や日用品が安い。
(そういえば、トイレットペーパーなくなりかけてたな。いつものところより安いし買っていくか? いや、今は買い出しの付き添いだしまた後で来よう)
俺は安く売られている食材たちに夢中で気付けば、美咲たちとはぐれていることに気付いた。
いろいろなコーナーに顔を覗かせながら進むと、お菓子コーナーに彼女たちは集まって話し合っている。
「あ、穂積どこに行ってたの! 心配したでしょ」
「ごめん、ごめん。いつも行ってるスーパーより値段が安かったから見入っちゃって......」
心配をしてくれていたのかプクっと頬を膨らませる美咲。それを突いておちょくる彼女たち。その微笑ましさに自然と笑顔になった。
中心に集められたカートに乗せられたカゴを見ると、棚に出す前の状態の板チョコを入れていた。もちろん味は分かれている。
たくさん使うであろうミルクチョコレートは2箱、彩りをよくするためのホワイトチョコレートとイチゴチョコレートは1箱づつ、甘いのが苦手の人のためにダークチョコレートを1箱入れてある。
他にもホットケーキミックスや牛乳、卵など必要な物を取って入れを繰り替えす。
「あれと、これと......よし、全部入ってる」
美咲が最終確認をしてカートをレジまで押し、重くなったカゴを降ろしてお会計をする。レジに通った品物をバケツリレーのように運び段ボールに入れたり、袋に入れたりしている。
その間に彼女たちから集めたお金で美咲が支払いを済ませていた。
外に出た俺たちは重そうな荷物を中心に請け負い、学校へ戻る。
「あ、穂積も一緒にチョコ作ろうね」
突然の美咲の言葉に俺は両手に持っている荷物を落としかけた。
「な、なんで。俺は教えるだけに呼ばれただけでしょ?」
(今持っているのは、彼女たちが使う材料で。そのために彼女たちからお金を集めて買ったもの。俺が使うのは違う気がする)
「みんなと相談して決めたのよ。手伝ってもらうのもなんだか申し訳ないし。それなら、あなたが好きに作れる分の材料も用意して出来上がったものは家族とか、好きな人に渡してもらえたらなと思って」
笑顔で話す美咲はみんなの顔を見て頷いている。本当に俺のことも考えてくれたんだと伝わってくる。
そのために彼女たちの笑顔を、期待を裏切ってはいけない気がした。
「じゃあ、折角材料を用意してくれてることだし、俺も何か作ろうかな。もちろん、みんなの力になれるよう頑張るから!」
並んで学校に帰る姿が、なんだか青春って感じがした。
(何を作ろうか、そもそも誰に贈ろうか。家族には絶対あげるけど他にって言ったら、今日の参加してくれた子たち。それに、涼臣にもあげれたらいいんだけど受け取ってくれるかな......)
どうしても女子たちが作るものより劣ってしまいそう、というか邪魔しちゃ悪いかもと関わらないようにしてた。
(作ってみるだけ、作ってみようかな。あーでも......)
決まらないまま気づけば学校に着いていた。
荷物を降ろそうとした時に上に乗っていた軽めの荷物がバランスを崩して落ちそうになった。
「うわぁ!」
女子たちは多分この声でこちらを見ていただろう。が、荷物は落ちないまま段ボール上にあった。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうござい......ます」
荷物の影から見えた顔は、陶器のようにスベスベな肌が特徴的な俺の想い人である甘宮涼臣だった。
「荷物多くて大変でしょ、持っていくの手伝う」
俺が靴を履き替えていると荷物を持ってスタスタと先を歩き出し、美咲らを置いて追いかける感じになってしまった。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
「あまり引き受けすぎて無茶しないようにね」
気遣った言葉をかけてくれた涼臣は、美咲らとすれ違いになるように出ていき帰っていった。
たった数分だったけど、俺にとってこの話すことのできた時間は嬉しさと共に宝物になった。
「あの時助けてくれるとは思わなかったね」
「うん、俺もそう思った。それに運んでくれるなんてもっと驚きだったよ」
美咲と話していると荷物の中身を分けていた子たちが、こちらに話しかけてきたところで話題は途切れた。
「残れる時間は短いし、早速作っていきましょうか」
それぞれ持ってきていたエプロンを着て手を洗い、調理器具を用意する者、買ってきた食材を出したり冷蔵庫に入れたりする者と別れていた。
家庭科室はどんなお菓子を作るのか、誰に渡すのか、楽しそうな話し声で賑やかだった。
教えると言って参加しているものの、今のところ手助けすることがなさそう。その間に何を作るのか決めようと、お菓子の調理本を見ていたが頭を抱えていた。
「俺はどうしようかな。スコーンはありきたりすぎるかな? でも、たくさんの人に配ることを考えるといいよな」
「穂積、今平気?」
1年の時に同じクラスだった菜穂ちゃんが俺に話しかけてきて一瞬驚いた。参加していたんだな。
「どうしたの?」
「あのね、私不器用だから料理もお菓子作りも失敗しがちで。そんな私でも簡単に作れるお菓子を教えてくれないかな?」
大切な人に渡したいんだろう、必死にお願いしてくる姿を見てそう思った。お願いされたら断るわけにはいかない。俺は今日、こういう人のために来てるんだから。
「もちろん、教えてあげるよ。まずは、必要な物を取りに行こう。板チョコとコーンフレークがあれば簡単にできるよ」
用意した物を持って空いているテーブルの前へ行き、準備を始めた。
「本当にこれだけでできるの?」
他で作っている子に比べて少ない材料、不安になっても仕方ない。
「簡単に早くできるよ。俺が作るのはチョコクランチってお菓子なんだ。えーっと、こういうお菓子なんだけど見たことない?」
イメージできるようにスマホで調べた画像を菜穂ちゃんに見せる。
「あ、知ってる。ザクザクして美味しいやつでしょ!」
知っているお菓子みたいで安心した。その方が、どういう食感・大きさだったのか思い出しながら作れて、出来上がりも簡単に想像できるから楽しいだろう。
それから、ゆっくり分かるように説明をしてお菓子作りに取り掛かった。
【①コーンフレークを欲しい量を取って粗く荒く砕く。②終わったら、細かく刻んだチョコをボウルに移して湯煎で溶かす。③溶かしきったら砕いたコーンフレークをチョコの中に加えて混ぜ合わせる(チョコが全体に着くように混ぜ合わせるのがコツ)④スプーンで適量取って形を整えながらクッキングシートの上にのせる。⑤全部のせ終えたら冷蔵庫に入れて冷やす。最後に固まっていたら完成】
「本当に私でも出来ちゃった。しかも出来上がりも悪くない! やったよ、ありがとう穂積」
「話を聞いて手順をしっかり守った菜穂ちゃんがより良くしたんだと思うよ」
菜穂ちゃんのお菓子を冷蔵庫で冷やしている間に、俺は家族に渡す予定のチョコチップスコーンを作っていた。
作り慣れたお菓子だからと手際よく作業を進める。できた生地を等分に分けている時だった。
離れた所のテーブルで仲良くお菓子を作っていた美咲が、こちらにやってきて俺の作っているものに興味を示し覗いている。
「穂積は何を作ってるの?」
「チョコチップスコーンだよ。家族に渡そうと思って。それに今日誘って、材料費も出してくれたみんなにお返しというか」
改めて言葉にすると恥ずかしくて照れてしまう。渡すまで内緒にしておこうと思っていたのに。
「へぇ、スコーンか。穂積の作るお菓子は絶対美味しいだろうな―。それにしても、私たち以外にバレンタインのお菓子渡したりするの?」
「家族には一応......」
(できれば、涼臣にも渡したいけどさっき以外接点ないし渡す機会だって......)
「ふーん。私はね、峰崎先生に渡すの。内緒だよ」
峰崎先生とは今年異動してきた英語の先生の一人で、涼臣に並ぶイケメンと女子生徒から人気のある先生だ。それに俺のクラスの担任でもある。
「どうして先生に渡そうって思ったの?」
「どうしてって、好きだからに決まってるじゃん。向こうは先生だから受けとってくれなかったり、受け取ってもらえても食べてはくれないかもしれないけど。それでも渡して、気持ちを言えたらなって思ったの。たったそれだけだよ」
美咲の言っている意味がストンと心の中に落ちた。
(好きだから渡す、難しい理由を考えなくても簡単でいいんだ)
ずっと誰かに聞いてほしかった。普通ではないこの気持ちが間違っていると世の中から否定されるのが怖くて、母さんにでさえ話すことを自分から拒否していた。
美咲は生徒と先生という立場の差を気にすることなく、明かしてくれた。
俺はそれを見習いたい。美咲のように伝えれる人になりたい。
「あ、のさ。美咲にだけ俺の好きな人を教えるから聞いてくれる?」
美咲は「なになに?」と興味津々で前のめりに聞いてくる。心臓の鳴る音が大きくなっていく。
(大丈夫)
「本当は俺、家族以外にも好きな人に渡したくて......。それが、甘宮涼臣君なんだ。勇気が出ないし、女子たちの邪魔しちゃ悪いから諦めようと思ってたんだけど、美咲の『好きだから渡す』って言葉が刺さって、それで聞いてもらいたくなった」
弱々しく自信なさげな言葉が、どうしたいのか、どうなりたいのか自分自身でも分からなくなってくる。
(カミングアウトしたけど、俺の好きな相手は同性だ。絶対引かれるに決まってる)
非難を覚悟していたが思っていた反応とは違い、受け入れてくれている。
「へぇ、穂積は甘宮が好きなんだ! 甘宮は競争率やばいから目立つようなお菓子にしないとね。いっその事、ケーキタワーとかにしちゃう? なーんて」
話を聞いても引いている様子もなく、その証拠にどんなお菓子を作るか協力的に意見を出してくれている。
「なんとも思わないの? 気持ち悪いとか、そういう......」
「ないよ。私だって好きになった人がたまたま男性で、先生だっただけだし。それと同じでしょ? 穂積の場合は、好きになった人がたまたま同じ性別の人を好きになっただけ。何もおかしくないよ」
笑顔で話す美咲がなんだかカッコいい大人のように思え、恥かしいと思っていた自分がバカに思えてきた。
「おかしくない、か......。じゃあ、勇気出して渡してみようかな。ありがとう、美咲」
「アドバイスになったのならよかった。で、何を作って渡すの? やっぱりケーキタワー......」
「違うよ、でもどうしよう。何も考えてなくて」
二人して腕を組みながら頭を悩ませていた。
(ありきたりなものじゃなくて、特別なこの思いが伝わるものを渡したい)
すると、先ほどまで一緒にいた菜穂ちゃんが友達のところから色々な柄の包装紙を持って俺たちのいるテーブルに帰ってきた。
「何してるの?」
「菜穂ちゃん。俺も好きな人にバレンタインに渡そうかなって話になって、特別思いが伝わりそうなお菓子ないのかなって悩んでて」
菜穂ちゃんも同じように腕を組んで一緒に考えてくれた。
誰も思いつかなかったら、チョコケーキ辺りを作って渡そうと諦めていたその時、菜穂が「そういえば!」と突然大きな声を上げ、視線を集めていた。
叫んだ本人は見られていることに気が付き「お騒がせしました」と顔を赤くして小さくなっていった。
「お菓子じゃないんだけど、私『りんごのおまじない』っていうの知ってる! 赤く熟したりんごを綺麗に磨いて、月に願いながら相手と自分の名前を彫ると両想いになるとか。今回は綺麗に磨いたりんごを使ったお菓子にしてみたらどうかな?」
自身満々に話す菜穂。美咲は信じていないようで、バカにしていた。
本来なら、俺も信じはしないけど渡すといった手前、信じない方がバカだと思う。
(多少おまじないの手順が違ったって、想いは伝わるはず)
「俺、そのおまじない信じてやってみるよ。教えてくれてありがとう」
りんごを使ったお菓子と言えば定番だけど、アップルパイにしよう。前に弟の実と双子の妹の栞に作ったことがあった。
「何にするか決まったね」
「あぁ、アップルパイにしてみようかなって」
話すと美咲はスマホを取り出し何かを調べた。出てきた画面を俺の目の前に突き出し見せてくる。
「よかったね明良。アップルパイはバレンタインの意味で言うと、『永遠に続く愛』や『幸せがずっと続くように』らしいよ。少し重いかもしれないけど、気持ちは絶対伝わるよ」
美咲が背中を押すように話をする。彼女にもらったものは決して軽いものじゃない。
俺の恋が叶ったら美咲の恋も叶うのかな、なんてしょうもない小さい願いを胸にアップルパイ作りを始めた。

