「ここは関係代名詞の──」

窓を(たた)くように降り続ける雨のせいで、授業を進める先生の声が遠かった。午後の授業は、やたら時の流れが遅くなる。じんわり迫りくる睡魔に負けて机に突っ伏す生徒がちらほらといる中、私はできるかぎり先生の言葉を聞き逃さないように神経を尖らせた。

中学生の頃は、英語が苦手だった。けれど、高校に入ってから少しだけ得意になった。赤点は確実に回避できるし、呪文みたいに英語の長文が続いてもだいたい読み取ることができる。「先生の話をちゃんと聞く」という、あたりまえのことをきちんとこなすだけで確実に成績がよくなることを、私は高校生になるまで知らなかった。実際には、「知らなかった」というより「気づかないふりをしていた」というほうが正しいのかもしれないけれど。

雨音がまた強くなる。梅雨は嫌いだ。湿気で前髪は思い通りにならないし、常に折り畳み傘を備えていないといけないから荷物が増える。そして何より、

「今日は二十五日なので二十五番の人──……(たき)さん。次のページから読んでいただけますか?」

穏やかで柔らかい先生の声にノイズがかかって鬱陶しいから。

英語教師の(よこ)(はら)先生。年齢は、たしかに今年で二十七歳。整った顔をしているから、女子生徒からの人気が高い男の先生だ。

結婚をしたのは最近のことで、私が一年生のときはまだ独身だったからか、よく廊下で「彼女いるの?」とか「どんな人が好みなの?」とか、授業とは全然関係のない会話を振られているところを見かけたことがある。けれど、先生は表情ひとつ変えず、「君たちには教えません」とだけ言っていた。

君たちには教えません。私に向けて言われたわけではなかったけれど、あのときたしかに、そこで線を引かれた気がしたのだった。

「はい、ありがとうございます」

読み終えると、耳に心地のよい低音で感謝された。すべての音が丁寧で上品に聞こえる。「よく発音できていますね」と(つぶや)くように言われたそれを、私はお守りみたいに記憶していくのだろう。過去に言われた言葉も、私に向けられた視線も、全部覚えている。記憶が追加されるたび、この学校に来た価値があったと思えるのだ。

先生と自然に目が合うことはほとんどない。私が瞬きすら惜しむほど見つめても、清々しいほどに気づかれない。他の教科では視線を送ると気づいてくれる先生がほとんどなので、それだけ先生が他人に興味がないということがわかって、少しだけ悲しくなったりもするのだった。

「じゃあ続きから、名島くん」

「はい」

うしろの席に座る名島くんにバトンが渡され、私の出番は終了。名島くんが、指定された英文を流暢(りゅうちょう)に読んでいる。その声を聴きながら私は(ほお)(づえ)をつき、窓に視線を移した。

くじ引きで決まった席順には偏りがあり、名島くんの周りは男子ばかりで、その中で唯一、彼の前 に座る私だけが女子だった。それが理由で、席替えをした当時は桃音(ももね) やあかりをはじめ、あまり話したことのない女子たちからも散々羨ましがられたのを覚えている。『名島くんの近くの席』だけなら誰かと替わってあげてもよかったが、単純に窓際の後方というところが好条件だったので、誰かに譲ることもなく、私はこの席に座っている。

眺めた外の景色はどんよりとしていて、昼間とは思えないくらい明るさがなかった。