桜庭陽菜は、いつものように無表情で歩いていた。

日常の中で、彼女は他人の視線を避けるように、何事もなかったかのように振る舞っていた。

周囲の人々には目を向けず、心を閉ざして、ただ流れに身を任せるように生きている。

彼女の中には、他人の言葉や表情を避けるためのマスクが常にかかっていた。

誰にも見られないように、誰にも気づかれないように。

それでも、どこか心の中で空虚さが膨らみ、深い渇きが広がっていく。

誰かに気づかれることもなく、ただ一人で生きることには限界があると知りながらも、その感情を言葉にすることすらできなかった。

満たされることなく、日々がただ過ぎていくだけだった。

その夜、陽菜はふと街を歩いていた。

いつもと変わらぬ、静かな街の灯りが淡く輝いている。

彼女はただその光を目指して歩き続けることしかできなかった。

足音が冷たい風とともに響く中、ふと耳に届く音があった。

最初は遠くの方から聞こえてきた歌声。

その声は、どこか懐かしさを感じさせるものだった。

陽菜はその音に引き寄せられるように、足を止めて振り向いた。

そこには、見知らぬ人物が路上で歌っていた。

彼は、通行人の目も気にせず、ただ一人で歌い続けている。

誰かに見られているわけでもなく、ただひたすらに歌うその姿は、どこか儚げで、しかし強い意志を感じさせた。

歌詞が耳に届く。

「どうせ誰も見ちゃいないから」

その言葉が陽菜の胸に響く。

まるで彼が自分に語りかけているかのような気がした。

陽菜は、胸の奥にひとしずくの安堵が流れ込むのを感じた。

しかしその安心感は、すぐに冷徹な現実に引き戻される。

歌声が止んだ後、再び彼女は孤独に包まれる。

心の中では、何かが揺れ動いていた。

彼の歌声に、少しだけ触れたことで、陽菜は無意識のうちに自分がその声に惹かれていることに気づく。

自分の心が不安定になるのを感じながらも、陽菜はそれを否定するかのように顔を背ける。

こんなことで心を動かされてはいけない、そんな思いが彼女の中で頭をもたげる。

それでも、歌声が耳から離れず、無意識のうちにその歌に引き寄せられる自分がいた。

陽菜は立ち止まったまま、何も言わず、ただその場にいた。