その日、悠はいつものように夕暮れの街を歩いていた。

空はすでに暗くなりかけ、街灯がひとつひとつ灯りをともしていく。

彼の足音が静かな空気を切り裂いて、ただそれだけが周りの静けさを壊しているようだった。

そして、ふと耳にしたのは、風に乗って届く歌声だった。

最初はただの風の音だと思った。

しかし、次第にその音が彼の心を捕らえ、引き寄せていった。

歌声はまるでこの街のどこかに消えそうで、でも、確かに耳に残る。

悠は足を止め、周囲を見渡すと、遠くの公園のベンチに一人の少女が座っていた。

彼女の姿は、どこか儚げで、心に響くような美しさを持っていた。

白いワンピースをひらひらと揺らしながら、彼女は歌い続けていた。

小桜ひなた――その名前が、悠の耳にふと浮かぶ。

彼女の歌声は、彼の中にある過去の痛みを引き出し、胸を締めつけた。

悠は足を踏み出し、ひなたのもとへと近づいた。

歌声は、彼が忘れたかった記憶を呼び覚まし、痛みと共に心に深くしみ込んでいった。

過去に失ったもの、もう戻らないものを思い出させるようで、思わず足を止めてしまう。

「どうして、こんなにも…」

彼の心の中で、言葉にならない声が響く。

ひなたの歌声があまりにも美しく、でもどこか切ない。

その儚さに、悠は魅了されると同時に、恐れを抱かずにはいられなかった。

もし、これを失ってしまったら? 

もし彼女の声が途切れてしまったら? 

その思いが彼の胸を締めつけ、息苦しさを感じさせた。

「どうしても、誰かの涙を止めたくて…」

ひなたが歌うその言葉が、悠の心に深く刻まれる。

それはまるで、彼の中に潜んでいた思いをそのまま代弁しているかのようだった。

誰かの涙を止めたい。

悠の中でも、ずっとその思いが消えずに残っていた。だけど、それが叶わないことを、痛いほど知っていた。

そして、ひなたの歌声が止まると、彼の心の中に静けさが広がった。

心の中の葛藤が溶けたわけではなく、むしろそれはますます強くなったように感じられた。

彼はただ静かに、その場に立ち尽くしていた。

「もし、あなたが…」

悠は、彼女に声をかけることなく、そのまま遠くを見つめた。

心の中で答えが見つからず、それでも彼女の歌声があまりにも心地よく、どこか救いを求めるように、

静かに響いていることに気づいていた。

ひなたの姿が、悠の中で静かに恋しくなっていった。