歩き出すために

澪架は、その声に引き寄せられるように歩き続けた。
「あなた」の声が、どこか近くにいるような気がして、足が自然と進んでいく。

そして——

ある日、とうとうその「あなた」と出会うことになった。

その日、澪架はいつものように街を歩いていた。
人々は忙しそうに行き交い、誰も彼女に気づくことはない。
でも、その瞬間、ふと立ち止まった男の子が目に入った。

彼は澪架を見つめて、微笑みながら一歩踏み出した。
「君、ずっと探していたんだ」

その声を聞いたとき、澪架の胸が一瞬、締め付けられるように痛んだ。
知らないはずの男の子が、なぜ自分を探していたのか。それでも、彼の目には確かに何かが宿っていた。
その目の奥に、どこか懐かしさを感じたのだ。

「……誰?」

澪架の声は震えていた。
そのとき、男の子が静かに手を差し伸べてきた。
「僕の名前は蒼依。君が探していたのは、僕かもしれない」

その手は、温かかった。
温もりが澪架の心に伝わる。

今まで感じたことのない、穏やかで安心する感情が、彼女の中に芽生えた。
それはまるで、長い間冷え切っていた心が少しずつ溶けていくような感覚だった。

だが、その一方で、澪架の中には恐怖が芽生えていた。
もしも、この温もりを失ってしまったら——?
もしも、手を握ったこの瞬間が、ただの幻であるなら——?

「君が……本当に僕を見つけてくれたの?」
蒼依の瞳が澪架をじっと見つめる。
その視線に、澪架はまた心が揺れるのを感じた。
その優しさが、自分にとってどれだけ大切なものか、まだよくわからなかったけれど、感じずにはいられなかった。

「……怖い」
澪架は小さな声で呟いた。
その言葉に、蒼依は微笑んだ。
「怖がらなくても大丈夫だよ」

その言葉が、澪架の胸に暖かさを残す。
けれど、同時に湧き上がる不安もあった。
幸せを感じれば感じるほど、その幸せを失う恐怖も大きくなる。

「もしも、この手を離したら?」
心の中で問いかける。
でも、蒼依の手はしっかりと握り返してくれる。

その瞬間、澪架は気づいた。
彼女は、変わり始めていることを。
そして、幸せを感じたことに、恐れる自分を少しずつ許していることを。