「あの時階段から落ちた私を助けてくれたのは――有馬くんだったの……?」

 黒川から急にナイフを突きつけられた――そんな感覚さえした。やったこと自体は悪いことではないと思うのだけど、ずっと隠していたという罪悪感、嘘を吐き続けていたという罪悪感が、彼女の言葉をそんな風に感じさせていた。

「いや、あれは蓮が――「本当に!?」」

 黒川は俺に詰め寄り、先ほど近寄ってきた以上に、ぐっと顔を寄せてきた。

「本当はね……少し変だなって思ってたの。道夏ちゃんの様子もいつもと違ったし、最初に駅で道夏ちゃんが指さしたのは、有馬くんのほうだったし。でも、私は覚えてなくて、みんなが『城崎くんが助けてくれた』って言うなら、そうなのかなって思ったの」

 俺の目を真っすぐに見たまま、黒川は言う。少しだけ、怒っているような表情で。

「体を包まれてる感覚とか、力強さとか、本当に一緒だった。匂いとか温かさだけでも、あの時のことが頭に浮かぶもん。ねぇ、有馬くん――教えてよ」

 ジッと目をそらさず、彼女は俺を追求する。

 たぶん、これはきっかけなのだろう。怪しい部分がいろいろとあったけれど、確証に至るものではなかった――そしてなにより、みんなが隠し事をしていないと、黒川は信じたかったのだろう。

 俺が彼女に真相を隠し続けていたのは、彼女にとって蓮に助けられたほうが幸せだと思ったからだ。そしてその後は、俺が骨折してしまったという責任を、彼女にわざわざ負わせたくなかったからだ。

 前者に関しては解決。後者も、腕が完治しているいま、以前よりだいぶマシだ。

「……本当のことを、教えてよ」

 もう一度、彼女は言った。
 たぶん、彼女の中ではもう確信しているのだろう。あの時助けたのは俺であると。
そして、それを俺の口から言ってほしいのだろう。

 どれぐらいの時間だろうか……十秒か、三十秒か、それとも一分か。無言のなか、考えた。そして――、

「ごめん……あの日、黒川を助けたのは、俺だった」

 謝罪し、真実を話す。
 俺の言葉を聞いた彼女は、表情を変えないまま口を開く。

「骨折したのも、きっと私のせいなんだよね。家の階段じゃなくて、あの時なんだよね? ……だから隠してたの? 私、有馬くんに何もしてあげられてないよ? そんなの、全然嬉しくないよ! なんでそんな大事なこと、黙ってたの!」

 目を潤ませながら、彼女は俺の胸をグーでトンと叩く。

「有馬くんは私のことを想ってそうしてくれたのかもしれないけど、嬉しくないよ! 何も嬉しくないよ! 私のせいで恩人が痛くてつらい目に遭ってたのに、私は何もできなかったよ!?」

「……なにも、ってことはないだろ。黒川はノートを俺の代わりにとってくれたり、色々気にかけてくれてたじゃないか」

「でも私は、それが自分のせいだなんて気づかなかった!」

 もう一度トン、と俺の胸を叩く。先ほどよりは、少し強めに。

 こんな風に、彼女が嫌な思いをしてしまうのはわかっていた。
だが、あのまま無理やり嘘を吐き続けて、信用ならない人間として彼女の友達を続けるよりは、良いと思ったのだ。

「本当にごめん、黒川。書いてくれた手紙とかは蓮から受け取ってたよ。だから感謝の気持ちは、しっかり俺に届いてた」

 俺がそう言うと、黒川は怒り、悲しみ、そして不満そうな顔をしながらも、コクリと頷く。

「……じゃあもう一回書かせてよ。あれは城崎くん宛だったもん」

「別にそんなことしなくても――「書くから」――はい、余計なこと言ってすみません」

 ムスッとした表情で宣言した黒川は、そのまま流れるように抱き着いてきた。そして、俺の胸に顔をうずめながら「ありがと、有馬くん」と口にする。

 申し訳なさと恥ずかしさと緊張で頭がどうにかなりそうだ。しかし、ずっとだまし続けてきた罪悪感で、彼女から逃れることもできない。

 いつまでこの幸せに耐えねばならないのだろうか、そう思ったところで、黒川は俺から離れながら「これぐらいは許されるよね?」と言ってきた。俺は再び、コクリと頷いた。

「優しいのは知ってるけど、優しすぎはダメだよ有馬くん」

 相変わらずムスッとした表情、しかしどこか嬉しそうに、黒川は言った。

 いや、別に俺は優しくないんだよ。完全な自分本位の理由だったし。
 いい機会だから、昔のこともきちんと話しておいたほうがいいか。
 いま、黒川だけが仲間外れの状態だもんな。

「あの、それなんだけどさ。実は黙っていたのは骨折が理由じゃないんだよ。俺に抱き着かれたって事実が、黒川にとって不幸なんじゃないかと思ってたからなんだ」

 俺がそう言うと、彼女はキョトンとした表情に変わる。
 そして不思議そうに首を傾けた。

「小学校のころ、俺は容姿でいじめられてたからさ――そんな奴に助けられたら、嫌だろうなって思ってたんだよ。だからその場にいた蓮と熱海には、なんとか説得して黙ってもらってたんだ」

「外見なんて関係ないよ! もう……なんでそんな風に思っちゃうかなぁ。でも、そうなっちゃうのかなぁ……有馬くんをいじめてた人、私嫌いだ」

 むー、と怒りをあらわにして言う黒川。俺に怒りつつ、俺をいじめた人に対しても怒っている。怒る黒川というのもなんだか新鮮で、新たな一面を発見した気分だ。

 ともあれ、なんだか少し許された感がある。嘘を吐き続けるのも申し訳なかったから、ちゃんと話せて良かった。

「まぁいじめが直接の原因っていう訳じゃないんだよ。実は俺さ、小学校五年の頃に溺れていた女の子を助けたことがあって、そのときに大泣きされちゃったことがあったんだよ。それがあったから、たとえ誰かを助けても、自分が助けたって言いたくなかったんだ」

 苦笑しながらそう言うと、黒川はぽかんとした表情で固まる。

 熱海と同じように、黒川も『クソ女』とか言い出しちゃったりしないよな? と思いながら言ったのだけど――、

「…………え? 溺れていた女の子を……?」

 彼女は短くそう口にする。しかし依然として、表情は固まったままだった。
 いったいどうしのだろうか――そう思っていると、

「――ま、待って。ちょっと待って…………待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って――」

 なぜか彼女は焦点のあってない目をぐるぐると動かしながら、頭を抱えた。そして、その場にしゃがみこむ。

「ど、どうした黒川!? 大丈夫か?」

 予想しなかった反応に驚く。
 なぜ彼女がこんな風になってしまっているのかわからないから、焦った。

 黒川はその姿勢のまま、うわごとのように「……小学校五年……七年前? ……その頃は△△県……溺れて……」と単語を羅列している。

 俺が言った情報を頭で整理しているのだろうけど、正直彼女の頭の中でいま何が起きているのかさっぱりわからない。
 彼女がこうなってしまっている理由が、まったくわからない。

 どうしていいのかわからなかったから、とりあえず黒川の横で俺もかがみ、彼女の背に手を置いた。そうしたところで、彼女はゆっくりとこちらを見上げる。息遣いは荒く、すがるような目つきだ。

「……そ、その話って、誰が知ってるの? 誰にも言ってないよね? 私だけ、知ってるんだよね?」

 そう言ってほしい。そんな願いがこもったような聞き方だった。
 その質問の仕方をされてしまうと、非常に申し訳ない気持ちになるなぁ……事実は、真逆だから。

「……いや、蓮と由布には、中学の頃に話してる。熱海にも、四月の終わりぐらいには話したかな。黒川に隠す理由を説明するために、必要だったから」

 彼女は目を大きく見開き、一瞬にして顔を真っ青にさせていた。