両家での食事会が行われた日の翌日、熱海は宣言通り我が家にやってきて晩御飯を食べた。そしてまた十時十五分まで滞在し、こらまた再び風呂上がりに背中を拭いてもらった。

 こんなところ王子様に見られたらどうすんだよとツッコんだら『運命の人と恋人同士になったらしないから大丈夫』とのこと。
 彼女がそれでいいなら俺がとやかく言う必要もないのだが。
 土曜日の午前中は病院に行き、その後は家でのんびりと過ごした。この状態で漫画を読むのにも慣れてきたし、部屋の掃除もできたので充実した一日となった。

 で、翌日の日曜日。

 トイレ掃除や風呂掃除を午前中に済ませて、仕事に行く母親を見送ってから、午後はアニメでも見ようかと意気込んでいたところ、昼の一時過ぎにインターホンがなった。
 しかもチャイムの音からして、エントランスからではなく、玄関のほう。

「なんだろ」

 そう呟きつつモニターを見てみると、なぜか私服姿の黒川さんがいた。
 ……いや、本当になんで? 部屋は熱海に聞いたのか?
 俺は慌てて玄関に向かい、扉を開ける。幸い、外に出られるような部屋着だったから、すぐに対応することができた。

 扉の先にいた黒川さんは、白のロングスカートに、薄いオレンジ色の上着を着ていた。名称までは知らないけど、黒川さんの印象にピッタリなふわふわした服である。

「えっと、こんにちは黒川さん……どうしたの?」

 戸惑いながら聞いてみると、彼女は少し顔を赤くした。そして一度深呼吸をしてから、

「えへへ、来ちゃった」

 そんなどこかのアニメや漫画で聞いたことのあるようなセリフを口にした。
 え、えぇ……俺と黒川さんって、たしかに最近ファミレスやカラオケに行ったりしたし、隣の席だから学校でも話したりするけど、急に家に来るような間柄ではないよな?
 いったい、どういう心境でこの場に訪れたのだろうか、そう本気で悩んでいると、

「――う、やっぱりこのセリフは恥ずかしいよ道夏ちゃん!」

 開いたドアの裏側に向かって、黒川さんが言う。すると、俺に見えない場所から「あははっ」という聞き慣れた笑い声が聞こえてきた。

「えへへ、来ちゃった」

「お前はもう少し黒川さんを見習って羞恥心を身に着けてこい」

 ドアの陰から現れたのは、案の定熱海。
 中学の体操服姿やパジャマは見たことがあるけど、熱海の私服を見るのは初めてだな。
 黒のショートパンツに、白のTシャツ。その上にデニムのジャケットを羽織っていて、これまた熱海の雰囲気に良く似合っている。女子はオシャレな人が多いよなぁ。
 俺なんてシンプルな服しか持ってないぞ。

「それで、何しにきたんだ?」

 なんの連絡もよこさずに突如として家にやって来た二人に向けて問いかける。ため息が出るのは許してほしい。

「午前中から二人でお買い物してたんだけど、ナンパされて何かそういう気分じゃなくなったのよね。有馬が昨日チャットで日曜日はゆっくりしてるって言ってたから、いきなり来ても大丈夫だと思って」

 この二人が並んで街を歩いていたら、そりゃ目を引くだろうなぁ。
 都会といえるほどこの地域は賑わっていないけど、少なからずそういう人たちはいるらしい。

「なるほどね。大丈夫だったか?」

「うん! いつも彼氏がいるって嘘ついてるから平気だよ! あまりしつこい人とかいないし」

「うんうん、だから家に入れてくれない?」

 そこがわからん。どうしてそうなった。
 誰かの家でのんびりしたいのならお隣さんに行けばいいじゃないか。
 あー、でも熱海のことだ。せっかくだから俺と黒川さんの仲を深めるチャンスだとか思ったのかもしれないな。

 いまからアニメを見たいんだ――そういう欲求と、クラスの女子二人が家にやってくるというイベント――はたしてどちらを優先すべきか。
 ……さすがに後者か。

「まぁいいけど……あ、でも今飲み物お茶ぐらいしかないかも」

「よしっ! じゃあうちからオレンジジュース持ってくるわ!」

 熱海はグッと拳を握ると、素早く廊下を駆けていった。行動が速い。ついでに荷物も置いてくるつもりなのだろう。

「お隣さんって、なんか良いね。楽しそう」

 クスクスと笑ってから、黒川さんが言う。

「良いことばかりだといいんだけどな」

 夜にゴキブリ退治の依頼が来るとか、普通に暮らしてたらあり得ないだろ?


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 

「もしも城崎くんに彼女がいなかったら、私も好きになったりしたのかなぁ?」

「うーん……もし好きになるようだったら、相手に恋人がいるとか関係ないと思うのよね」

「ふむふむ」

「あたしの場合はもうビビッと来たわ。助けられた時はパニックでそれどころじゃなかったけど、夜とかドキドキして眠れなかったもん」

 我が家にやってきた女子二人。
 ソファーはあるけど二人しか座れないので、お互いが譲り合った結果、三人ともローテーブルを囲んでマットの上に座っていた。
 そして絶賛、恋バナ中である。この会話、俺の家に来てやる必要あったか?
 俺、いらなくない?

「男子的にはどうなの? 女子に助けられたり、女子を助けたりしたときどう思う?」

 たまにこうして、熱海から男子代表としての意見を求められる。俺の意見がはたして参考になるのかどうか……蓮をこの場に呼びたい気分だ。生憎、由布とデート中らしいが。

「助けられた場合は、性別に関わらずただただ感謝。助けた側は相手が異性だとか同性だとか、気にしちゃダメだと思うからなぁ。どちらにせよ、その出来事をきっかけにってのは、十分あり得る話だと思うけど」

 俺がそう答えると、黒川さんはふむふむと頷き、熱海は「やっぱりそんな感じかぁ」とやや残念そうに口にする。助けた側の心情も、熱海はちゃんと理解しているらしい。
 しょんぼりしている親友を見かねたのか、黒川さんが別の話題を振る。

「じゃあもしさ、運命の人以外の男子を好きになっちゃったら、道夏ちゃんはどうするの?」

「他の人を好きなったりしないわ」

「もしなっちゃったらの話だよ~」

 ニコニコと追い打ちをかける黒川さんに、熱海は仕方なくといった様子で悩み始める。
 十秒が経って、三十秒が経って、一分が経って――、

「やっぱり、他の人を好きになれる気がしないわね」

 悩んだすえ、熱海の結論は変わらなかった。

「ふふっ、そんな気がしたよ」

 一直線というか一途というか……熱海らしいなぁ。
 人によっては『重い女』とか言われちゃうのだろうけど、もしここまで一途に想われたら、俺ならきっと嬉しいと思ってしまいそうだな。