あの日、キミを助けたのはオレでした



 蓮と由布と話した翌日、俺は熱海と二人きりで会うことになった。

 彼女は俺が親友たちと会っていた時に黒川と二人で話をしていたらしいけれど、チャットではそのことについて一切言及することなく、ただ『明日、会えますか』と。

 十七日の朝、九時五十分。俺はマンションから出て慣れ親しんだアスファルトの道を歩いていた。どうやら昨晩は雨が降っていたようだが、現在の空は綺麗に晴れ渡っている。

 じめじめとした空気だけど、少しだけいつもより涼しいような感じもするな。

「…………それにしても」

 また公園か――という言葉は飲み込んだ。

 黒川の告白を断り、熱海に振られ、そして黒川が真相を知ることになった、例の公園である。いまのところ笑えるような思い出のない公園――熱海はその場所で、俺と話がしたいと言ってきたのだ。

「どうなるんだろうな」

 由布と蓮が、俯瞰して俺たちを見守っていたことを知った。
 黒川がこの五ヵ月の間、どんなことを考えていたのかを知った。
 そして熱海が七年という長い時間……抱えていた思いも、すべて知った。

 知らなかったほうが幸せだったとは思わない。たとえそれを知ることで地獄の道を行くことになったとしても、俺は知るべきだったはずだ。

 いつか熱海にコーディネートしてもらった服装で、俺は夏の道を歩いた。



 公園にたどり着くと、お目当ての人物は隅のほうにあるベンチの背もたれの後ろに立っていた。濡れているから座れなかったってことだろうけど、雨がふったせいで彼女の足元にも水たまりはできてしまっている。

 今日の熱海は、いつもと少しだけ雰囲気が違った。

 女子らしさが増しているといったらそれはそれで怒られそうだが、珍しくスカートを履いていたのだ。膝下まである長いチェックのスカートで、色は明るいグレー。

 もしかしたら俺の知らないところでこういった服装をしていることもあったのかもしれないけれど、その姿を見たことがない俺からすれば、随分と雰囲気が変わって見える。

 公園の中に入るとすぐに、彼女は俺に気が付いた。歩み寄る俺を、真っすぐに見つめている。

「おはよ、待たせたようで悪かったな」

「んーん、全然平気よ」

 いちおう待ち合わせの五分前には到着していたのだけど、行くときも彼女と会わなかったことを考えるに、結構早めに来ていたんだろうな。

 まぁ、家が隣でありながら公園で待ち合わせをするというのだから、馬鹿正直に時間通りには来ないだろうとは予想していたけども。

 熱海からどんな話があるのか正確に予測はできない。だけど、ひとまず世間話でもしておこうか。そちらのほうが熱海も話を切り出しやすいだろうし。

 そう思って、昨日の由布や蓮との話をしようと思ったところで、

「有馬」

 熱海が、俺の名前を呼んだ。俺は開きかけた口を閉じて、熱海の目を見る。揺らぐことのない、真剣な瞳だ。

「あたしは、有馬が好き。七年前から、ずっと好き」

 ――だった……なんて過去形にするのかと身構えたけれど、彼女はすっぱりと言葉を切った。彼女が俺に抱く想いは、いちおう理解しているつもりだ。先日聞いたから。

 だけど、自分を許すことができない――だから俺を振ったんだよな。

「――自分が許せなかった、陽菜乃に申し訳なかった、有馬が好きなのは、陽菜乃なんじゃないかと思ってた――だからいろいろ考えて、有馬の幸せを第一に考えて、自業自得なあたしが諦めればいいと思ってた」

 口を動かす熱海の視線は、徐々に下に落ちていく。しかし、彼女は一歩こちらに踏み出して、俺を見上げた。地面にできた水たまりには気づかず、足を踏み入れている。

「だけど……どうしてもあたしは有馬が好きなの――っ! 諦めなきゃって何度も何度も自分に言い聞かせてきたけど、あたしはあんたが好きなのよ!」

 目じり貯まる雫は、日の光が反射してキラキラと輝いている。

 熱海の口元は苦しそうに歪んでいたから、俺は真剣な言葉を聞きながらも、『こういう姿、王子様には見られたくないのかな』なんてことを思った。自分のことを『王子様』と呼称するのは、非常に気恥ずかしいが。

 鼻をすすりながら、それでも彼女は俺から目を逸らさない。

「――ひっ、陽菜乃がっ、あたしの背中を――こんなあたしをっ」

 しゃくりあげているせいで、熱海はまともに喋れなくなってきていた。たぶん、『背中を押してくれた』って言いたいんだろう。この察しの良さを、もっと他のところで使いたかったもんだ。

 俺は熱海と同じく水たまりに足を踏み入れて、彼女の肩に手を置いた。

「俺も同じだよ、熱海」

 ずずずっと鼻水をすすって、ボロボロの顔になっている熱海を見る。

 化粧したり、綺麗に髪型をセットしたり、おしゃれをしたり――そんな姿を見て『可愛い』と思うことはあるだろう。誰にとっても。

 だけど、今みたいな熱海の姿を見ても『愛おしい』って思えることが、やっぱり俺が彼女のことを好きであるということを証明しているんだろうな。

「色々あった――本当に色々あったけれど、それでも俺は熱海をあきらめきれない。ずっとそばにいて欲しいと思うんだ。友達としてじゃなくて――恋人として」

 俺がそう言うと、彼女は歪んでいた表情をさらにくしゃりとする。

「……あたし、有馬と好きなもの全然かぶってないわよ。正反対ばっかりよ」

「前も言ったけど、違うからこそ良いってことがあるだろ」

「……ずっと、七年間も傷つけてきたのよ」

「そのおかげで由布や蓮みたいな最高の友達に出会えた」

「……本当は有馬が好きな梅昆布茶も好きじゃなくて、あの時無理して飲んでた……」

 そんな些細なことも気にしてたのか――と、思ったより繊細だった熱海に少しびっくりした。そう言えば一度ファミレスで飲んでいたな。

「好みなんて千差万別、別に一緒である必要はないさ」

 いままで熱海と過ごしてきた日々を思い返すと、彼女はいろいろ傷ついていたんだなぁと思う。俺が気付けたのは、きっとほんの一部だけだったのだろう。

「……本当にあたしでいいの?」

「他の誰でもなく、俺は熱海が一番好きなんだ」

 そう言ってから、彼女の肩に置いた手を背に回し、抱き寄せる。

 俺の背に手は回されなかった。熱海は丸まるようにして俺の腕の中で静かに嗚咽を漏らして泣いていた。

 しかし彼女は俺を突き放すことはなく、身を寄せるように体重を預けてくる。彼女の信頼が、想いが、この重さに乗っているような気がした。

 俺の腕の中でズビズビと鼻を鳴らした彼女は、ぐしゃぐしゃの顔で俺を見上げる。

「……あたしを――あたしを、有馬の恋人にしてください」

「あぁ、もちろんだ」

 そう返事をすると、彼女は再び俺の胸に顔を伏せる。そしてほんのわずかだけ、腰のあたりに手をまわしてきたのだった。



 こうしてこの公園に、新たな、温かな思い出が追加された。

 のちのち熱海が『あの時のあたしの顔は忘れなさい!』と俺に抗議をすることになるのだけど、これはまだまだ先の話である。