電車に乗っている一秒一秒が惜しかった。決心が鈍る前に、灯弥に会いたかった。ドアの前を陣取って、車窓を見つめる。流れる景色の中からバスケットボールのコートを探した。ドアが開く。真っ先に駆け下りて、サラリーマンの間を縫って全速力で走る。
夜空の下を十一月の冷たい夜風が吹き付ける。走り続けているから全然寒くなかった。ただ吸い込む空気が冷たくて、少しだけ喉が痛かった。吐き出した空気はすぐに真っ白に染まっては霧のように広がって消えてを繰り返した。
人の気配もない常緑樹がまばらに生えた公園の中を進むと、バスケットボールのコートが夜光灯に照らされていた。三面あるうちの中央のコートで一人、設楽がレイアップシュートの練習をしていた。
設楽の育った街の空気を思いっきり吸い込んで、声の限りに叫んだ。
「灯弥ぁ!」
設楽が振り返る。
「光美⁉ 何でここに?」
設楽が驚いてボールを落とした。ボールは二回バウンドした後ころころと転がって、ちょうどフリースローラインの手前で止まった。私はコートの中に駆け入った。
「竹さんに、聞いた」
答えた時に、声がかすれた。鞄を下ろしてボールを拾い、深呼吸をして息を整える。
「てか、今、俺の名前」
設楽は驚いているが、その声に嫌がっている雰囲気は感じなかった。そう思いたい。ボールを持つ掌に自然と力がこもった。
灯弥って名前で呼べたら告白する、そう約束した。女に二言はない。一度決めた道は突き進む。それが私だから。胸の前でボールを構えた。
「私、灯弥が好き!」
世間一般の女の子がどう告白しているかなんて知らない。でも、私たちの関係は勝負とバスケから始まった。だから、私は私らしくこの思いを伝える。
「だからさ、このシュートが決まったら私と付き合ってよ!」
ねえ、覚えてる? 私たちの始まりの日、設楽は言ったよね。次の勝負は、勝った方が負けた方の言うこと何でも聞くって。だから、こういうのもありだよね?
「嫌だったら、シュートブロックしてくれていいからさ」
シュートの構えのまま、三秒待った。私は素人、設楽は元強豪校のレギュラー。私のシュート何て簡単に防げるよね? だから、このまま打たせてくれたら、期待してもいいかな。
心を落ち着けて、ゴールをまっすぐ見つめる。狙いを定めて、膝を曲げて、教えてもらった通りに全身の力を使って、打つ。永遠にも感じられるような滞空時間、私は走馬灯を見た。
英語上級クラスで隣の席になった転校生は常に無気力で、授業中顔よりもつむじを見た総時間の方が長いくらいだった。頭の良さに嫉妬した。出会うはずのない場所で出会った君はまるで別人のような熱を宿した人だった。ねえ、知ってる? 君に出会ってから私、毎日楽しいんだよ。私を自分勝手に振り回したかと思えば、キラキラした世界を教えてくれた。時には不敵に挑発してきて、でも時々すごく紳士的で。この二か月、私はずっとドキドキしっぱなしだったよ。
ボールがバックボードに当たる。ゴールリングに当たって跳ねる。跳ね返ったボールはもう一度小さくはねた後、リングの上をぐるぐると回る。入れ。お願い、入って。神様に、仏様に、都合よく今この瞬間ふってきてくれるかもしれない流れ星に祈った。
「あっ」
ボールの重心がゴールの外側に傾き、ゆっくりと落下する。私の声とほぼ同時に、タンッと軽やかに地面を踏み切る音が響いた。設楽が跳んだ。初めての試合の時と同じように跳んだ。
あの時と同じように、ゴールから零れ落ちたボールを力強い手で掴んだ。そしてそのまま、ゴールへと叩き込んだ。リングを潜り抜けたボールは激しく数回跳ねた後転がってフェンスにぶつかる音がこだました。
「シュート入ったら付き合うって言ったよな?」
息を切らして設楽が言った。
「後から撤回とかナシだからな」
設楽がゆっくりと私の方に歩いてくる。
「好きだよ、光美」
あのシュートは外れる運命だった。それを設楽が自分の意志でゴールに入れた。運命を捻じ曲げてでも、私との未来を選んでくれた。これが夢なら、永遠に冷めないでほしいと思った。
「ゲームセンターで、勝って喜んで『私最強!』って叫んでる光美の笑顔に一目で恋に落ちた」
設楽に手を握られる。熱くて大きな手。手から手に伝わる熱が、これが夢ではなく現実だと教えてくれた。
「人ってこんなに楽しそうな顔できるんだって、視線も心も丸ごと全部奪われて、気づいたら対戦申し込んでた。で、今度は劣勢でも一生懸命で、これ言ったら怒られるかもしれないけど、悔しがってる声も可愛くて。こんなに感情コロコロ変わるんだって、もう釘付けになった」
設楽が私の目を見つめる。
「でも、やっぱり最初に見た笑顔が忘れられなくて、俺の手で笑顔にしたいって思って、バスケに誘った。実はあの時俺、心臓バックバクだった」
「うそ、すっごい余裕綽々でラスボスみたいだったのに」
「いや、全然。ていうか、光美といるときいつも死にそうなくらいドキドキしてた。勉強もバスケも全部一生懸命なとことか、ちょっとしたことにも負けず嫌い発揮するとことか見て、毎日“好き”が更新されてって、ずっと光美の笑顔を見てたいって思った。だから、かっこいい俺でいようとしてめちゃくちゃかっこつけてた」
「私もこの二か月、ドキドキしっぱなしだったよ」
設楽が心の内を教えてくれたから、私も打ち明ける。
「最初は、灯弥に勉強とかクイズで勝ちたいって気持ちと、灯弥と一緒にバスケでまた勝ちたいって気持ちでいっぱいだったの。ずっと設楽のこと考えてた。でも、そのうち灯弥って実は優しいんだな、とか、太陽みたいなカリスマ性があるんだな、とか、昔からずっとまっすぐなんだなとか、いいところがいっぱいあるって知って。これが恋だって自覚する前からずっと、灯弥のこと好きだったみたい」
私も灯弥と同じだ。毎日毎日知らず知らずのうちに“好き”が更新されていた。
「きっとこれからももっと灯弥のこと好きになっていくんだと思う。私の人生、灯弥に出会って始まったんだ。私、これからの人生もずっと灯弥と生きたい」
「それ、もはや告白じゃなくてプロポーズじゃん」
「そうだよ。一生一緒にいたいから、灯弥にふさわしい私になりたいんだよ。今は負けてばっかりかもしれないけどさ、ずっと一緒にいたらいつか必ず灯弥“に”勝った時の私の笑顔も見られるよ」
飛び切りの笑顔で宣戦布告をする。だって、君が好きになったのはこういう私でしょ?
「いや、今日は俺の完敗だわ。俺が先に好きになったのに、ずっと告白できないでうだうだしてて。せっかく竹さんが気を利かせて帰り二人っきりにしてくれても関係が壊れるのが怖くて結局何も言えなかったし。でも、光美はそういう葛藤とか全部飛び越えて、勇気を出してここに来てくれたわけじゃん。いやー、女の子に告白させるとか、完璧に俺の負けっしょ」
「そっか、じゃあ、告白は完遂しないとね」
フェンスまで走り、ボールを拾ってフリースローラインまで戻る。決めたんだ。恋人に勝たせてもらう私じゃなくて自分の力で勝利をつかみ取る私であると。
「入るまで、何回でも好きって言う! だから、見守っててよね!」
改めてボールを構える。すーっと息を吸って、もう一度大声で叫ぶ。
「私、瀬川光美は、設楽灯弥が、好きだー!」
大声とともに放ったボールはゴールポストに激しくぶつかって、明後日の方向に飛んで行った。地面にバウンドしたボールを、設楽が追いかけてキャッチする。
「俺も大好きだー!」
そう言って設楽は私にボールをパスした。あ、今なら入る気がする。体中から無敵感を感じた。
「私の方が、もっと大好きだー!」
そう叫んだあと、一瞬風が揺らす木々のざわめきがぴたりと止まって無音になる。ふわっと体が軽くなった。ゴールがすごく近くに見える。その感覚に身を任せて、ボールを放った。
私の手を離れたボールは流れ星のような軌道を描いて、ゴールリングへと飛び込んだ。
夜空の下を十一月の冷たい夜風が吹き付ける。走り続けているから全然寒くなかった。ただ吸い込む空気が冷たくて、少しだけ喉が痛かった。吐き出した空気はすぐに真っ白に染まっては霧のように広がって消えてを繰り返した。
人の気配もない常緑樹がまばらに生えた公園の中を進むと、バスケットボールのコートが夜光灯に照らされていた。三面あるうちの中央のコートで一人、設楽がレイアップシュートの練習をしていた。
設楽の育った街の空気を思いっきり吸い込んで、声の限りに叫んだ。
「灯弥ぁ!」
設楽が振り返る。
「光美⁉ 何でここに?」
設楽が驚いてボールを落とした。ボールは二回バウンドした後ころころと転がって、ちょうどフリースローラインの手前で止まった。私はコートの中に駆け入った。
「竹さんに、聞いた」
答えた時に、声がかすれた。鞄を下ろしてボールを拾い、深呼吸をして息を整える。
「てか、今、俺の名前」
設楽は驚いているが、その声に嫌がっている雰囲気は感じなかった。そう思いたい。ボールを持つ掌に自然と力がこもった。
灯弥って名前で呼べたら告白する、そう約束した。女に二言はない。一度決めた道は突き進む。それが私だから。胸の前でボールを構えた。
「私、灯弥が好き!」
世間一般の女の子がどう告白しているかなんて知らない。でも、私たちの関係は勝負とバスケから始まった。だから、私は私らしくこの思いを伝える。
「だからさ、このシュートが決まったら私と付き合ってよ!」
ねえ、覚えてる? 私たちの始まりの日、設楽は言ったよね。次の勝負は、勝った方が負けた方の言うこと何でも聞くって。だから、こういうのもありだよね?
「嫌だったら、シュートブロックしてくれていいからさ」
シュートの構えのまま、三秒待った。私は素人、設楽は元強豪校のレギュラー。私のシュート何て簡単に防げるよね? だから、このまま打たせてくれたら、期待してもいいかな。
心を落ち着けて、ゴールをまっすぐ見つめる。狙いを定めて、膝を曲げて、教えてもらった通りに全身の力を使って、打つ。永遠にも感じられるような滞空時間、私は走馬灯を見た。
英語上級クラスで隣の席になった転校生は常に無気力で、授業中顔よりもつむじを見た総時間の方が長いくらいだった。頭の良さに嫉妬した。出会うはずのない場所で出会った君はまるで別人のような熱を宿した人だった。ねえ、知ってる? 君に出会ってから私、毎日楽しいんだよ。私を自分勝手に振り回したかと思えば、キラキラした世界を教えてくれた。時には不敵に挑発してきて、でも時々すごく紳士的で。この二か月、私はずっとドキドキしっぱなしだったよ。
ボールがバックボードに当たる。ゴールリングに当たって跳ねる。跳ね返ったボールはもう一度小さくはねた後、リングの上をぐるぐると回る。入れ。お願い、入って。神様に、仏様に、都合よく今この瞬間ふってきてくれるかもしれない流れ星に祈った。
「あっ」
ボールの重心がゴールの外側に傾き、ゆっくりと落下する。私の声とほぼ同時に、タンッと軽やかに地面を踏み切る音が響いた。設楽が跳んだ。初めての試合の時と同じように跳んだ。
あの時と同じように、ゴールから零れ落ちたボールを力強い手で掴んだ。そしてそのまま、ゴールへと叩き込んだ。リングを潜り抜けたボールは激しく数回跳ねた後転がってフェンスにぶつかる音がこだました。
「シュート入ったら付き合うって言ったよな?」
息を切らして設楽が言った。
「後から撤回とかナシだからな」
設楽がゆっくりと私の方に歩いてくる。
「好きだよ、光美」
あのシュートは外れる運命だった。それを設楽が自分の意志でゴールに入れた。運命を捻じ曲げてでも、私との未来を選んでくれた。これが夢なら、永遠に冷めないでほしいと思った。
「ゲームセンターで、勝って喜んで『私最強!』って叫んでる光美の笑顔に一目で恋に落ちた」
設楽に手を握られる。熱くて大きな手。手から手に伝わる熱が、これが夢ではなく現実だと教えてくれた。
「人ってこんなに楽しそうな顔できるんだって、視線も心も丸ごと全部奪われて、気づいたら対戦申し込んでた。で、今度は劣勢でも一生懸命で、これ言ったら怒られるかもしれないけど、悔しがってる声も可愛くて。こんなに感情コロコロ変わるんだって、もう釘付けになった」
設楽が私の目を見つめる。
「でも、やっぱり最初に見た笑顔が忘れられなくて、俺の手で笑顔にしたいって思って、バスケに誘った。実はあの時俺、心臓バックバクだった」
「うそ、すっごい余裕綽々でラスボスみたいだったのに」
「いや、全然。ていうか、光美といるときいつも死にそうなくらいドキドキしてた。勉強もバスケも全部一生懸命なとことか、ちょっとしたことにも負けず嫌い発揮するとことか見て、毎日“好き”が更新されてって、ずっと光美の笑顔を見てたいって思った。だから、かっこいい俺でいようとしてめちゃくちゃかっこつけてた」
「私もこの二か月、ドキドキしっぱなしだったよ」
設楽が心の内を教えてくれたから、私も打ち明ける。
「最初は、灯弥に勉強とかクイズで勝ちたいって気持ちと、灯弥と一緒にバスケでまた勝ちたいって気持ちでいっぱいだったの。ずっと設楽のこと考えてた。でも、そのうち灯弥って実は優しいんだな、とか、太陽みたいなカリスマ性があるんだな、とか、昔からずっとまっすぐなんだなとか、いいところがいっぱいあるって知って。これが恋だって自覚する前からずっと、灯弥のこと好きだったみたい」
私も灯弥と同じだ。毎日毎日知らず知らずのうちに“好き”が更新されていた。
「きっとこれからももっと灯弥のこと好きになっていくんだと思う。私の人生、灯弥に出会って始まったんだ。私、これからの人生もずっと灯弥と生きたい」
「それ、もはや告白じゃなくてプロポーズじゃん」
「そうだよ。一生一緒にいたいから、灯弥にふさわしい私になりたいんだよ。今は負けてばっかりかもしれないけどさ、ずっと一緒にいたらいつか必ず灯弥“に”勝った時の私の笑顔も見られるよ」
飛び切りの笑顔で宣戦布告をする。だって、君が好きになったのはこういう私でしょ?
「いや、今日は俺の完敗だわ。俺が先に好きになったのに、ずっと告白できないでうだうだしてて。せっかく竹さんが気を利かせて帰り二人っきりにしてくれても関係が壊れるのが怖くて結局何も言えなかったし。でも、光美はそういう葛藤とか全部飛び越えて、勇気を出してここに来てくれたわけじゃん。いやー、女の子に告白させるとか、完璧に俺の負けっしょ」
「そっか、じゃあ、告白は完遂しないとね」
フェンスまで走り、ボールを拾ってフリースローラインまで戻る。決めたんだ。恋人に勝たせてもらう私じゃなくて自分の力で勝利をつかみ取る私であると。
「入るまで、何回でも好きって言う! だから、見守っててよね!」
改めてボールを構える。すーっと息を吸って、もう一度大声で叫ぶ。
「私、瀬川光美は、設楽灯弥が、好きだー!」
大声とともに放ったボールはゴールポストに激しくぶつかって、明後日の方向に飛んで行った。地面にバウンドしたボールを、設楽が追いかけてキャッチする。
「俺も大好きだー!」
そう言って設楽は私にボールをパスした。あ、今なら入る気がする。体中から無敵感を感じた。
「私の方が、もっと大好きだー!」
そう叫んだあと、一瞬風が揺らす木々のざわめきがぴたりと止まって無音になる。ふわっと体が軽くなった。ゴールがすごく近くに見える。その感覚に身を任せて、ボールを放った。
私の手を離れたボールは流れ星のような軌道を描いて、ゴールリングへと飛び込んだ。



