一年半遅れの高校デビューから三日が経ち、私は香奈のグループと仲良くなり一緒にお弁当を食べるようになった。設楽に教えてもらったヘアアレンジのやり方は練習して自分でできるようになった。芽衣とはあれから口をきいていないが、嫌がらせをされるようなこともなく平和に過ごしている。
他に変わったことと言えば、クラスの女子、今までの私と同じように芽衣たちの目を気にして自由にお洒落ができなかった女子のみんながカラーシャツを着てリボンやネクタイをつけてくるようになった。私はたぶんあの時芽衣に勝ったんじゃなくて、バカバカしいスクールカーストに勝てたんだと思う。
「瀬川さん、好きです。付き合ってください」
話したこともない他のクラスの男子に告白された。彼の名前も部活も性格も知らない。きっと彼も私のことはほとんど知らないだろう。
「ごめんなさい」
嬉しいとも気持ち悪いとも思わなかった。ただ、どうしてよく知らない人のことを好きになれるのかが不思議だった。
放課後、設楽はついに英語の課題提出督促を無視し続けた結果居残りになった。なので、私一人でサークルに行くことにした。設楽がいない間にたくさん練習してうまくなってびっくりさせてやる。
「うおお! すっげー、絶世の美女!」
イメチェンしてから初めてサークルに行ったので竜君たちに大袈裟に褒められた。
練習ではフリースローを竹さんに教えてもらった。竹さんは面倒見がいい。帰りも同じ方面だからと駅まで送ってくれた。
「光美ちゃん、雰囲気変わったね。今日、すごくイキイキしてた」
「そうなんですよー。私実は前まで学校では地味キャラだったんですけど、設楽のおかげで好きな格好して学校行けるようになったんですよ。あ、このネクタイ設楽がくれたんです」
「よかったね。今、学校楽しい?」
「はい! 最高です。実は三日前にスクールカーストぶっ壊してやったんですよ! もう向かうところ敵なし! っていっても、ほとんど設楽のおかげですけど。設楽に背中押されたんですよ、スクールカーストひっくり返してやれって」
「灯弥らしいなあ。灯弥、スクールカーストとか大嫌いだし」
竹さんが独り言のように呟いた。
「設楽、前の学校で何かあったんですか?」
「そっか、光美ちゃんには話してないんだね」
よく考えてみれば私は設楽のことを何も知らない。親しい友達だと思っていた。でも、バスケがうまいとか頭がいいとか表面的なことしか知らない。これでは今日私に告白してきた見知らぬ人と同じだ。相手のことを何も知らないのに、自立だとか対等になりたいだとか、とんだ思い上がりだ。
「私、設楽に信用されてないんですかね?」
「それは絶対ない! それだけは絶対にない!」
すごい剣幕で食いかかるように竹さんが否定した。
「少し長い話になるけど、光美ちゃんには話しておくね」
息を整えて竹さんが話し始める。
「僕の高校のバスケ部、ちょっと治安悪くてさ、レギュラーは割とちゃんとしてるんだけど、補欠は無法地帯っていうか。特に僕の学年、ちょっと悪ノリが過激だったんだよね。で、恥ずかしい話だけど僕は補欠の中でも一番下手だったから、格下っぽい扱いっていうか、ほらあるじゃん。こいつには何してもいいよね、みたいな空気」
どこの世界にも芽衣みたいな嫌な奴はいるものなのか。設楽がそういう無神経な人たちへの静かな怒りをあらわにしていたのを思い出す。
「灯弥は入学して速攻レギュラーになったけど、中学の時と同じように竹さん竹さんって慕ってくれて、本当に嬉しかったんだよね。灯弥はレギュラーだから練習きついのに、中学の時みたいに部活の後一緒にゲーセン付き合ってくれた」
設楽がクイズゲームをやりこんでいたはずなのにデータ保存用のカードを持っていなかったことを思い出す。もしかしたら設楽は竹さんのカードで一緒にプレイしていたのだろうか。
「あと、グループ内の弄りみたいなのも目についたときは『そういうのダセエっすよ』とか『それ面白いつもりですか見てて不快っすよ』とか止めてくれてさ。ただ、そのせいでちょっと反感は普段から買うはめになっちゃって本当に申し訳なかった。バレンタインデーの少し後くらいかな。僕がキツめのドッキリごっこ仕掛けられたときに、灯弥が代わりに怒ってくれたけど、そしたらものすごい口論になっちゃって」
「ドッキリごっこ……?」
「一昔前のテレビで、ゲームのセーブデータ消して反応見るみたいな番組なかった? あれの亜種みたいな。鞄あさられて、ゲームのセーブデータ入ってたカード割られた」
「え、ひどい」
「結構やりこんでたっていうのもあるけど、灯弥と一緒にやってた思い出込みのデータ飛んだのは、さすがにショックでさ。頭真っ白になって、灯弥が僕のために色々言ってくれてるのに僕は何も言えなくてさ」
設楽が前のカードについて濁していたことを思い出す。
「で、僕の同期が逆切れして先に灯弥に殴りかかろうとした。でもさ、灯弥の方が力強いから、普通に腕押さえられた途端大袈裟に騒ぎ始めて、灯弥からは一発も殴ってないのに顧問とかに灯弥が悪者みたいに報告して」
「なにそれ、悪いの向こうじゃないですか。それなのに設楽が悪いってことになったんですか? そんなの冤罪じゃないですか!」
「いや、そこの誤解は解けたんだけど、レギュラーの子たちからは灯弥の方が強く責められちゃったんだ。『レギュラーじゃないやつの揉め事に首突っ込むなよ出場停止にでもなったらどうすんだ』って。僕の同期も一応注意されてたけどね『悪ふざけするにしてもレギュラー巻き込むな』って。で、顧問からはその場にいた全員に箝口令」
「灯弥が『こんなクソダセエ選民思考持ってるやつらを仲間と思えない』ってその日のうちに退部届叩きつけたんだよね。でさ、いつも僕が『ゲーセン行こう』って誘うのと同じテンションで、『あいつらクソなんで竹さんもあんなとこやめて一緒によそでバスケサークル作りましょー』って誘ってくれたんだ。で、灯弥がネットで人集めて作ってくれたのがこのサークル」
このサークルには色々な事情がある人がいる。バスケ部の練習について行けなかった人、運動部の上下関係が合わなかった人、興味はあるけど部活はハードルが高いと感じる人。でも、みんな設楽のもとでバスケを楽しんでいる。部活だけがスポーツじゃない。
「退部した後はバスケ部のメンバーとは関わらなくなった。幸いにも一応クラスには部活と無関係の友達もいたし、特に逆恨みはされなかったんだ。そしたら三月に、『竹さんもう大丈夫そうだし、俺もっと近くの高校に転校するね。竹さんとはサークルで会えるから、わざわざ二時間通学する意味ないし』って言われた。で、今にいたりますと。本当、灯弥には頭が上がらないよ。僕に居場所を作ってくれたから」
設楽は「二時間通学がだるくてやめた」と言っていた。本当に、最後の部分だけを私に伝えたのだ。
「灯弥ってさ、本当に優しいんだよ。で、生粋のエンターテイナー。人を楽しませることが生きがいの人。たまに眩しすぎるくらい」
「それは、私も思います」
「さっき僕の趣味のゲームにわざわざ付き合ってくれてたって言ったじゃん? 実は今もわざわざ誘ってくれるんだよね。カード割られたのトラウマになってるんじゃないかって心配してくれてるみたいで。さすがにそれは自分の中で決着つけなきゃいけないことだと思ってるから、そこまで甘えられないけど。仮にも僕の方が年上だしね」
「ゲーム、やめちゃったんですか?」
あんなことがあればトラウマになっても仕方ないけれど、設楽の話によると竹さんは最高ランクまで到達した実力者だ。やめるのはもったいない気がする。
「自然と足が遠のいた感じかな。データって儚いなって思ってしまったというか。時間つぎ込んでも、簡単にデータって消えるんだなってわかっちゃったからさ。そんなことに灯弥を付き合わせるのも申し訳ないなって」
「設楽は同情で誘ってるんじゃないです! 設楽が前みたいに竹さんと遊びたいから誘ってるんですよ!」
思わず大声が出た。竹さんが驚いて立ち止まる。
「データが消えたって、一緒に遊んだ思い出が消えるわけじゃないです! 設楽は連れまわされてたわけじゃなくて心の底から楽しかったから、竹さんに復帰してもらいたいって思ってるんですよ!」
設楽がカードを発行した日のことを思い出す。設楽はあの日、どんな思いでゲーセンにいたんだろう。
「一緒にやってたの、クイズゲームですよね? 設楽、『タケトヤ』って名前でカード作ってました。設楽は設楽なりに思い出復元しようと頑張ってるんじゃないですか? 竹さんに戻ってきてもらうために」
「……マジかー」
「今は気持ちの整理つかなくても、設楽の気持ちだけでもわかってあげてくれませんか? 設楽、竹さんのこと尊敬してるって言ってました。私、羨ましかったんですよ。私が絶対に敵わない設楽に尊敬されてて信頼されてる竹さんのこと。竹さんは設楽の特別なんですよ」
矢継ぎ早に捲し立てたので疲れて息継ぎをする。竹さんは空を仰いで呟いた。
「ヤバ……さすがに泣きそう」
お互いしばらく何も言えず、二人の間に沈黙が流れた。通り過ぎていく人の足音が鮮明に聞こえた。しばらくして竹さんは小さな声で呟いた。
「教えてくれてありがと。また始めよっかな。だいぶ感覚鈍ってるだろうけど」
「設楽すっごい喜ぶと思います」
竹さんは目を擦ってから私に向き直った。少しだけ目が赤い。
「光美ちゃん、灯弥のことよく見てくれてるんだね。灯弥のこと好き?」
竹さんがいきなり爆弾発言を投げかけて来る。
「へ? ちょっといきなり何言いだすんですか! あ、友達としてってことですか? そういう意味なら好きですよ! でも、私こんな大事なこと全然聞かされてなくて悔しいくらい設楽のこと何も知らないし、設楽はたぶん私のことどうとも思ってないです! だから私も全然恋とかじゃないです!」
急に聞かれたから焦って何度も噛んでしまった。恥ずかしい。
「そんなにテンパってたら好きって言ってるようなものだよ」
竹さんが微笑む。
「あ、でも、まだお互いのことよく知らないのに好きになるって変じゃないですか?」
「光美ちゃんは充分灯弥の理解者だよ。灯弥が誰かを楽しませることを大事にする人だって知ってる。実は誰よりも熱い男だって知ってる。過去のことを知らなくたって、今の灯弥をちゃんと見てる。それより大事なことってある?」
確かに私は、学校の人が知らない設楽を知っている。設楽だって中学以前の私のことを全く知らないけれど、学校では隠している本当の私を知っている。
「そもそも、知りたいとか、対等になりたいとか、特別になりたいって感情がわくこと自体が好きってことなんじゃないかな?」
どうやら竹さんは私の想像以上に頭が切れる。私は設楽をどう思っているんだろう? 自分でもわからない。だって、今までに恋をしたことがないから。
「想像してみてよ。さっき僕のこと羨ましいって言ってたけど、僕が灯弥と実は恋愛関係にあったら、とか、僕が灯弥と仲いい女の子だったらとか」
絶対敵わない、勝つビジョンが見えない竹さんが恋のライバルだったら。目を瞑って想像してみる。考えるたび、胸にドロッとした汚い感情がたまっていくのを感じる。すごく嫌だ。
「絶対奪い取ります」
気づくと好戦的な言葉が口をついていた。いや、何この悪女みたいなセリフ。危ない奴だと思われる。
「違います、違うんです! 卑怯なこととかは絶対しないです! ちゃんと正々堂々勝負して私の方を見てもらうとかそういう意味です! ……って本当に付き合ってたりしないですよね? 例えばの話ですよね?」
慌てて訂正と補足を入れる。竹さんはニコニコと私のことを見ている。この人の情緒はどうなってるんだ。
「付き合ってないから安心して。うん、やっぱり光美ちゃん、灯弥のこと好きだよね」
「……そうなんですかね?」
耳まで熱くなるのを感じる。穴があったら入りたい。一歳しか違わないのに、余裕の違いがまるで大人と子供だ。自分でも気づいていなかった無自覚な初恋を暴かれて、どうしたらいいかわからない。
「いや、でも脈ナシですよ。竹さんの話聞いて思ったんですけど、設楽って正義感強くて優しいじゃないですか。だから私にも優しくしてくれただけです」
「これは男としての一般論なんだけど、普通男はただの友達のために竜に頼み込んで土日返上してヘアアレンジの練習なんてしないよ」
竹さんがよくわからないことを言ってきた。
「土日返上? 練習?」
「髪、最初の日は灯弥にやってもらったんでしょ? 絶対失敗できないから練習させてってラーメン奢る条件で竜に頼み込んでたよ。竜の髪、ちょうど光美ちゃんと同じくらいの長さだし」
「え、嘘。だって、設楽ってよく竜くんの家行って髪日常的にセットしてるから慣れてるって言ってましたもん。わざわざ練習しなくてもできるんじゃないですか?」
「本当に二人がそういう関係だとしたら、僕よりも竜君をライバル視したほうがいいよ。普通男同士はお互いの髪をいじりません。光美ちゃん安心させるために慣れてる感出そうとしたただの方便だよ」
騙された。完全に出し抜かれた。やっぱり設楽には敵わない。でも、そういう設楽だから好きになった。そしていつか対等になりたいと思う。
「あとさ、灯弥ってバスケ部にいた時はすごくモテたんだよね。でも、当時は誰とも付き合う気なかったから女の子に誤解させるようなことしないように人一倍気を付けてるって言ってたよ」
そう言えばステータスだけ見て告白してくる女子に対する文句を言っていたような気がする。あれも一般論じゃなくて実体験だったのか。
「そんな灯弥がネクタイあげるってことはさ……」
「ちょっとは脈ありって思っていいですかね?」
「少なくとも、光美ちゃんから告白して振られることはないと思うよ」
「私から告白? 無理無理! 絶対無理です!」
脈ありという情報は半信半疑だ。私は恋愛初心者で、告白なんてどうやってすればいいかわからない。大体今の私は全然灯弥と対等じゃない。バスケではおんぶにだっこだし、クイズゲームの再戦は未だに果たされていない。
「なんだかんだ言いつつ勝負から逃げないのが光美ちゃんのいいところだって灯弥が言ってたよ」
竹さんは灯弥と同じようなことを言う。灯弥が竹さんに似たのか、それとも似た者同士だから仲がいいのかはわからないけれど、いつもの調子だとこのまま流されてしまいそうだ。でも、告白は絶対そう言うものじゃない。
「ああ、じゃあ、次のテストで設楽に勝ったら告白しようかなー……なんて」
「思い立ったが吉日、って言うよね」
先延ばしにしようとしたところ、見事に逃げ道を封じられた。
「だって、肝心の設楽が今日来てないじゃないですか」
「それがさ、今灯弥からライン来たんだよね。居残りが中途半端な時間に終わったから、地元の屋外コートで自主練することにしたんだって。待って、今位置情報送る」
ポケットの中のスマホが振動する。竹さんからのライン通知が来ていて、ここから二駅先の地図情報が共有されていた。
「僕の代わりに行って来たら?」
「いや! 厳しいです! せめて竹さんもついてきてくださいよ!」
「残念ながら、僕用事できちゃったんだよね」
竹さんは目の前のゲームセンターを指さした。私と設楽が出会った場所。竹さんの声は心なしか震えていた。
「あのゲーム、機種新しくなったんでしょ? ちょっと下見してこようかなって。一応僕もプライドあるし、超弱体化してたら恥ずかしいしね」
ずるい。そんなこと言われたら、快く送り出すしかないじゃないか。
「ランダム対戦して、勝ったら週末に灯弥のこと誘う。僕も勇気出すからさ、光美ちゃんも頑張ってみない? 灯弥に人生変えられた同盟ってことでさ」
竹さんがグータッチを求めて来る。私はそれに応えた。
「……絶対勝ってくださいよ。グランドマスターの意地見せてやってください」
「ありがと。お礼に告白の成功率上げる裏技教えとくよ」
「なにそれ教えてください」
「下の名前呼んだら、距離縮まるよ。ここまで散々煽っといてなんだけど、あんまり気負いすぎずに下の名前で呼べたら告白しよう、くらいの気持ちでいけばいいんじゃないかな。じゃ、健闘を祈るよ」
そう言うと竹さんは戦場へと足を踏み入れた。私も私の戦場へ行かなくちゃ。一世一代の大勝負だ。
他に変わったことと言えば、クラスの女子、今までの私と同じように芽衣たちの目を気にして自由にお洒落ができなかった女子のみんながカラーシャツを着てリボンやネクタイをつけてくるようになった。私はたぶんあの時芽衣に勝ったんじゃなくて、バカバカしいスクールカーストに勝てたんだと思う。
「瀬川さん、好きです。付き合ってください」
話したこともない他のクラスの男子に告白された。彼の名前も部活も性格も知らない。きっと彼も私のことはほとんど知らないだろう。
「ごめんなさい」
嬉しいとも気持ち悪いとも思わなかった。ただ、どうしてよく知らない人のことを好きになれるのかが不思議だった。
放課後、設楽はついに英語の課題提出督促を無視し続けた結果居残りになった。なので、私一人でサークルに行くことにした。設楽がいない間にたくさん練習してうまくなってびっくりさせてやる。
「うおお! すっげー、絶世の美女!」
イメチェンしてから初めてサークルに行ったので竜君たちに大袈裟に褒められた。
練習ではフリースローを竹さんに教えてもらった。竹さんは面倒見がいい。帰りも同じ方面だからと駅まで送ってくれた。
「光美ちゃん、雰囲気変わったね。今日、すごくイキイキしてた」
「そうなんですよー。私実は前まで学校では地味キャラだったんですけど、設楽のおかげで好きな格好して学校行けるようになったんですよ。あ、このネクタイ設楽がくれたんです」
「よかったね。今、学校楽しい?」
「はい! 最高です。実は三日前にスクールカーストぶっ壊してやったんですよ! もう向かうところ敵なし! っていっても、ほとんど設楽のおかげですけど。設楽に背中押されたんですよ、スクールカーストひっくり返してやれって」
「灯弥らしいなあ。灯弥、スクールカーストとか大嫌いだし」
竹さんが独り言のように呟いた。
「設楽、前の学校で何かあったんですか?」
「そっか、光美ちゃんには話してないんだね」
よく考えてみれば私は設楽のことを何も知らない。親しい友達だと思っていた。でも、バスケがうまいとか頭がいいとか表面的なことしか知らない。これでは今日私に告白してきた見知らぬ人と同じだ。相手のことを何も知らないのに、自立だとか対等になりたいだとか、とんだ思い上がりだ。
「私、設楽に信用されてないんですかね?」
「それは絶対ない! それだけは絶対にない!」
すごい剣幕で食いかかるように竹さんが否定した。
「少し長い話になるけど、光美ちゃんには話しておくね」
息を整えて竹さんが話し始める。
「僕の高校のバスケ部、ちょっと治安悪くてさ、レギュラーは割とちゃんとしてるんだけど、補欠は無法地帯っていうか。特に僕の学年、ちょっと悪ノリが過激だったんだよね。で、恥ずかしい話だけど僕は補欠の中でも一番下手だったから、格下っぽい扱いっていうか、ほらあるじゃん。こいつには何してもいいよね、みたいな空気」
どこの世界にも芽衣みたいな嫌な奴はいるものなのか。設楽がそういう無神経な人たちへの静かな怒りをあらわにしていたのを思い出す。
「灯弥は入学して速攻レギュラーになったけど、中学の時と同じように竹さん竹さんって慕ってくれて、本当に嬉しかったんだよね。灯弥はレギュラーだから練習きついのに、中学の時みたいに部活の後一緒にゲーセン付き合ってくれた」
設楽がクイズゲームをやりこんでいたはずなのにデータ保存用のカードを持っていなかったことを思い出す。もしかしたら設楽は竹さんのカードで一緒にプレイしていたのだろうか。
「あと、グループ内の弄りみたいなのも目についたときは『そういうのダセエっすよ』とか『それ面白いつもりですか見てて不快っすよ』とか止めてくれてさ。ただ、そのせいでちょっと反感は普段から買うはめになっちゃって本当に申し訳なかった。バレンタインデーの少し後くらいかな。僕がキツめのドッキリごっこ仕掛けられたときに、灯弥が代わりに怒ってくれたけど、そしたらものすごい口論になっちゃって」
「ドッキリごっこ……?」
「一昔前のテレビで、ゲームのセーブデータ消して反応見るみたいな番組なかった? あれの亜種みたいな。鞄あさられて、ゲームのセーブデータ入ってたカード割られた」
「え、ひどい」
「結構やりこんでたっていうのもあるけど、灯弥と一緒にやってた思い出込みのデータ飛んだのは、さすがにショックでさ。頭真っ白になって、灯弥が僕のために色々言ってくれてるのに僕は何も言えなくてさ」
設楽が前のカードについて濁していたことを思い出す。
「で、僕の同期が逆切れして先に灯弥に殴りかかろうとした。でもさ、灯弥の方が力強いから、普通に腕押さえられた途端大袈裟に騒ぎ始めて、灯弥からは一発も殴ってないのに顧問とかに灯弥が悪者みたいに報告して」
「なにそれ、悪いの向こうじゃないですか。それなのに設楽が悪いってことになったんですか? そんなの冤罪じゃないですか!」
「いや、そこの誤解は解けたんだけど、レギュラーの子たちからは灯弥の方が強く責められちゃったんだ。『レギュラーじゃないやつの揉め事に首突っ込むなよ出場停止にでもなったらどうすんだ』って。僕の同期も一応注意されてたけどね『悪ふざけするにしてもレギュラー巻き込むな』って。で、顧問からはその場にいた全員に箝口令」
「灯弥が『こんなクソダセエ選民思考持ってるやつらを仲間と思えない』ってその日のうちに退部届叩きつけたんだよね。でさ、いつも僕が『ゲーセン行こう』って誘うのと同じテンションで、『あいつらクソなんで竹さんもあんなとこやめて一緒によそでバスケサークル作りましょー』って誘ってくれたんだ。で、灯弥がネットで人集めて作ってくれたのがこのサークル」
このサークルには色々な事情がある人がいる。バスケ部の練習について行けなかった人、運動部の上下関係が合わなかった人、興味はあるけど部活はハードルが高いと感じる人。でも、みんな設楽のもとでバスケを楽しんでいる。部活だけがスポーツじゃない。
「退部した後はバスケ部のメンバーとは関わらなくなった。幸いにも一応クラスには部活と無関係の友達もいたし、特に逆恨みはされなかったんだ。そしたら三月に、『竹さんもう大丈夫そうだし、俺もっと近くの高校に転校するね。竹さんとはサークルで会えるから、わざわざ二時間通学する意味ないし』って言われた。で、今にいたりますと。本当、灯弥には頭が上がらないよ。僕に居場所を作ってくれたから」
設楽は「二時間通学がだるくてやめた」と言っていた。本当に、最後の部分だけを私に伝えたのだ。
「灯弥ってさ、本当に優しいんだよ。で、生粋のエンターテイナー。人を楽しませることが生きがいの人。たまに眩しすぎるくらい」
「それは、私も思います」
「さっき僕の趣味のゲームにわざわざ付き合ってくれてたって言ったじゃん? 実は今もわざわざ誘ってくれるんだよね。カード割られたのトラウマになってるんじゃないかって心配してくれてるみたいで。さすがにそれは自分の中で決着つけなきゃいけないことだと思ってるから、そこまで甘えられないけど。仮にも僕の方が年上だしね」
「ゲーム、やめちゃったんですか?」
あんなことがあればトラウマになっても仕方ないけれど、設楽の話によると竹さんは最高ランクまで到達した実力者だ。やめるのはもったいない気がする。
「自然と足が遠のいた感じかな。データって儚いなって思ってしまったというか。時間つぎ込んでも、簡単にデータって消えるんだなってわかっちゃったからさ。そんなことに灯弥を付き合わせるのも申し訳ないなって」
「設楽は同情で誘ってるんじゃないです! 設楽が前みたいに竹さんと遊びたいから誘ってるんですよ!」
思わず大声が出た。竹さんが驚いて立ち止まる。
「データが消えたって、一緒に遊んだ思い出が消えるわけじゃないです! 設楽は連れまわされてたわけじゃなくて心の底から楽しかったから、竹さんに復帰してもらいたいって思ってるんですよ!」
設楽がカードを発行した日のことを思い出す。設楽はあの日、どんな思いでゲーセンにいたんだろう。
「一緒にやってたの、クイズゲームですよね? 設楽、『タケトヤ』って名前でカード作ってました。設楽は設楽なりに思い出復元しようと頑張ってるんじゃないですか? 竹さんに戻ってきてもらうために」
「……マジかー」
「今は気持ちの整理つかなくても、設楽の気持ちだけでもわかってあげてくれませんか? 設楽、竹さんのこと尊敬してるって言ってました。私、羨ましかったんですよ。私が絶対に敵わない設楽に尊敬されてて信頼されてる竹さんのこと。竹さんは設楽の特別なんですよ」
矢継ぎ早に捲し立てたので疲れて息継ぎをする。竹さんは空を仰いで呟いた。
「ヤバ……さすがに泣きそう」
お互いしばらく何も言えず、二人の間に沈黙が流れた。通り過ぎていく人の足音が鮮明に聞こえた。しばらくして竹さんは小さな声で呟いた。
「教えてくれてありがと。また始めよっかな。だいぶ感覚鈍ってるだろうけど」
「設楽すっごい喜ぶと思います」
竹さんは目を擦ってから私に向き直った。少しだけ目が赤い。
「光美ちゃん、灯弥のことよく見てくれてるんだね。灯弥のこと好き?」
竹さんがいきなり爆弾発言を投げかけて来る。
「へ? ちょっといきなり何言いだすんですか! あ、友達としてってことですか? そういう意味なら好きですよ! でも、私こんな大事なこと全然聞かされてなくて悔しいくらい設楽のこと何も知らないし、設楽はたぶん私のことどうとも思ってないです! だから私も全然恋とかじゃないです!」
急に聞かれたから焦って何度も噛んでしまった。恥ずかしい。
「そんなにテンパってたら好きって言ってるようなものだよ」
竹さんが微笑む。
「あ、でも、まだお互いのことよく知らないのに好きになるって変じゃないですか?」
「光美ちゃんは充分灯弥の理解者だよ。灯弥が誰かを楽しませることを大事にする人だって知ってる。実は誰よりも熱い男だって知ってる。過去のことを知らなくたって、今の灯弥をちゃんと見てる。それより大事なことってある?」
確かに私は、学校の人が知らない設楽を知っている。設楽だって中学以前の私のことを全く知らないけれど、学校では隠している本当の私を知っている。
「そもそも、知りたいとか、対等になりたいとか、特別になりたいって感情がわくこと自体が好きってことなんじゃないかな?」
どうやら竹さんは私の想像以上に頭が切れる。私は設楽をどう思っているんだろう? 自分でもわからない。だって、今までに恋をしたことがないから。
「想像してみてよ。さっき僕のこと羨ましいって言ってたけど、僕が灯弥と実は恋愛関係にあったら、とか、僕が灯弥と仲いい女の子だったらとか」
絶対敵わない、勝つビジョンが見えない竹さんが恋のライバルだったら。目を瞑って想像してみる。考えるたび、胸にドロッとした汚い感情がたまっていくのを感じる。すごく嫌だ。
「絶対奪い取ります」
気づくと好戦的な言葉が口をついていた。いや、何この悪女みたいなセリフ。危ない奴だと思われる。
「違います、違うんです! 卑怯なこととかは絶対しないです! ちゃんと正々堂々勝負して私の方を見てもらうとかそういう意味です! ……って本当に付き合ってたりしないですよね? 例えばの話ですよね?」
慌てて訂正と補足を入れる。竹さんはニコニコと私のことを見ている。この人の情緒はどうなってるんだ。
「付き合ってないから安心して。うん、やっぱり光美ちゃん、灯弥のこと好きだよね」
「……そうなんですかね?」
耳まで熱くなるのを感じる。穴があったら入りたい。一歳しか違わないのに、余裕の違いがまるで大人と子供だ。自分でも気づいていなかった無自覚な初恋を暴かれて、どうしたらいいかわからない。
「いや、でも脈ナシですよ。竹さんの話聞いて思ったんですけど、設楽って正義感強くて優しいじゃないですか。だから私にも優しくしてくれただけです」
「これは男としての一般論なんだけど、普通男はただの友達のために竜に頼み込んで土日返上してヘアアレンジの練習なんてしないよ」
竹さんがよくわからないことを言ってきた。
「土日返上? 練習?」
「髪、最初の日は灯弥にやってもらったんでしょ? 絶対失敗できないから練習させてってラーメン奢る条件で竜に頼み込んでたよ。竜の髪、ちょうど光美ちゃんと同じくらいの長さだし」
「え、嘘。だって、設楽ってよく竜くんの家行って髪日常的にセットしてるから慣れてるって言ってましたもん。わざわざ練習しなくてもできるんじゃないですか?」
「本当に二人がそういう関係だとしたら、僕よりも竜君をライバル視したほうがいいよ。普通男同士はお互いの髪をいじりません。光美ちゃん安心させるために慣れてる感出そうとしたただの方便だよ」
騙された。完全に出し抜かれた。やっぱり設楽には敵わない。でも、そういう設楽だから好きになった。そしていつか対等になりたいと思う。
「あとさ、灯弥ってバスケ部にいた時はすごくモテたんだよね。でも、当時は誰とも付き合う気なかったから女の子に誤解させるようなことしないように人一倍気を付けてるって言ってたよ」
そう言えばステータスだけ見て告白してくる女子に対する文句を言っていたような気がする。あれも一般論じゃなくて実体験だったのか。
「そんな灯弥がネクタイあげるってことはさ……」
「ちょっとは脈ありって思っていいですかね?」
「少なくとも、光美ちゃんから告白して振られることはないと思うよ」
「私から告白? 無理無理! 絶対無理です!」
脈ありという情報は半信半疑だ。私は恋愛初心者で、告白なんてどうやってすればいいかわからない。大体今の私は全然灯弥と対等じゃない。バスケではおんぶにだっこだし、クイズゲームの再戦は未だに果たされていない。
「なんだかんだ言いつつ勝負から逃げないのが光美ちゃんのいいところだって灯弥が言ってたよ」
竹さんは灯弥と同じようなことを言う。灯弥が竹さんに似たのか、それとも似た者同士だから仲がいいのかはわからないけれど、いつもの調子だとこのまま流されてしまいそうだ。でも、告白は絶対そう言うものじゃない。
「ああ、じゃあ、次のテストで設楽に勝ったら告白しようかなー……なんて」
「思い立ったが吉日、って言うよね」
先延ばしにしようとしたところ、見事に逃げ道を封じられた。
「だって、肝心の設楽が今日来てないじゃないですか」
「それがさ、今灯弥からライン来たんだよね。居残りが中途半端な時間に終わったから、地元の屋外コートで自主練することにしたんだって。待って、今位置情報送る」
ポケットの中のスマホが振動する。竹さんからのライン通知が来ていて、ここから二駅先の地図情報が共有されていた。
「僕の代わりに行って来たら?」
「いや! 厳しいです! せめて竹さんもついてきてくださいよ!」
「残念ながら、僕用事できちゃったんだよね」
竹さんは目の前のゲームセンターを指さした。私と設楽が出会った場所。竹さんの声は心なしか震えていた。
「あのゲーム、機種新しくなったんでしょ? ちょっと下見してこようかなって。一応僕もプライドあるし、超弱体化してたら恥ずかしいしね」
ずるい。そんなこと言われたら、快く送り出すしかないじゃないか。
「ランダム対戦して、勝ったら週末に灯弥のこと誘う。僕も勇気出すからさ、光美ちゃんも頑張ってみない? 灯弥に人生変えられた同盟ってことでさ」
竹さんがグータッチを求めて来る。私はそれに応えた。
「……絶対勝ってくださいよ。グランドマスターの意地見せてやってください」
「ありがと。お礼に告白の成功率上げる裏技教えとくよ」
「なにそれ教えてください」
「下の名前呼んだら、距離縮まるよ。ここまで散々煽っといてなんだけど、あんまり気負いすぎずに下の名前で呼べたら告白しよう、くらいの気持ちでいけばいいんじゃないかな。じゃ、健闘を祈るよ」
そう言うと竹さんは戦場へと足を踏み入れた。私も私の戦場へ行かなくちゃ。一世一代の大勝負だ。



