「おはよっす」
「おはよう、もうお父さんとお母さん出勤したし、あがってよ」
 週明け月曜日の朝、登校前。設楽が私の家に来た。金曜日に設楽と一緒に買った勝負服を着て出迎える。登校前に私のヘアアレンジをするためにわざわざ来てくれた。
「親いない家に男あげるのはやめた方がいいぞ。ここでいいよ、コンセントあるし」
 そう言ってガレージのコンセントにヘアアイロンを繋ぐ。
「それ、どうしたの?」
「竜に借りた。あいつ髪長いだろ、よくあいつの髪いじってるからこういうの得意」
「仲いいんだね」
 竜君はサークルに入って日が浅いはずなのに、もうヘアアレンジを頼む頼まれるような関係になっている設楽のコミュ力には脱帽だ。
「まあな、お、アイロン温まった」
 設楽は私の髪を巻き始める。私は設楽に運命をゆだねた。それにしても男の子に髪を触れているという事実がなんだかむず痒い。設楽といるとドキドキしっぱなしだ。
「よしっ、できあがり」
 設楽に手鏡を見せられる。完璧な巻髪と高い位置で結んだサイドテール。これが自分だとは信じられないくらい垢抜けていた。
「いかがでしょーか、オヒメサマ」
「最っ高! 魔法使い通り越して神!」
「それはよかった、あと、ネクタイ持ってきたぞ。自分で結べる?」
「ちょい怪しいかも」
「しゃーない、神様が結んでやろう」
 設楽は私の正面に立つと、私のネクタイを結び始める。朝っぱらからネクタイを結んでもらうとかどこの新婚さんだよ、いや性別逆か? いや性別逆とか古い考え方か? と脳内で漫才を繰り広げて頭の中を埋めないと、設楽の顔が近くてどうにかなりそうだ。
「ちょっと緩めに結んだ方が可愛いよな、どう思う?」
「ひゃいっ」
 不覚。急に話しかけられ、しかも「可愛い」のワードに反射して裏声が出てしまった。
「おっけ、完璧。自信持って背筋伸ばして顔上げて学校行けよ。一緒に登校したらいらん噂立つから俺先に行くけど、誰かと揉めたり、登校中に怪しいスカウトに捕まったりしたらすぐ俺に連絡! じゃあ、グッドラック!」
 スカウトはいくらなんでも杞憂だと思うが、鏡の中には昨日までとは別人のような私がいる。今なら何だってできる気がする。ミッションXスクールカーストをぶっ壊せ、いざ出陣だ。

 教室に入るといつもは感じなかった視線を感じる。
「おはよう!」
 顔を上げて、いつもより大きな声で挨拶してみる。
「おはよー、光美ちゃんイメチェン? 可愛いー! そのカーデどこで買ったの?」
 いつも可愛い格好をしている香奈が声をかけてくれた。
「東桜原駅の駅ビルのとこ!」
「あー、あそこか」
 二人でショッピングモールの話で盛り上がる。香奈は気さくでいい人だ。話していて楽しい。勇気を出して、自分のしたいことを貫いてよかったと思った。香奈のグループの何人かも会話に入って、みんなで話していると、芽衣が登校してきた。
「うっそー、光美ちゃんどうしちゃったの? 彼氏いなさそうなのにネクタイってヤバ。もしかしてエア彼氏?」
 もう第一声から感じが悪い。設楽を呼んで何とかしてもらおうかと思ったが、目の前の芽衣はひどく小物に思えた。
 クラスにはまともな人もいる。というか、まともな人の方が多い。好きな格好をしているだけの私と、勝手にいちゃもんをつけている芽衣、どっちが異物かなんて明白だ。
 たかが同級生に何をビビっていたんだろう。でも、もう逃げない。そんなの、本当の私じゃない。設楽に頼らなくたって大丈夫だ。私の長所は負けず嫌いなところ。簡単に負けたりしない。
「彼氏とかは関係ないよ。私は自分の着たい服を着てるだけ」
 芽衣の目を見てはっきりと伝える。
「え、でもさ、大体みんな彼氏にもらったネクタイつけてるじゃん。彼氏一筋だから狙わないでねーってサイン的な。そういう空気じゃん。そうじゃない理由でネクタイつけてる子がいたら紛らわしくない?」
 芽衣の理論はめちゃくちゃだ。彼氏一筋アピールと言っているが、要するに私には彼氏がいますと周りにマウントを取りたいだけ。ばかばかしい。
「じゃあ、今日からはそういうの関係なく自由な格好していい空気にしていくね」
 私は笑顔で答える。私が言い返したのが気に食わなかったのか、芽衣の顔がこわばった。
「は? 意味わかんない。喧嘩売ってる?」
「売ってないよ」
「大体そのネクタイ、うちの学校のじゃないじゃん。陰キャのくせに他の学校の男にネクタイもらうとか爛れてない?」
 確かにこのネクタイは貰い物だけど、すぐに貰い物と決めつけるその発想の方がおかしい。
「制服にリボンつけるかネクタイつけるかに男の子は関係なくない? 少なくとも私は気にしないことにしてるから」
「でも、みんな気にしてるよ。大体その格好に合ってないってみんな思ってるから」
 みんな、という言葉に一瞬ビクッとする。教室のほかのみんなはどう思っているんだろう。他の人の視線を確認するのが怖い。ポケットの中のスマホに手が伸びる。設楽、と心の中で設楽を呼ぶ。
 でも、直前で思いとどまった。いつも私は年上の男子と全然得意じゃないスポーツで勝負しているんだ。同い年の女の子とのたかだか口喧嘩に負けるなんてプライドが許さない。
「でも、私はこの服気に入ってるの」
 はっきりと言い放つ。自分に自信を持て、私に足りないのは自信だけ。そう設楽が言ってくれたから。
「もうやめなよ。今のは明らかに芽衣が悪いよ」
 ずっと黙っていた香奈がフォローしてくれた。
「はあ? 光美ちゃんが空気読めないからアドバイスしてあげただけなのに。もういい。先輩に言いつけてやるから」
 こうして客観的に見ると思う。負けそうになったら誰かを頼るってみっともない。幼稚園児がママに泣きついているみたい。
「女子の口喧嘩で男の子を頼るのってダサいと思う」
 設楽は私の世界を変えてくれた。退屈な日常を吹っ飛ばして勝利のきらめきを教えてくれた。でも、そろそろ私は設楽から自立しなくちゃいけない。そうじゃないと、いつまで経っても設楽と対等になれない。
「もういい!」
 芽衣は怒って自分の席に戻った。これは、私が勝ったということでいいんだろうか。口喧嘩終了の合図とでも言うようにチャイムが鳴った。「瀬川かっけー」と男子の誰かが呟いたのが聞こえた気がした。
 内心ではビクビクしていたけれど、幸いにもその後の休み時間に芽衣に絡まれることはないまま、三時間目の英語の時間になって、設楽が教室に入ってきた。設楽の顔を見てほっとしている自分がいた。
「大丈夫だった?」
 筆談の設楽の文字は心なしかいつもより乱れていた。心配してくれたんだろうか。
「余裕! 勝った!」
「よかった。なんかあったら、すぐ俺に言えよ」
 その文字を見て心が温かくなるのを感じる。きっと、私が一人で戦えたのも勝てたのも設楽は絶対私の味方でいてくれると言う安心感があったからだと思う。設楽にもらったネクタイの感触を確かめながら、そのことを実感した。