設楽のサークルに入れてもらって二か月が経つ。一番練習熱心で受付とかの雑務をやってくれているのは竹さん。学校が遠くて大変なはずなのにいい人だ。他のみんなももちろんいい人なのですぐに馴染めた。
「じゃあ、お先に。お疲れ様」
 使用許可証の返却を終えると、竹さんが足早に走って行った。十月に入って、竹さんの制服は冬服になった。竹さんの学校の制服はお洒落だ。特に黒字にストライプのネクタイがかっこいい。受験情報誌に載っていた女子の制服も同じネクタイとブレザーで、家からもう少し近ければ礼麗高校の受験も視野に入れたくらいには制服が可愛い。受けたとして、ちゃんと受かったかどうかはさだかではないけれど。

 練習の後は大体流れ解散だ。概ねいつも設楽と二人で帰る。日が落ちるのが早くなったからと、最近はいつも家の前まで送ってくれる。
「なあ、光美ってさ」
 スポーツセンターを出るなり設楽に突然話を振られる。設楽はいつからか試合外でも私を「光美」と呼ぶようになった。試合中の声かけで、さん付けするのは時間の無駄で、かといって女子に苗字呼び捨ては乱暴だからということで呼び方は光美に落ち着いてそれが日常会話でも定着した。
「竹さんのことすごく見てない? 竹さんのこと気になってる?」
 設楽の声が心なしか低い。もしかして、私が竹さんのことを好きだと勘違いしているのだろうか。確かに竹さんの顔は客観的に見て整っているけれど、私が見ていたのは制服だ。顔に見とれていたわけではない。しかし、恋愛的な意味での誤解を与えていたとしたらそれは反省すべきだ。こういうサークルに恋愛を持ち込むのは空気が読めていない。サークルの創設者の設楽がいい顔をしないのも当然のことだろう。
「違うよ。私が見てたのはネクタイだよ。ほら、礼麗の制服ってお洒落じゃん」
 きちんと話して誤解を解いた。
「制服? ネクタイ?」
「そうそう。礼麗って男子も女子も同じブレザーとネクタイじゃん? うちの地味な制服とは違ってお洒落で羨ましいなって。あのネクタイめっちゃセンスよくない? 確かデザインしたの有名な人だったよね」
「そんなに欲しけりゃネクタイくらいやるよ」
 設楽がまたよくわからないことを言いだしたので思わず立ち止まる。
「何で設楽が礼麗のネクタイ持ってんの? 竹さんにもらったの?」
「んなわけねーだろ! BL漫画じゃあるまいし!」
 設楽がものすごい勢いで否定した。
「別に隠してたつもりないけどさ、俺、転校前は礼麗にいたんだよ。だから、もらったやつじゃなくて自分の」
「えええええ!」
 つい叫んでしまった。うちより偏差値が十も高い超名門校。確か、バスケもそれなりに強いところじゃなかったっけ。何年か前は全国行ってた気がする。
 確かに設楽が元礼麗生なら授業中寝ていたのにも納得がいく。おそらくうちの授業の範囲なんて礼麗ではとっくに去年やったところなのだろう。それにしても、わざわざ超名門の礼麗からうちみたいな普通の学校に来るなんてあまりにももったいない。
「なんでやめ……嘘! やっぱなんでもない!」
 言いかけて途中で気づいてやめた。おそらく何らかの事情があるのだろう。それに触れるのはあまりにも無神経だ。
「だってダルいじゃん。片道二時間もかけて通学するの」
 いつもの設楽節が返ってきてほっとする。普通入学する前に気づくと思うけれど、どうしてわざわざ遠くの学校に行ったのだろう。
「それよりさ、渡したらつけんの? ネクタイ」
 うちの学校は式典の時以外の服装規定がかなり緩い。上は襟付きシャツ、下は指定のスラックスあるいはスカートというルールさえ守れば、シャツやカーディガンの色からリボンやネクタイの着用有無まで何から何まで自由だ。
「あー、私には無理かな。どうせ似合わないし」
 服装自由というのはあくまで校則という名の建前だ。実際にはスクールカーストによって着ていい制服のルールが見えないインクで細かく書かれている。
 芽衣みたいに彼氏がいる一軍は彼氏にもらったネクタイ、香奈みたいに彼氏はいないけれども運動部で活躍していたり顔が可愛かったりして一軍の子はリボンを着用可。私みたいなその他大勢は、ちょっとダサい既定のベストとブレザー着用が鉄則でリボンやネクタイなんてもってのほかだ。
「いや似合うだろ。もったいなくね? せっかく服装自由なのにさ」
「いやー、私みたいな地味子がお洒落して行ったら芽衣たちに何言われるかわからないもん。あんま服選ぶセンスとかもないし」
 香奈のグループに意地悪なことを言うような人はいないけど、芽衣はとにかくやばい。
「主観抜きに学年で一番顔整ってんの光美だと思うけど」
 一瞬ドキッとしたがすぐ我に返る。
「え、ないない。さすがにそれはお世辞が過ぎる」
「いや、本気で。自分が可愛くないって思い込んでるだけだろ。服装とか髪型で印象って結構変わるぞ」
 顎に手をあげられ、少し持ち上げられる。設楽の顔が近づく。何この状況。心臓が持たない。
「あの……」
「やっぱ一個一個のパーツがめちゃくちゃ整ってんだよな。ブルべで肌綺麗だからミントグリーンとかラベンダー系の色が似合いそう。カーディガンはオフホワイトとか……? 礼麗のネクタイどんな色にも合うし、アリよりのアリだな。逆に今の制服って印象暗くしてんだよな。髪も巻いたらだいぶ印象変わるな。てか、いっそのことサイドテールとかにすんのもありだな」
 設楽は私の顔をじっと見つめながら言う。ファッション用語に詳しすぎるとかそんなことよりも、とにかく顔が近くてドキドキする。男の人とこんなに長い間見つめ合った経験はない。通行人の視線がどうこうというより、もはや私の心臓が持たない。
「あ、色々詳しいんだね」
 間が持たなくて毒にも薬にもならないコメントをする。
「竜がこういう話ばっかりしてるからな。なんか自然に覚えた」
 納得。容易に想像がついた。設楽は満足したのか私の顎から手を離した。
「っていうのが俺の忖度抜きの意見なんだけど、どうでしょ?」
「いや、贔屓目入ってるでしょ絶対」
 私の勘違いでなければ、友達と言える程度には設楽とは仲が良くなったと思っている。でも、私が可愛いと言うのは絶対におかしい。
「見た目の印象ってさ、グループ内での立ち位置とか、周りになんて言われてるかとか、自分に自信がありそうかとかに引っ張られるんだよ。要するにみんな判断基準が適当。竹さん顔もよくてすげー頭いいのに、優しくて絶対言い返さないからなめてくるクズとかいるし」
 設楽は怒っていた。
「本当に竹さんのこと大好きなんだね」
「あの人今まで会った中で一番いい人。中学の時さ、俺バスケ部で一年からレギュラーだったんだけど、やっかみとか敬遠とかなしに普通に後輩として可愛がってくれたことすごい感謝してる」
 設楽はものすごく竹さんに懐いている。正直、こんなに設楽に尊敬されている竹さんが羨ましい。
「ステータスで人を判断しないってすごく難しいことなんだろうな。よくある話だろ。彼氏として自慢できそうなやつに告白して、そのステータスがなくなったら告白キャンセルとかさ」
「そうなの?」
 告白されたこともなければ、周りの恋愛事情にも疎い私にはよくわからなかった。
「そうそう。同性間でもそういうのあるだろ。こいつは馬鹿にしてもいいって空気出来たら、成績とか数値化されてるものは弄り辛いから、主観要素が強い見た目をディスるみたいなこと」
「あー、あるある。だからさ、私がもし可愛い格好とかして行ったら、絶対ブスが調子に乗ってるって言われるよ」
 それが学校という小さな社会だ。
「でもさ、光美は本当は可愛い格好したいんだろ?」
「そりゃしたいけどさ、スクールカーストってそういうもんじゃん」
「逃げんなよ、やる前から負けんなよ。光美らしくない」
 お決まりのセリフを設楽が言う。私は苦笑した。ただ、「可愛い」の系統の言葉を連呼されるよりは調子は狂わない。
「さすがに今回は流されないよ。設楽って私のこと負けず嫌いの単純馬鹿だと思ってない? いくらなんでも、今回は完全な負け戦」
「んなことないって。光美に足りないのは自信だけだよ」
 灯弥が私の目をじっと見つめる。
「想像してみ。スクールカーストひっくり返すの。ゾクゾクしない?」
「いや、失敗したら学校生活終わるじゃん。芽衣とか敵に回したくないし」
 言葉では否定しつつも、このままではまた灯弥の言う方に気持ちが傾いてしまうかもしれないと感じていた。
「終わらせねえよ。俺が守ってやる」
 不覚にもまた灯弥をかっこいいと思ってしまった。
「幸か不幸か、俺って一部では暴力事件で退学になったヤバい奴って怖がられてるんだろ? 何か言われても、俺が言い返せば黙んだろ」
「なにそれ、姫を守るナイト的な?」
 心臓の鼓動をごまかすように軽口を叩く。
「いや、シンデレラをお姫様にする魔法使い」
 そしてこの言い回しだ。どうやら、灯弥は生粋のエンターテイナーらしい。
「俺器用だからヘアアレンジくらいならできるし、今ならシンデレラが最高に映える服見繕うサービス付き」
 灯弥が私に向かって手を伸ばす。
「このシンデレラストーリーに乗りますか? 乗りませんか?」
 私はどうするべきか。設楽灯弥の思う瀬川光美ならどう答えるか。本当の私はどうしたいか……。ぐるぐると頭の中に色々な自分が浮かぶ。学校での偽りの自分。サークルでの本当の自分。
 そう、本当の私は、負けることが大嫌いで勝つことが大好き。楽しいことが大好きで、迷ったらドキドキする道を選びたい。たとえそれが茨の道でも。
「信じてるからね。約束破ったら許さないから」
 設楽が一緒ならきっと大丈夫だ。私は設楽の手を取った。
「仰せのままに、シンデレラ」
 設楽はそう言うなり私の手を引いて走り出した。現在時刻十九時十分。まだ駅ビルの通学ファッションブランドショップは開いている時間だ。