コートに行くと、既に竹さんと竜君は練習を始めていた。
「じゃあ、まずはパス練な。まずは投げ方なんだけど、ボールはこうやって掴むって言うより指で持つ感じで、手首のスナップをきかせて、足で踏み込む勢いを乗せる感じで、こう!」
 設楽が解説しながらお手本を見せる。ボールは壁に向かってビュンっと勢いよく飛んで行った。スポーツのことはボールを渡されたので、見様見真似でやってみる。
「手の位置もうちょい下、そうそんな感じ、肘上がりすぎかな、オッケーいい感じ」
 設楽のアドバイスを元にフォームを調整する。
「で、足で踏み込んで、体ごと前に進む感じでボールをせーので前に送り出す。せーの」
 言われた通りに壁に向かってボールを投げる。投げた瞬間の感覚だけでも、一年生の時の体育の授業の時よりもうまく行ったのがわかった。壁にバンッと当たる音がする。パス練習でちょっと距離が伸びただけで相手に届かなかった時とは全然違う。
「すっげー! できんじゃん! 瀬川さん天才!」
 リップサービスだとわかっていても褒められるのは悪い気はしなかった。
「今の感覚忘れないようにもう何回かやってみよう!」
 そのあと何回かボールを投げた。その都度設楽が細かくアドバイスをくれる。体育の先生より百倍教え方が丁寧だ。設楽が体育の先生だったら私は体育を嫌いにならなかったかもしれない。
「投げる方はこんなもんでいいや。次、捕る方ね。竹さーん、ちょっと手伝ってー」
 声をかけられた竹さんが離れた距離から綺麗なフォームでボールを投げる。たぶん竹さんも経験者だ。先輩と言っていたし、二人は中学のバスケ部の先輩後輩なのかもしれない。
「こんな感じで、勢いを殺す感じでボールをとる瞬間に肘を引く。もう一回やるよ」
 勢いよく飛んできたボールをキャッチして、竹さんにボールを投げ返しながら何度かお手本を見せてくれた。そのあと、何度か短い距離で私と設楽でボールを投げ合う。設楽は私が突き指をしないように緩いボールを投げてくれた。
「オッケー、いい感じにとれるようになったね。じゃあ次シュートね。つっても、あんまり遠くからだと入らないから、ここからにしよう」
 ゴールのすぐそばに連れていかれ、シュートの打ち方を教えらえる。言われた通りに打ったが入らなかった。
「あー、惜しい。もうちょい膝使って、あと気持ちもうちょい右上狙って打ったら次は入りそう」
 最初はひどい物だったけれど設楽に根気よく教えられ、五本に一本くらいは入るようになった。
「ナイッシュー! やっぱり瀬川さん天才! 超飲み込み早い!」
 シュートが入るたび褒められたが、二百パーセントお世辞だ。この至近距離でこの成功率はどう考えても下手の部類だ。それでも、体育の時間より長い間ずっと練習していても苦ではないのはこうして設楽がモチベーションを保ってくれているからだと思う。
「もうこんな時間か。じゃあ最後に一ゲームやろっか。竹さーん、竜、2on2やろ! 瀬川さんと俺がチームで、十点先取な! 瀬川さんも竜も初心者だし、公式の細かいルールとかはナシで」
「ちょっと待ってよ! 今日は試合やらないって言ったじゃん!」
「よそのチームとはしないけどさ、練習の成果出す場所ないとつまんなくね?」
 話が違う。男子、しかも一人はガッツリ経験者が相手で勝てるわけがない。私の制止を無視して設楽が勝手に話を進める。
「竹さんわかってると思うけど、接待プレイとかナシね」
「灯弥相手にそんな余裕ないって」
「だよなー、知ってた。じゃ、今から作戦タイムしまーす」
 試合そのものに問題しかないのに、その上手加減不要とまで勝手に宣言される。ありえない。勝手に話が進み、竹さんたちと離れて壁際まで連れていかれた。
「ちょっと、こんなの聞いてない」
「まあまあ、落ち着いて。要するに、負けるのが嫌ってことだろ? つまり、勝てばいい」
「いや、絶対無理だって」
「無理じゃねえよ。俺が勝たせてやる」
 壁に手をついて設楽が迫ってくる。これ、いわゆる壁ドンってやつでは。って、そんなことを考えている場合ではなくて。
「絶対勝てるから信じろ。そんでもってバスケ楽しいって言わせてやるよ」
 何このテンション、少年漫画? 設楽の強引さには呆れるばかりだ。
「とりあえず、シュートの練習した位置に立ってればいい。で、俺がパスしたらシュート。入らなくてもいいから、とりあえず打ってみよう。よしっ、作戦会議終了」
 何もよくない。確かにドリブルもパスカットも教えてもらっていないからそれしかできないけれど、これで勝てるなら苦労しない。
「無理だって」
「いけるって。試しに打ってみ? 試合でシュートはいるとめっちゃ気持ちいいから。決勝点でも入れた時には本当に最高だから。瀬川さん、勝負事好きっしょ?」
 本当に設楽は自分勝手だ。言っていることが無茶苦茶だ。でも、どこか高揚している自分がいる。
「選べよ、俺と勝つか。それとも逃げるか」
「舐めんな。逃げるなんてダサい真似、私がするわけないでしょ」
 こうなったらやけくそだ。
「いいね。最高。俺から目、離さないでね」
 ゲームが始まる。言われた通りの位置に立って見ているが、設楽は信じられないくらい上手い。目にもとまらぬ速さでドリブルをして、一気に二人を抜いて突き放す。
「瀬川さん!」
 名前を呼ばれ構える。私へのパスは手加減してくれているのか、練習通りの私でも取れる速さだ。練習通りに受け取って、練習通りにシュートを打つ。が、そんなに都合よく入るわけがない。ゴールリングに当たった球が宙を舞う。失敗した。すぐ近くには竜君も竹さんも来ている。このまま相手ボールになってしまう。
 刹那、設楽が跳び上がった。竹さんも竜君も跳んだが、設楽が誰よりも早く反応し、高く跳んだ。リバウンドしたボールを設楽は空中でがっちりとキャッチし、そのままゴールへと叩き込んだ。
「よっしゃ! 先制点! 瀬川さんナイスチャレンジ! いいよいいよ、ゴールの高さまでボール届いてるからその調子!」
 設楽にハイタッチを求められ、勢いのまま応じるが、私は何もしていない。ていうか、設楽が自分で打った方がいいのでは。私の困惑をよそに、プレーが始まる。開始早々、竹さんから竜君へのパスを華麗にカットし、こちらのボールにした後さっきと同じようにドリブルですぐそばまで来て、私にボールを回す。しかし、肝心の私のシュートが入らない。
「惜しい惜しい、99点!」
 またしてもリバウンドをとった設楽がそのままゴールを決める。置物と化した私をよそに、設楽のおかげで実質二対一の試合なのにこちらがリードしている。
 しかし、そう何度もうまくはいかない。最初のパスカットがうまく行かず、そのまま竹さんのゴールが決まってしまった。さらに、こちらのボールでスタートしたはいいものの、設楽と私の間に竜君が入ってパスコースをふさがれてしまう。
 しかし、こうなると待ってましたとばかりに設楽が自分でシュートを決めた。要するに、竹さんだけでは設楽は止められず、設楽のマークは二人がかりじゃないとどうしようもないようだ。
 自分でシュートを決めたり、隙をついて私にパスを出して、私が外したシュートのリバウンドを叩きこんだりして順当に点を積んでいく。しかし、向こうも負けじと点を取り、いつの間にか九対九だ。
 最終盤面、少し離れた位置で二人が設楽の前に立ってシュートを防ごうとしている。あの体勢からシュートを打ってもブロックされてしまいそうだ。
「光美!」
 名前を呼ばれ、私のとりやすい位置にまっすぐボールが飛んでくる。
「あっ」
 しまったという様子の竜君と竹さん。二人がこちらに来る前に、私はシュート体勢に入った。大丈夫、外してもきっと設楽がリバウンドをとってくれる。リラックスして、練習通りに。腕の力だけでなく膝のばねを使って、バックボードの黒い枠を狙って。
 私の手を離れたボールは放物線を描いて狙い通り黒い枠に当たってリングの上に落ちる。リングの上をぐるんぐるんと二周廻って、そのままゴールの内側に入った。十対九。私たちの勝ちだ。
 どうしよう。嬉しい。私がまったく活躍していないことなんてわかっている。最後においしいところをもらっただけ。それでも、体育の授業で足を引っ張ってばかりだった私が男の子を相手に決勝点を入れることができた。それがたまらなく嬉しい。
「ナイッシュー! 瀬川さん最高! 天才!」
 設楽が駆け寄ってくる。高揚感のままに手を挙げて、どちらからともなくハイタッチを交わした。パアンと破裂音がコートに響き渡る。
「どう? 楽しかった? 今日、ここ来てよかったっしょ?」
 設楽が満面の笑みで私に尋ねる。認めざるを得ない。楽しい。嬉しい。気持ちいい。私は深くうなずいた。設楽がガッツポーズをする。
「ナイスシュート、瀬川さん。参りました」
「瀬川ちゃんすごいねー! 俺よりうまいんじゃね?」
 竹さんと竜君も口々に褒めてくれる。「でも、私ほとんど何もしてなくて、設楽が強いだけで……」
 いくら嬉しくても、あまり調子に乗りすぎてはいけない。さすがにわきまえている。
「違うんだなー。パスって選択肢が増えるだけで、竹さんたちからしたらすごく俺の動き読みづらくなるから、瀬川さんはガッツリ勝利に貢献してるんだよ。つまり、これは正真正銘俺たち二人の勝利! だよな、竹さん!」
「そうそう。さすが灯弥はいいこと言うねー」
 体育なんて大嫌いだった。スポーツなんてどうせ勝てないから大嫌いだった。でも、今はすごく嬉しい。今すぐにでももう一回この感動を味わいたい。
「じゃ、もう遅いし、瀬川さんのこと送るわ。後はよろしく」
 時計を見てハッとする。いつの間にか時間を忘れて楽しんでいた。
「え、なんか悪いよ」
「いいのいいの。この辺治安悪いし、女の子が一人で歩いてちゃ危ないっしょ」
 さっきまで男の子と混ざってバスケをしていたはずなのに、急に女の子扱いされ戸惑う。結局押し切られてお言葉に甘えて最寄り駅まで送ってもらった。
「今日私、ずっとフォローしてもらいっぱなしだったかも」
「初心者ってそういうもんだろ。うまい人にキャリーしてもらって、勝利の味を覚えて、次のモチベーションにしてうまくなる。それでいいんだよ。瀬川さん、今日は楽しんでくれた?」
「うん、すごく楽しかった。ありがとう」
 煽られて、強引に連れていかれて、なぜか試合までさせられて。なのに、本当に楽しかった。
「俺も楽しかった。今日のこと、二人だけの秘密な!」
 そう言い残して設楽は再び電車に乗った。試合中からずっとドキドキしっぱなしの心臓は、ずっとうるさいままだ。高揚感は週末の間ずっと消えなかった。