「よし、準備終わったな!」
クラスの皆が帰った後、颯真と二人で最後の飾りつけをしていた。
「意外と器用だよね、颯真」
「俺、手先は器用なんだぜ?知らなかった?」
「知らなかった……」
「美琴のことも、もっと知りたいけどな」
「……え?」
不意に、彼が私の目をじっと見つめた。
「最近、気づいたんだよ。お前がいないと、俺、ちょっとつまんねぇなって」
「……」
「だからさ、ちゃんと伝えとこうと思って」
ゆっくりと、彼の手が伸びる。
「桜井、俺、お前のこと——」
「——ごめん!」
私は、咄嗟に彼の言葉を遮った。
「ごめん……今、答えられない」
「……そっか」
彼は少し寂しそうに笑った。
「でも、逃げないでよ。俺、待ってるから」
その言葉に、心臓が痛くなるほど高鳴る。
今まで勉強しか知らなかった私が、初めて恋に触れた瞬間だった。
——私たちの交差点は、まだ続いていく。
文化祭が終わってから、私は少しずつ颯真と距離を取るようになった。
避けているわけじゃない。
ただ、どう向き合えばいいのかわからなかった。
彼の「待ってる」という言葉が、優しすぎて、真っ直ぐすぎて、どうしても答えを出せないまま時間が過ぎていった。
街はイルミネーションに包まれ、人々の笑い声が響いていた。
私は塾の帰り道、一人で駅へ向かって歩いていた。
ふと、スマホを取り出し、LINEの画面を開く。
颯真からのメッセージは、文化祭のあとからほとんど来ていなかった。
── いや、違う。私が返していなかっただけだ。
「……はぁ」
ため息をつきながら、駅前のベンチに座る。
「よお、桜井」
突然、耳慣れた声がして、驚いて顔を上げた。
「え……一ノ瀬?」
そこには、サンタ帽を斜めにかぶった颯真が立っていた。
「何してんの、こんなとこで?」
「それは……塾帰り」
「相変わらずガリ勉だな」
そう言って笑う彼は、変わらず自由で、眩しかった。
「颯真こそ、何でここに?」
「バイト終わり。クリスマスだから、ピザ屋の配達めっちゃ忙しくてさ」
「へぇ……」
彼がバイトしてるなんて、初めて知った。
「……それで、桜井。ちょっと時間ある?」
「え?」
「ちょっとだけ、俺に付き合ってくれない?」
そう言って、彼は手を差し出した。
私は、その手をじっと見つめる。
── どうしよう。
でも、気づいたら、その手を取っていた。
颯真に連れられてやってきたのは、小さな公園だった。
人通りも少なく、静かで、空には星が輝いている。
「ここ、俺がガキの頃によく来てた場所なんだ」
彼はブランコに座りながら、夜空を見上げた。
「桜井、ちょっと話そうぜ」
「……うん」
「俺、お前のこと、やっぱ好きだわ」
「っ……!」
突然すぎて、言葉が詰まる。
「でも、無理に答えは求めねぇ。お前にはお前のペースがあるからな」
「……あんた」
「ただ、俺はお前ともっと一緒にいたいし、お前がどんな顔してるか見たい。お前が笑ってくれると、めっちゃ嬉しいし」
彼は、いつもの軽い調子で言う。
でも、その言葉の奥には、本気の想いが滲んでいた。
「桜井はさ、俺といると楽しい?」
その言葉に、私はゆっくりとうなずいた。
「楽しいよ」
「なら、それで十分だ」
彼は、ふわりと笑った。
「いつかさ、お前が『好き』って思える時が来たら、その時は俺のこと、ちゃんと捕まえてくれよ?」
私は、その言葉の意味をかみしめるように、ゆっくりと頷いた。
この出会いが、いつか「特別」になる日が来るのかもしれない。
そんな予感が、静かに胸を満たしていった——。
クリスマスの夜、公園で交わした言葉は、私の心に静かに響き続けていた。
颯真は「待つ」と言ってくれた。
無理に答えを求めることなく、ただ私の気持ちが追いつくのを待ってくれる。
だけど、私はそれでいいのだろうか。
冬休みのある日、私は図書館にいた。
受験勉強に集中するために来たはずなのに、ふとした瞬間に颯真の言葉が思い出されて、ページをめくる手が止まる。
「お前といると楽しい?」
「なら、それで十分だ」
彼はあんなにも真っ直ぐに言葉をくれたのに、私はまだ答えを出せないまま。
── どうしてこんなに悩むんだろう。
そんなことを考えながら、ペンを握る手を止めたその時。
「おーい、美琴!」
不意に、図書館の静寂を破るような声が響いた。
「ちょっ……颯真!?」
振り向くと、入り口の方で私に向かって手を振る颯真がいた。
「お前、やっぱここにいたかー!探したぞ!」
彼は周りの視線も気にせず、ズカズカと私の席に近づいてきた。
「ちょっと、図書館では静かに……!」
「はいはい、悪ぃ悪ぃ」
そう言いながらも、全然反省している様子はない。
「で?何してんの?」
「見てわかるでしょ、勉強……」
「ふーん……」
颯真は私の机の上を覗き込むと、難しそうな参考書を見て眉をひそめた。
「お前さ、たまには息抜きしねぇと体に悪いぞ?」
「別に、私は大丈夫……」
「うそつけ、顔色悪ぃし、肩ガチガチじゃねぇか」
「え?」
気づけば、颯真の手が私の肩に触れた。指先で軽く押されると、思ったよりも痛くて、思わず「うっ」と声が漏れた。
「ほらな。だから、今からちょっと付き合え」
「えっ、どこに……?」
「いいから、いいから!」
そう言って、颯真は私の腕を引いた。
「ちょ、ちょっと待って、荷物……!」
慌てて本を片付けながら、私は彼に連れられて図書館を後にした。
颯真が私を連れてきたのは、遊園地だった。
「え、なんでここ……?」
「冬の遊園地って、意外といい感じなんだぜ?」
颯真はニッと笑いながら、私の手にチケットを押し付ける。
「でも、遊園地なんて……私、久しぶりすぎて……」
「ならちょうどいいじゃん。たまには勉強のこと忘れて楽しもうぜ?」
そう言って、颯真は先に歩き出した。
その背中を見ていると、自然と心が軽くなるのを感じた。
── まぁ、たまにはいいのかもしれない。
そう思って、私は彼の後を追った。
いくつかのアトラクションを楽しんだ後、颯真は「最後にこれ乗ろうぜ」と言って、観覧車の前に立った。
私は少し迷ったけれど、彼に促されるまま、ゆっくりとゴンドラに乗り込んだ。
静かに上昇していく観覧車の中。
私たちはしばらく何も話さず、街の灯りを眺めていた。
「……なぁ、桜井」
「うん?」
「今日さ、お前をここに連れてきたのは、ちゃんと理由があってさ」
颯真の声が、いつになく真剣だった。
「お前、最近ずっと頑張りすぎだろ」
「え……?」
「勉強も大事だけどさ、ちゃんと息抜きもしろよ。お前が無理してるの、俺は見ててわかるから」
私は、彼の真っ直ぐな瞳を見つめた。
「……ありがとう」
「お、素直じゃん」
「もう……」
私は小さく笑った。
── やっぱり、颯真といると楽しい。
私はまだ、彼の気持ちに応える自信はない。
だけど、この時間が特別なのは間違いなかった。
観覧車が一番上に到達した瞬間、私たちの目の前には、夜景が広がっていた。
「綺麗……」
「だろ?」
颯真は横で微笑んだ。
この景色のように、私たちの関係もゆっくりと変わっていくのかもしれない。
そんなことを思いながら、私は静かに夜空を見つめていた——。
遊園地を出ると、冷たい冬の風が頬を撫でた。
白い息が夜の街に溶けていく。
「寒いな」
颯真が呟きながら、自分のポケットに手を突っ込んだ。
「……手、貸せよ」
「え?」
「いいから」
彼は私の手を取り、自分のポケットに押し込んだ。
「ちょ、ちょっと!? さすがにこれは……!」
「寒いだろ? 俺の手、温かいし」
たしかに、彼の手は驚くほど温かかった。
だけど、それ以上にこの距離感が近すぎて心臓が落ち着かない。
「……恥ずかしい」
「なんで? カップルなら普通だろ」
「私たち、カップルじゃ……」
「……じゃあ、そうなる?」
「……え?」
不意に、彼の声が真剣になった。
「俺、ずっとお前のこと好きだけど。待つって言ったけど、待つのって結構つらいんだよな」
彼の言葉が、静かに心に染み込む。
「無理に答え出せとは言わねぇけど……お前は、どうしたい?」
私は、彼の瞳をじっと見つめた。
── どうしたい?
ずっと考えていた。彼の気持ちに応えられるのか、私は本当に彼を好きなのか。
でも、こうして彼と一緒にいると、心が落ち着く。楽しい。
そして、何より——。
「……たぶん」
「ん?」
「たぶん、私はもうとっくに、颯真に惹かれてるんだと思う」
小さな声で告げると、彼は目を見開き、そして少し照れくさそうに笑った。
「……じゃあ、もう答えは決まってるよな?」
彼はそっと、私の髪を撫でた。
「……うん」
夜の街灯の下、ふたつの影がゆっくりと寄り添っていた——。