「はい、ドーゾ」
「ありがとう…ございます……」
 そう言って差し出されたのは、透明なプラカップに入ったカシス・ソーダ。
 カクテルにも同じ名前のものがあるが、これは純粋にペリエのアレンジドリンクのようだ。
 透明カップの下層の赤いカシスシロップと透明なサイダー、その上に浮かぶ細かくカットされたベリー類、アクセントに添えられたミントとスライスレモンが華やかさを演出している。

 結局、春人は燈向の好意を断りきれなかった。
 燈向に連れられて向かったのはこのショッピングモールの中にあるフードコート。
 大きな窓の向こうに見える隣接する中庭のような芝エリアにも家族連れやカップルなどが所々に居て、そこかしこから楽しげな声が聞こえてくる。

 「よく混ぜてね」 と燈向に言われた通り、差してあるストローでくるくるとカップの中身をかき混ぜる。
 赤いカシスのシロップがだんだんと上に立ち上ぼり、全体を赤く染めた。
 その中を小さくカットされたベリーとスライスレモンがくるくると舞う。
 一口含めば甘酸っぱいカシスの風味とペリエの炭酸が爽やかさを伴って喉を通っていった。それと一緒に胸の中でつっかえていた“何か”も少し軽くなってゆく気がして。
 ふ、と小さく息を吐くと、テーブルの向かいに座った燈向が小さく笑みを浮かべたのがわかった。

「あの、」
「オレは今日なんとなーく買い物に来たんだけど、春ちゃんは?」
 春人が改めて謝罪をしようと口を開く前に、それを遮って燈向が口を開いた。
 今日は良い天気ですね、くらいに軽い口調で燈向は会話の続きを促す。
「えと…友人が、引っ越したから…お祝いを探しに。 あと、結婚祝いも……」
「へぇ~! それは色々とおめでとうございますだね」
「はい。 でも、何を贈れば良いのか悩んでて。それで、とりあえず手土産のワインを先に買おうかなって思って」
「あ、成る程。 それであの辺に居たんだ。あのお店、珍しいワインとかもあるんだよ」
 そう言ってにこりと笑う燈向の言葉を聞いて、春人はふと一つの可能性に思い至る。
 燈向はバーテンダーで自分の店を構えている。ビールや一般的なリキュールは恐らく業者が納品するだろうが、それだけではその辺の居酒屋と同じだ。
“あの店にしかない”を作れなければ顧客は離れてゆく。だから自ら珍しい酒を探しにあの場所に居たのだ。そう考えれば、春人が男たちに絡まれたあの場所は、目的地であったあの店の大きなショーウインドウからよく見えたはずだ。

「あの、皇さんっ……」
「春ちゃん」
「…………!」
 やはり自分が燈向のプライベートを邪魔してしまっていたのだと気付いた春人が口を開こうとする。しかしそれよりも早く燈向の人差し指が春人の唇に触れ、それを遮った。
「春ちゃんはオレの大事なお客さんだし、そうじゃなくたってオレは困ってる人が居たらそうしてた。 だから良いんだよ」
 気にすることなんて何もないんだよ と、そっと眼を細める燈向のその表情に、春人は何と言葉を返せばいいのかわからなくなってしまう。
 迷惑をかけたのに謝ってはいけないなんて。じゃあ自分は一体どうしたら良いのだろう。
 そんな春人の心内まで解っているのだろうか。燈向が少しだけ困った様に笑った。
「それにね、『ごめんなさい』よりは『ありがとう』って言ってもらえると、オレは嬉しいかな」
「ぁ………」
 そう言われて初めて、春人は自分が燈向に迷惑をかけたことを謝ることばかり気にしていた事に気がつかされる。ハッと顔を上げると、燈向の赤に近い明るい茶色の瞳と目があった。

「あの、皇さん」
「“燈向(ひなた)”でいいよ~……でも、うん。 なぁに?」
「助けてくれて、ありがとう…ございます」
「うん、どういたしまして。 こっちこそ、何だかお礼言わせたみたいになっちゃったな」
「いえ! それは僕がいけなかったから……」
 助けられたらお礼をする。当たり前の事を忘れていたのは春人の方だ。
 だから燈向が気にすることなどないのだと、春人は手に持っていたドリンクを慌ててテーブルの上に置いて否定する様に両手を振った。
 そんな春人の反応が面白かったのか、燈向は『ふはっ』と破顔すると、少し姿勢を崩してテーブルの上に肘をついた。
「うんうん。 顔色も良くなってきたし…良かった」
「!」
 燈向はそう言って、いたって自然に春人の頬へ手を伸ばす。
軽く曲げた人差し指の背で春人の頬を撫で、そのまま頬にかかる髪を耳にかけるものだから、視界が開けて燈向の顔が余計によく見えた。
 フワリと香ったシトラスは、燈向の香水だろうか。燈向がテーブルに肘をついているせいで何時もより低いところから送られる視線に、どうしてだか心臓が跳ねる。

「ところで、オレから一つご提案があるんだけど……」
だからだろうか。燈向の言葉に何の迷いもなく頷いてしまったのは……。