平日とは言え郊外の大型アウトレットショッピングモールともなればそれなりに人で賑わっている。
 カップルはもちろん、小さな子供を連れた家族や学生と思しきグループ、それから春人のように一人で買い物を楽しむ人…… 様々な人が様々な服装で施設内を彩っていた。

「う~~~~ん………」
 そんな賑やかな喧騒を遠くで聞きながら、春人はとある店の中でひとり首を捻っていた。
 そこは食器やインテリア雑貨、キッチン用品や日用品を扱うそれなりに有名なショップだ。
 引っ越し祝いならば何か日常に役立つものを…… と思って入ってみたは良いものの、いざ選ぶとなると候補がありすぎたのだ。

 割れたりする食器、どうしても古くなってゆくタオルと言ったものは幾つあっても困らないだろうけれど無難すぎるだろうか?
 かと言ってお洒落な雑貨は、彼らの新居がどんな内装をしているのか知らない現状では『これはちょっと家には似合わない』なんて事になりかねない。

「もういっそ、夏樹とみどりちゃんそれぞれが好きそうなものにしようか……」
 みどりちゃん と言うのは夏樹の婚約者で名を『春日井(かすがい)みどり』と言う。
 夏樹の会社の後輩で広報部に所属していて、リンカネの企画が始まったときに「いい機会だから」とお互い紹介されたのだ。
 しかも嬉しいことにみどりは春人がイラストレーターとしてデビューしたての頃からのファンで、恋人である夏樹が友人であることを告げると比喩でも何でもなく本当の本当に泣いて喜んでいた。

 それから仕事もプライベートも交流を重ねて行く中で春人は彼女の事を「みどりちゃん」と呼び、彼女もまた春人の事を「春くん」と呼ぶ仲になった。
 それだけではなく、二人は時折、夏樹抜きで出掛けたりもする。
 最初は春人も、恋人であるみどりが友人とは言え異性である春人と二人きりで出かけるのは不味くないだろうか…… と思ったが夏樹いわく「みどりはハルの限界オタクだから別にいい」 とのことで。
 むしろ「お前と出掛けるとなると前後しばらく機嫌が良いから時々頼む」 とまで言われる始末だった。(しかし自分とのデートより気合いが入っているのは少々不満げではあった)
 そんなこんなで、春人は夏樹の恋人であるみどりからも好意的に受け入れられ今に至っている。
 ずっと“いないもの”だった春人の側に来て、手を取ってくれた二人の幸せを願わずにはいられないし、だからこそ贈り物ひとつにもこんなに悩んでしまう。

「どうしよ……」
 あまり悩んでいてもタイムリミットが来てしまう。とりあえず一旦このお店を出て、今日のお呼ばれの手土産から選んでしまおう。そう決めて春人は一度店を出た。
 今の店から左手の方に確か輸入食品を扱う店があったはず。
 春人はあまり得意ではないけれど、二人は人並みに酒を(たしな)む。みどりはイタリアン料理が好きと言うのもあって、手土産ははじめから白ワインにしようと決めていたので、ここでそう長くは時間を取らないだろう。

 賑わっていても十分にゆったりと歩くことができる広い通路を、春人は軽やかな足取りで進む。
目的の店舗がすぐそこに見えた、その時。

「おねーさんっ」
「!?」
 突然聞き知らぬ声と共に、右手を捕まれた。突然の出来事に春人はビクリと肩を揺らし振り返えれば、そこには見知らぬ男が二人。

「あ? あっれ~女の子じゃないじゃん!」
「マジぃ!? ……背が高いだけかと思ったんだけど。……いや、でもこんだけ美人ならアリじゃね?」
「はぁ!? お前マジかよ~! でも解るわ~!!」
 まだコートが手放せない季節柄、後ろ姿だけをみて見間違えたのだろう。見知らぬ男たちの会話を聞きながら、春人は背筋に冷たいものが走る感覚を覚えた。

──『これだけ綺麗な顔ならイケるだろ』
 見知らぬ男達の下品な言葉に、遠い昔の──記憶の奥底に無理矢理沈めていた忌々しい思い出が甦る。
 身体を這い回る無骨な男の手、見下ろす母の歪んだ口元……そのおぞましい記憶が吐き気を連れてくる。

「は、離して……」
「えっ、ちょ~震えてんだけど! かわいー!!」
──『ははっ、こんなに震えて…可愛いな』
「マジで~!?めっちゃレア! ねぇお兄さん俺らと遊ぼうよ!!」
──『“初物”なんだろう…? 楽しく遊ぼうか』

 知らぬ男たちの言葉に被さって、思い出したくもない男の声が脳内でリフレインする。
(どうしよう……誰か…だれかたすけて)
しかし周りを見回したところで春人を助けようとする人はいない。
時折『何事か』と言った顔で一瞥をするものの、関わりたくないと言った様子で『何もなかった』顔をして歩いて行ってしまう。

──助けて…たすけて……たすけて……誰か!!

 心の内で精一杯の悲鳴を上げながら、春人は無意識に服の内側に下げている鍵を握り締めた。その時。

「……春、待たせてゴメンね?」
 知らない香水の香りと共に聞き知った声が背中から聞こえて、そっと肩を抱き寄せられた。
 弾かれるように見上げた先には、夕暮れに似た深い赤茶色が見えて……。
 どうしてこんなところに…… と春人が驚いてなにも言えないでいると、燈向は春人の腕を掴んでいる男の手首を握った。

「いっ…てぇっ!?」
「春、この人達は知り合い?」
 どんな力で締め上げているのか、手首を握られた男が上げる悲鳴などまるで無かったかのように、燈向はいたって穏やかな声色で春人に問いかける。
 知り合いではないと春人が(かぶり)を振って否定すれば、燈向は「だよね」と笑うけれど、それと同時に再び男が悲鳴上げた。

「いっ……てぇ!! 離せよっ…!!」
「はい、ドーゾ」
「へっ? うぉわっ!?」
 燈向の手を振りほどこうとしていた男がそう口を開いたのと同時に、燈向は男の手首を握っていた左手一本でその身体を易々と連れの男の方へ突き飛ばす。
 急転直下の展開にただただ慌てふためいていたもう一人の男は、急にこちらへ突き飛ばされてきた連れの体を受け止められる訳もなく、二人してもつれ合い尻餅をついてしまう。
「出直しておいで」
「………………………ハイ」
 尻餅をつかされた男たちは何を見たのだろう。
聞こえてきた燈向の声色は店で聞くものと全く変わりがないと言うのに、男たちは青ざめてそそくさと立ち上がり歩き去ってしまった。


 時折すれ違う誰かと肩をぶつけながら小さくなって行くナンパ男たちの背中をぼんやりと見送っていると、背中から小さなため息が聞こえて。
「……大丈夫?」
「?! ……あっ、ご、ごめんなさい!」
 ハッとなって振り返れば、神妙な面持ちの燈向がこちらを見つめている。男なのにあんなナンパひとつ断れないなんて情けないところを見られてしまったと、春人は無意識に頭を下げた。
 しかし燈向はさらに妙な顔付きになって、それから「そうじゃなくてね」と、恐らく意図してゆっくりと言葉を紡いだ。
「顔、真っ青だよ」
「あの、大丈夫。 大丈夫です…全然……」
 先程から一変して、燈向は心配そうな表情で春人の顔を覗きこむ。その仕草に春人はビクリと肩を揺らすが、先程のような嫌悪感はない。

 それに。

 春人自身、上背はある方だが燈向はそれよりもまだ高い。
 一八〇センチはあるだろうか。
 顔立ちも精悍(せいかん)でモデルもかくや…… と言う見目の男の顔が急に迫ってくると、同性でもドキリとしてしまうのは仕方ないのではないだろうか。

「…………」
「……………あの?」
 春人の顔を覗き込んだまま、燈向はまた妙な顔をする。
 やはり何か間違った事をまた言ってしまったのだろうか…… 春人は己の間違いに肩を落とした。

 しかし。

「ちょっとゴメンね」
 そう言って、燈向は春人の前髪へと手を伸ばす。断りを入れたのは彼なりの気遣いだろうか。
 燈向の指先が遠慮がちにそっと春人の前髪を避けるとき、不意に額に触れた指先のあたたかさに思わず目を見開いた。
「大丈夫って言う割には、顔はすっごく大丈夫じゃなさそうなんだよね」
「えっと……」
 昔を思い出して気分が良くない とは流石に言えずに口ごもる。とは言え「ナンパされて怖かったです」とは情けなくて言い難い。

 そもそも、こう言ってしまうのは何だが、春人も過去それなりにナンパされてきた経験はあった。
 しかしそのどれもが女性からで、先程のように自分が男であると分かってもなお同性から声を掛けられ続けたのは初めてだったけれど……。(後になって夏樹に こんな自分に声をかけるなんて物好きな人がいるものだ、と話した時はそれはもう大きな溜め息を吐かれたが)

 だから、正直何とか出来るはずだったのだ。彼らに自身のトラウマを踏み抜かれなければ。

 だからこそ、今のように情けない姿を見られてしまったことが恥ずかしいし、こんな風に心配を掛けてしまっている事に申し訳なさを感じている訳なのだが。
 自分自身の葛藤は今は置いておくとして、燈向がここに居ると言うことは何かしらの用事があって来ているのだろうから、これ以上煩わせるのは悪いだろう。

そう思っているのに。

「春ちゃん」
 ただ名前を呼ばれただけなのに。それなのにどうして手を伸ばしてしまいたくなるのだろう。
 春人は無意識に服の内に下げた『鍵』に触れた。