あれから一週間。
春人は新しく始まるイベントの打ち合わせで、件のゲーム会社に訪れていた。
複数人いるイラストレーターの中で今回のイベントのピックアップ対象になっている担当イラストレーターが集まって、デザインの擦り合わせをするためだ。
イベントのテーマと、キャラクターの方向性とを合わせながらデザインが被らないように、そしてキャラクターの良さをより引き立てる様なデザインを考えてゆく。
思いの外時間が長くなってしまった打ち合わせは、夜の二十時を前にして終いになった。
時間は掛かったが話し合いは縺れることなく各々のデザインも大方固まったので、実りのある時間になったと思う。
会社を後にした春人はスマートフォンを片手に、辺りを見回しながら駅とは逆方向の路地を歩いていた。目的は一週間前に出会ったあの赤い髪のバーテンダーが店主を勤めていると言うバーへ向かうためだ。
あの打ち上げの後、自宅に帰って名刺の住所を調べてみると夏樹の会社の近くであることがわかった。
しかし駅の方向とは反対であったので、幾度か夏樹の会社を訪れていたにも関わらず店の存在を知らなかったのはそう言う事だったのかと一人で納得もした。
夏樹も夏樹で、春人が外で飲まないのを知っているので、仮にもし夏樹がこの店の存在を知っていたとしても春人に教える事はなかっただろう。
大通りから一本外れた道は、たったそれだけなのに随分と静かだ。
時折スマートフォンに表示した地図を見ながら歩く事数分。背の高いビルとビルに挟まれた細長い三階建てのレトロな外観の一軒家に行き着いた。
店の名前も何もない、ただのお洒落な外観のドアにはただ一つだけ【open】と彫られたドアプレートが掛かっている。
本当にここなのだろうか…… 急に不安が押し寄せてくるが、春人はそれを押し殺してそっとドアノブに手を掛けた。
カランカラン── ドアベルが鳴る。恐る恐る開いた扉の向こうはオレンジの灯りが柔らかく店内を照らしていた。
「! ……いらっしゃいませ」
どうやら春人の顔を覚えていたらしい。店主である赤髪の彼は少し驚いたように目を見開いたあと、嬉しそうに笑って春人を迎えてくれる。
入っておいで、と手招きされるがまま春人は店内に足を踏み入れた。
そこはせいぜい二十人くらいが限度であろう、小さなバーだった。
カウンター席が八つ、二人用の長脚のテーブル席が三つと四人用のソファ席が一つ。
カウンターと各テーブル席の上には小さなガラスキャンドルが淡い光を揺らめかせていて、なんとも落ち着いた雰囲気だった。
「来てくれてありがとう。 嬉しいな」
そう言って店主である彼は自分の目の前の席を春人に勧める。
誘われるがまま、春人はその席に腰掛ける。手渡されたおしぼりは温かく、店主の気遣いが垣間見えた。
「さて、何にする?」
差し出されたメニューを受け取って中を開いてみるけれど、スタンダードなカクテルしかわからない。あれこれ聞いてもそれを全て飲む事は出来ないし…… と迷っていると、店主自らが声を掛けてくれた。
「迷ってるなら、またオレが作ってもいい?」
あの日の様にさりげなく助け船を出してくれる彼の好意に素直に甘える事にして、春人はメニューを返した。アルコールで大丈夫? と言う問い掛けに一つ頷いて、春人はその手元を見守る。
カシャカシャカシャ とシェーカーの音が店内に響く。注がれたカクテルはオレンジ色で、そこにデザインカットが施されたオレンジが添えられる。
「シンデレラ。 ……キミの名前を教えて?」
出来上がったカクテルと共に名を尋ねられた。なんて気障なのだろう。
「青葉 春人、です」
なぜか熱くなる頬を、震える声を悟られてはいないだろうか。
春人のそんな緊張を知ってか知らずか、彼はにこりと綺麗な笑みを浮かべた。
「オレは燈向──皇 燈向だよ。 よろしくね、春ちゃん」
今後ともご贔屓に と笑う顔に、春人の脳裏に一瞬だけ遠い昔の夕焼けの思い出がフラッシュバックする。
春人は無意識にそっと、服の下、心臓の真上辺りにある鍵を握った。
チャイナブルー:「自分自身を宝物だと思える自信家」 自分を大切に。無理してお酒を飲んじゃいけないよ。
シンデレラ:「夢見る少女」 魔法が溶けてしまう前に、もっと君を知りたい。
